狸氏ブログに学とみ子についての新記事がある。
「うわ!、又、書かれた!今度はなんだ!とドキドキした。
折も折、携帯の電波通信が悪くて、何度も記事がぶっ飛んだ。
めげず、何度もアクセスを繰り返し、やっと読めた。
今回は、狸氏からのありがたいご助言である。ホッとした。
今回は、狸氏からのありがたいご助言である。ホッとした。
今回の大事なご助言
“小保方さんを擁護するなら、小保方さんの主張に添ったやり方でやったほうがいいんじゃないですか”
“小保方さんを擁護するなら、小保方さんの主張に添ったやり方でやったほうがいいんじゃないですか”
狸なのだから、何に変身してもかまわないが、今回はバットマンとのこと。
何か文学的?意味があるのかもしれない・・・けど、学とみ子にはわからない・・・。
だから、又、説明があるまでおとなしく待つことにした。
総じて、今回は、狸氏の中立宣言のように思えたので、当ブログでは胸をなでおろした次第です。
総じて、今回は、狸氏の中立宣言のように思えたので、当ブログでは胸をなでおろした次第です。
”小保方氏がSTAP細胞をどのようにとらえていたか?”の狸解説については、文系の根本氏も興味を示したようだ。
これで、次なる発展があるかもしれない。
小保方氏が何を考えていたか?については、彼女が実際にどのSTAP実験にかかわったのか?についての考察へと広がる。
狸氏の今回のブログで、AERA 2018年4月23日号のサイエンスライター・粥川準二氏記事についての紹介がある。
今回は、学とみ子はこれにかみつくことにした。
粥川準二氏の記事は、当然“小保方氏の主張に添ったったやり方”では全然ない。
それどころか、“小保方日記は粥川準二氏の考えに添ったやり方でない”ため、彼はおおいに怒っているのである。粥川準二氏の文章は青字
>筆者(粥川準二氏)は本誌16年6月13日号で、当時「婦人公論」に掲載された瀬戸内寂聴氏との対談にも、その少し前に出された手記『あの日』(講談社)にも、認定された研究不正を覆すような事実はまったく見つからない、と書いた。
>16年4月19日には<ドイツの研究グループからSTAP細胞の関連論文が発表された。STAPという名前をそのまま論文に使ってくれている>(212頁)と彼女は書いている。瀬戸内氏との対談で言及した論文だろう。しかし論文の内容には今回も触れていない。
>また、理研は小保方氏らの論文には最低4点の研究不正があると認定したが、小保方氏はそのうち2点については反論をしているものの、残り2点については『あの日』でも対談でも何も述べていないと指摘した。
>筆者の指摘を少しでも覆す記述は、この『日記』にはあるのか? 予想通り何もなかった。
>(131頁)と書き、9月24日には<「Yahoo!」のトップニュースに『Nature』の記事。込み上げてくる感情はマグマのよう>(132頁)と書いているが、その論文の内容や、それへの反論は何もない。
>小保方氏はこうしたことを何ひとつ書いていない。
多くに、小保方氏が何も書かない!と強調されている。
科学者は自らの考えを大事にする人である。
その科学者である小保方氏が、書かない!と決めたのである。
日記には学術的なことは書かないと、小保方氏自身で決めたのだ。
ではなぜ書かないのか?学とみ子はこう想像した。
実験結果の周辺知識というのは、日進月歩でどんどん新知識に上書きされる。
科学者と評された人が、うっかりコメントすると、目いっぱいたたかれる。
「専門家のくせして、こんなことも知らない」
「考察ができていない」
「こんなに誤解をしている」
「ここも間違っている。」
「古い知識を持ち出している」
最後は、未熟、無能、できないくせして・・・など、どんどんエスカレートされてバッシングされるかもしれない。
「専門家のくせして、こんなことも知らない」
「考察ができていない」
「こんなに誤解をしている」
「ここも間違っている。」
「古い知識を持ち出している」
最後は、未熟、無能、できないくせして・・・など、どんどんエスカレートされてバッシングされるかもしれない。
科学議論は奥深く正解かどうかは不透明である。
知識は、流動的で正しい知識がいつまでも正しいものでとどまる保証もない。
知識が不十分なマスコミ人に非難されたら科学者は消耗する。
小保方氏が科学者として考えることや、STAP細胞について語りたいことはあったであろうが、しかし、小保方氏は、もう、そうしたことをあえて書かない!と、決心してしまったのだ。
彼女は、間違ったことを言ってしまうミスを何より恐れていると言っている。
STAP騒動で、彼女が正当と思っていることすら、ミスだ、ミスだと言われて来て、消耗しつくした彼女の決意だろう。
STAP騒動で、彼女が正当と思っていることすら、ミスだ、ミスだと言われて来て、消耗しつくした彼女の決意だろう。
彼女は、世界的嘘つきと名指しされ、ひどい修羅場をくぐってきた。
もうもう、そうした状態につながるようなことは極力避けたいのだ。
もうもう、そうした状態につながるようなことは極力避けたいのだ。
それが今の彼女の回復状態であり、世の中にチャレンジできることではないだろうか?
だから、小保方日記に科学的な記述を欠くと感じたのなら、職業がライターである人なら、小保方氏の著書に怒るだけでなく、科学記述の無い理由を考察して読者に届けなければいけないのではないか?
ライターなんだから!!!
粥川準二氏は、メンタルトラブルを抱える人への想像が足りない。
まったく無いと言える。期待の的がはずれている。
マスコミライターで生き延びていく人は、メンタルが強くなければいけないとは思うが、他人の心への想像力は持っていた方が良い。
その方が良い解説文も書けるし、読者も増えると思う。
ライターが怒って小保方氏をつきはなすだけでは、読者は物足らない。
他人を理解したい!、仲良く世渡りするためには、人は想像する能力をたくましくても良いではないだろうか?
特に、男女の場合では、考え方には大きな違いがあるのだから、異性同志の場合には、相手の態度や言葉から異性の気持ちを想像するしかない。
男性は、女性の気持ちで悩んだり、その女性を怒ったり、非難したりすることがあるだろう。
その時、女性がなぜ(男性に)理解できない態度をとるのかは、いろいろ想像できた方が有利ではないか?と思う。