今、したらば掲示板を覗くと、受精卵FES1、FES2は最初からなかったのではないか?が話題になっているようだ。
ntES1,、ntES2は、太田氏の論文にもあるが、受精卵ESは太田氏が作成したことになっているものの、実際には論文もなく、その証拠はないとのしたらばの推論だ。
もちろん、こんなことを書くと、科学者層から激しい反論を浴びるであろうけど・・・。
科学オタクたちの発想は自由奔放と言えるだろうが、一方、科学者層は反論するにも根拠が必要となる。プロとして反論するには、時間のロスを覚悟し工夫が必要だ。
前のエントリーで書いたが、専門家がつぶしてもつぶしても、新たな新説、珍説がわいてきて、きりがないのがSTAP事件だ。
専門家たちが練りに練って桂報告書を完成させたときには、ここまで一般人がくらいついてくるとは、専門家たちは考えなかったのではないだろうか?
有名大学で学ばなくても、学位が無くても、興味をもったことにはとことん徹底して取り組む人たちの層が拡大しているのだと思う。科学のすそ野の広がりである。
科学は皆のものとの考え方はアメリカ学派だ。
難解な精神医学の領域を誰にでも理解できるように改変させたのが、ICD-10(国際疾病分類)だ。日本でも昔の精神医学や心理学の本などは、わざと難しい言葉や言い回しをしている。皮膚科の病名も難解だ。治療には権威が必要だった時代だ。
ネイチャーもサイエンスもわかりやすい英語で書くのが原則になっている。
こうしたものを読みこなす力があれば、STAP事件の謎をあれこれと思いつくまま、解明作業をすることが可能になる。
こうしたものを読みこなす力があれば、STAP事件の謎をあれこれと思いつくまま、解明作業をすることが可能になる。
こうした科学オタクの人の中には、以前、有名研究所にいた人、元科学者なども参入してくることもあるだろう。
とにかくオタクなのだから、疲れることがない。ひとりのオタクが疲れて脱落しても、次のオタクが出てくるだけの話だ。
彼らは、証拠にこだわらず、次々に自由に意見をのべるであろうと思われる。
公開データベースなどは、オタク彼らにとって最高の解析ツールだろう。
科学の一般化、平等化の象徴となっている。
ここを解析されて、何か専門家とは違うメッセージを発信されたら、専門家は困ると思う。
しかし、STAP事件は、権威無き者が権威につぶされたとのストリーになっているので、人々の関心がより集まるのだと思う。
オタクをつぶしていく作業は、本当に大変になるのではないだろうか?
科学者たちからすれば、間違っていると思うのだろうから、必死に反論をしたくなるのだろう。
科学者たちからすれば、間違っていると思うのだろうから、必死に反論をしたくなるのだろう。
しかし、オタクのすそ野は広い。科学が理解しやすくなるほど、オタクも増える。
オタクの攻撃を避けるには、専門家たちは、よりフェアが裁定に努めるしかない。
オタクたちが、科学者層を攻撃する理由もたくさんありそうだ。
本物の科学者がうらやましいと感じ、対抗意識を燃やそうとする人もいるだろう。
昔、学者を目指して失脚した人、挫折した人が復讐を兼ねて来るかもしれない。
ジェラシーと言っては抵抗があるので、努力を社会のために役立てたいとの思いがあるだろう。
権威は公正を目指さなければいけないのである。
さて、見方を変えるが、コメンテイターの中には、桂報告書を守ろうとする立場の科学者たちを、ジェラシーだと言って攻撃する人がいる。
つまり、科学者たちは、小保方氏に対してジェラシーがあると言う。
こうした非難の持ってき方は不毛だ。
科学者は小保方氏にジェラシーしているというより、研究現場の不公平感、理不尽さを問題にしているからだ。
ジェラシーは誰でも持つが、本人は抱いているジェラシーを恥と感じて、その人の中で感情をコンロールするものであるので普通は外に出ない。つまり、隠すのだ。
ジェラシーではないと思うから、言葉としてでてくるのだ。
科学者たちは、とにかく桂報告書の正当性を訴える。
その主張の一部に、理不尽な研究所の現状を訴えようとしているのだろうと思う。
小保方氏は細胞を酸浴させると、使用細胞の種類にかかわらず、細胞同士が寄り集まってくる現象論を夢中で追っていた人だと思う。
それを論文にするために、多くの人に協力をしてもらったのだろう。
だからこそ、「私の実験ではない、○○先生の実験です」
と調査委員会に申告しなかったのではないかと思う。
そして、調査委員会もここぞ!とばかりに、小保方氏の問題点として報告書に書き込んだのであろう。
桂報告書は、小保方氏が明らかにやった実験以外のものはねつ造判定ができなかった。
この事実は、重い。
それ以外の実験は小保方氏による単独実験ではなかったことの証明となるものだと思う。
あんなにやさしかった若山先生が、なぜ、こんなにもやさしくなくなってしまったのかしら?
小保方氏は思ったようだ。
小保方氏は思ったようだ。
ボスの心変わりにうまく対応できなかったことが、小保方氏の痛恨の後悔であろうと想像する。