政治家への忖度問題で、森友学園問題が再浮上している。
他者様のブログでもいろいろな意見が書き込まれているが、学とみ子は、上からの圧力で世の中が動く・・・との社会現象が暴露されたという点で興味深いと感じる。

森友学園問題は総理(夫人)の意向があったかどうかが問題視されているが、同じように、STAP事件でも、お上(文科省)の意向があったのではないか?と言われている。

小保方氏一人を犯罪者扱いにした背景は、お上(文科省)の意向ではないか?である。
お上の意向の強制力の質は不明であるし、実際に圧力があったのか?無かったのか?あるいは、無かったとしてもあったように見せかけられたのか?誤解が誤解を生んだのか?はわからない。

忖度の状況はわからないにしろ、犯人(疑い)を名指しして、未解決な問題はその人のせいにすることで事件が解決したかのように装うことはできる。
昔から、ムリクリ解決法の手段となって来た。
つまり「早く騒動を終わらせろ!」とのお上の意向の有無が問題となる。

ムリクリ解決法が働くためには、お上が実情を理解していないことが前提になる。
科学の質がよくわからないお上は、世の中を説得できる術を知らず、表面的な解決策を示唆する。
これに不満を持つ現場の科学者たちは、その場限りの解決策をめざす。
お上は科学者でないから、矛盾だらけの結論に気がつかない。
用いた解決策が矛盾に満ちていても、お上がそれに気づかなければ現場はそれで良い。ESねつ造論者には好都合だ。マスコミも味方してくれる。

つわものどもが夢の跡か?
後は野となれ!山となれ!というところか?

実際は闇の中だが、STAPを潰したい人たちにとっては、お上の意向は、願ったりの追い風の圧力になったであろうし、実際にSTAPは潰れた・・・?
今は、潰れた状態になったと人々が認識しているということだ。

しかし、STAP細胞がES混入で説明されたことで、日本の科学と社会の質が問われている。
むしろ、科学のモラル問題にすりかえられた事が問題である。

先ほども書いたように、STAP論文には膨大な量の実験結果が含まれていて、多くがESとの比較実験が主軸をなしている。
この部分を解決せずして、STAP事件の解決は無い。

科学が進歩を続ける限り、STAP現象の機序は解明されていく。
解明されていくたびに、STAP事件の問題点が何年たっても蒸し返される。

今でも論文がネットに載っているし、世界の研究者がダウンロードする限り、STAP論文は存続している。
原著にアクセスする人であれば、複数の研究者がかかわった実験であることは一目瞭然であるし、論文の撤回理由もあいまいなものにすぎない事を知る。


受精卵からESやTSの移行がどのような遺伝子制御なのか?
生体で起きている現象と、人工培地で維持されるESやTS細胞の違いがある。
これらの生命現象は、科学的解明に向かっている。もう、時間の問題だ。

理研の上層部は、ES混入説が科学的に否定される日がくることを予想していたと思う。
多くのSTAP(幹)細胞実験を実際に行っていた若山研究室員たちも、ES混入説は、否定されるリスクが高いことを予測しているだろう。

日本ではまだ、似たような研究をやる研究者は少ないかもしれないが、世界は広い。
日本の通説とは無関係に、生物学分野の研究者が、細胞の柔軟性の研究を進めるだろう。

実際に、STAP論文を読んで興味と疑問をもつ研究者は、いろいろ考察をするだろう。
STAPに興味をもつ研究者は、その後の理研が “STAPはESから作られた” との報告を出したことも知る。
理研の一部学者によるこの報告は、STAP細胞とES細胞のゲノム構造の同一性を言っているに過ぎないがわかる。

この見解とは別に、研究者は独自の解釈を持つだろう。
研究者層なら、ES説と断定した論文は、限定的な解釈として取り扱う。
しかも、細胞の柔軟性が解明された後であれば、ES説論文はすでに色あせている。
自然科学ではなく、社会科学の事例に変わってしまう。

世界の社会学者が社会現象としてのSTAP論文騒動をとりあげるだろう。
彼らは、不可解な経過で取り下げられたSTAP論文の背景に興味を持つのだ。
ESを使ってSTAP論文を書き上げることは不可能とわかっていても、ES混入説を採用した理由をさぐろうとする。
なぜ、そうした不可解な社会現象が、現実に科学先進国であるはずの日本で起きたのか?と・・・。

