婦人公論最新号の小保方日記で、上層部組織(文科省を指すらしい)の意向があったと書かれている。小保方氏本人による明言は初めてなので、話題を呼んでいるようだ。
小保方氏がこのようにはっきり書いたことは、興味深い。
やはり、彼女の変化が見て取れる。以前とは異なり、世間は彼女をねつ造者として見ていないと小保方氏は信じるようになってきているのであろう。
アンチねつ造論の人の方が、社会には多いとの彼女の確信である。
つまり、手記前に彼女がつきまとわれていたであろう”小保方ねつ造者論”との被害妄想感からは、小保方氏は解放されつつあると感じる。
小保方氏は、手記を出版する前は、ねつ造者としてこのまま時が過ぎていくのは耐えきれなくなったと言っていた。世の中の人にわかってもらいたいとの思いで必死に書いた手記とのことだ。
しかし、実際に声をあげなかった一般人は、この事件をねつ造事件だったとは思っていないのである。STAP事件に関して、ねつ造以外の他の見方をしている人たちが多いことを、出版後の小保方氏が知ったことは、手記の一番の成果と思う。
彼女の住んでいた研究界は、陰謀術策渦巻く特殊な世界であったが、世間の人はSTAP事件を通して、研究界の闇に改めて注目し、ねつ造がしかけられてしまうことはある得るだろうと考えていたのだ。
とにかく、ねつ造説を確定させようと激しく騒いだのはマスコミであり、それをしかけたのは一部の科学者であった。ストーリーは周到に準備されていた。マスコミは、ねつ造を世間に広めようとする一方で、マスコミ自身が自らでネタばれをさせている状況を暴露した。
複数の科学者たちから、機密情報はいくらでも漏れていた。
マスコミは科学者からねつ造疑惑に向けた情報をもらって記事を書き、それをマスコミ独自のスクープであるかのように大はしゃぎで扱ったのである。
論文発表の席に並んだ主要著者が、1か月後には、自らの論文を否定したのだ。
そうした様相が異常であると、人々は思った。
“ねつ造の科学者“238頁にて、下村文科相が記者会見で以下のようにしゃべったと書かれている。
「国民的な関心が高い課題なので説明責任が問われる」と指摘し、「(理研が)調査するかどうかは理研が判断すること」と(下村文科相は)明言を避けたが、
「理研は国民が納得できるような対応を取って欲しい」と(下村文科相は)言った。
「国民的な関心が高い課題なので説明責任が問われる」と指摘し、「(理研が)調査するかどうかは理研が判断すること」と(下村文科相は)明言を避けたが、
「理研は国民が納得できるような対応を取って欲しい」と(下村文科相は)言った。
下村文科相の言葉は、一見、文科省トップとして当たり障りのない言葉とも聞こえる。
しかし、一方で、下村文科相の言葉は、科学や論文に対する知識人としての認識を欠いたままで発した素人っぽいコメントでもあった。
権力者のコメントは発信した本人より、取り巻き連中によって、その内容が変化していくのである。殿(との)の発した言葉は、大変な重みをもって家来に伝わってしまう。そして、殿の言葉を利用する輩がでてくるのである。
、
下村文科相に科学的な頭があったら、科学論文とはどういうものか?ねつ造とはどうした条件で生まれてくるものかについてのいろいろ持論を持っていたであろう。
理研が日本を代表する公的研究所であるのだから、そこから発された論文については、下村文科相からは科学者を擁護する発言が出ても良いはずだ。
つまり、理研の頭脳を集めたSTAP論文の研究者の立場を考え、下村文科相は、「ねつ造の判断は十分すぎる位、慎重にして欲しいと思う・・・。ねつ造は無いと信じたい!」位言っても良いのだ。
政治家が理研を日本を代表する研究所にしたいなら、理研の科学者を守る姿勢はあってしかるべきであろう。
しかし、実際の解決策は実にひどいものだった。
悪人を単独で設定した終わらせ方による表面的解決は、実に素人的である。
悪人を単独で設定した終わらせ方による表面的解決は、実に素人的である。
そもそも、下村文科相が、研究所で働く人たちの質(性格)や、論文そのものの在り方についてのあるべき論を持たないまま、不用意に建て前論を吐いただけだ。
ライバル同志の激しいバトルがぶつかり合う論文の質について、政治家が口をはさんではいけないのである。権力者の不用意な発言で、それを利用するするい人が現れ、税金の使われ方がねじまげられる。
人々は、文科省の学校認可でもいろいろ問題が起きていることをウオッチしているのだ。
毎月、すごい数で発表されている論文は、ほとんどが、所詮、新しい論文に上書きされていくべきもの(ダメなものは淘汰されるだけ)にすぎない。それでも、ライバルたちから激しく攻撃される運命にもある。
結局、有力政治家の建て前的な発言を、取り巻きの政治家や役人が曲解して、結果、理研内部の判断に政治的圧力がかかるような事態になってしまったのではないだろうか?
政治家や官僚からのコメントは、理研の事務職から科学者たちへのプレッシャーへとなっていくだろうし・・・。
政治家から圧力をかけられたと感じた研究所側は、ねつ造者を想定し、その人の悪行にすべて押し付けて解決したスタイルで終わらせるのが、国民の納得が得られると考えたのでないだろうか?国民の納得とはほど遠い最悪のコースへと突っ走た。
特殊なねつ造が行われたというストリーで終わらせても、国民の納得など得られない。
人々はそんなに単純ではない。
なにより、根幹から論文ねつ造を企てようとする科学者が現実にいると、普通、一般人は考えない。ESをたらっとまぜてほくそ笑むような人はミステリー小説の世界の人であると考えるのが普通だ。
特別にたちの悪いねつ造者がいたとすることは、国民の納得とはほど遠いものだ。
性格異常者の存在を設定しても、可能性が薄いのである。
むしろ、権力抗争があったかもしれない、研究事故や研究妨害をごまかすためにしくまれたのではないか?ライバルを陥れる手段だったのかもしれないなどの内紛説、陰謀論、目くらまし説を考える人の方が多いと思う。
研究所でおき得るトラブルをある程度、明らかにすることが国民の納得ではないのか?
STAP事件で騒いだのは科学者一部とマスコミなのだ。
ねつ造のストリーは、科学者たちが作っている。
50代、60代の人生後半となった一般人は、多かれ少なかれ、陰謀に近い経験を自ら持っている。そうした経験を思い出して、そうした目で事件を考えるのだ。
秀才が集まる競争がとびきり激しい研究者界では、むしろ、ねつ造より、ねつ造事件が仕組まれる方が多く起きやすいと考える人の方が多いと思う。
まして、今回は、恵まれた生育環境で育った新人の若い女性科学者によるねつ造事件であり、彼女がESを混ぜて、その先もさまざまな高度な実験をねつ造したとするストリーは、一般人には容易に信じられない話でである。