前ブログで書いたが、ES説を信じる人は、多くの誤解をしていなければならない。
ES説の研究者は、多くの実験結果を限定的につまみあげてES説を論じることはできるが、(例えば関氏の場合は赤フィルターの件や、STAPがES培地で死ぬ件)、全体の実験系を整合性をもって説明することができない。

ES説に限定すると、犯人は小保方氏しかいない。
桂報告では、複数の混入犯疑いをぼかしているが、STAP細胞の作製から、STAP細胞の動態までの過程を担当したのは、小保方氏ひとりである。
若山氏転出の後も、丹羽氏や笹井氏らのスタッフと一緒に実験をしている。
他の人がなりすましなどできるわけがない。

誰かが、STAP作成中の若山研究室に忍び込んで、培養中のプレートに細工をしたとしても、この人がその後の実験を、小保方氏のふりをして行うことなど、到底不可能である。

ES説では、犯人はほとんどの実験結果をねつ造する必要がある。
嘘の実験結果を示して、まわりの複数の研究者をだまし続けなければならない。
およそ、不可能な話である。
小保方氏が、精神障害者であり、自らの嘘を忘れてしまう人であるとの大前提も必要だ。

ES混入説に対する科学界の沈黙の理由、調査が限定的作業に留まった理由、後になれば説明困難となることがわかっていての混入説採択の理由、マスコミの間違った扇動、科学界に属さない一般人の活動などなど、STAP事件は社会現象として論じるべき課題が多い。

STAP事件は、社会学としていろいろ考察の対象となる材料をかかえている。
矛盾した解決法が、社会学研究や考察の材料となるからである。


話題が前後して恐縮だが、もうひとつ森友学園で、興味深い点は、昭恵夫人が、「森友学園の教育方針に感涙した」現象である。

教育勅語を幼稚園児に覚えさせ、幼稚園児がそれをじょうずに合唱するのは、大人が教えたからにすぎない。
子どもが合唱する理由は、大人がそれを聞いて喜ぶ様子があるからだ。
大人が喜んでくれれば子供はうれしいので、一生懸命にやるだけだ。
それは教育というより、人としての本能に近い。
人というより動物の本能に近い。
動物は、エサをくれる人、守ってくれる人たちには精一杯の感謝の行動をするのである。

しかし、(籠池氏らが)無心な子供たちに安倍総理大臣のおべんちゃらを教え込むことは感心できない。
まして、おべんちゃらの合唱を聞かされた昭恵夫人が感涙する場面は、ええっ?という印象を持つ。
大人が作為的に誘導したに過ぎないと思わないのか?
総理に対して危険な落とし穴をはらむお世辞だから。
能力がいろいろな子供の中には、なかなか覚えられないで苦しんだ子供もいるはずだ。
なぜ、子供の能力や背景の格差を考えないのか?

一律的に作り上げられた子どもの様子に感激するようでは、バランスの良い人とは思えない。
総理夫人なのだから、もっと、いろいろ子供の立場や気持ちを考えて!と言いたくなる。

今回の森友事件での書き変え問題は、官僚の乱という表現をする評論家がいるが、私もそうした印象を持つ。
人は誰でも、上からの意向には抵抗がある。幼稚園児とは違う。
大人は誰でも自我の塊だから、自身の意見を誇示するのだ。
だから、ここのブログも荒れる。

政治とは、省内で決めごとに従い、手続きをふんで決定し、その合意に沿って役人たちは粛々と動くしくみである。
しかしそうした手続きをふまないで、政治家の横やり的な指示は、プロとして自覚している役人には抵抗がある。
すぐ前に、前川の乱も起きた。
小泉進次郎が「内閣は省庁の責任にするな」というのもありだ。
民主党誕生の時の失敗のように、経験と知識がない政治家が官僚を支配しようとしても無理だ。

政治家も官僚も人なのだから、お互い、信頼が必要だし、両者が対立すると、その結果、ものが決まらず、税金がうまく回らなくなるだけだ。