体内時計さんから、キメラができた時に、「あの日」の小保方氏は、その感激が書かれていないのはなぜなのだろうか?とのコメントをいだだきました。
体内時計さんは、小保方氏の復帰をかつて願った時期もあったが、今は裏切られたとの思いとのことです。
この件について、不肖学とみ子が役不足、妄想、認知症と言われるのを覚悟でコメントいたします。
以前にも書いたと思うのですが、論文がネーチャーにアクセプトされた時も、「あの日」では、小保方氏は喜んでいませんでした(131頁)。
しかし、キメラ成功の当時の小保方氏は、涙を流して喜んだというのは本当なのでしょう。
それが、小保方氏が「あの日」を書く頃には、そうした感激的な出来事が、苦い苦しい人生経験に変わっていたということでしょうね。
このギャップはなぜなのでしょうか?
したらばでは、若山氏の手が入った後には、それまでの小保方氏が経験していたSTAP細胞の動態とは、著しく変化していたであろうと語られています。
したらばはあくまで推論ですが、異変を前に小保方氏が論文執筆中から苦しんでいた様子をうかがわせるものです。
STAP細胞の高い寄与率のキメラ、高い臓器形成能を持つテラトーマなどを目のあたりにした小保方氏にはとまどいがあった!と紹介されています。
若山氏の手が入った後には、それまで作ってきたSTAP細胞に異変が起きたことが書かれています。(若山氏がESを混ぜたという意味ではありません。若山氏がSTAP細胞を変化させたその方法が語られていないという意味です)
この時小保方氏が抱いた疑念のひとつに、ESが混じったのではないか?渡されたマウスは特殊ではないか?との疑惑も浮かんだのかもしれません。
実験中に、説明通りのマウスを渡されてたのか、小保方氏は疑うことはなかったのでしょうか?
本当にこのマウスが使われたと論文に書いて大丈夫だろうか?とかを考えたと思うのです。
したらばでは、小保方氏は本人が日本にいない時に管理されていたテラトーマに異変がおきていた事に気づき、それを論文には採用したくなかったのではないか?と紹介されています。
これらは、「あの日」には書かれていません。
もし、小保方氏がそこを書くとするなら、実験中には○○○○であれっと思ったが、それはボスに言い出せなかったとの表現になるのか・・・・?
こうした事件の鍵をさぐるには、「あの日」は行間を読む気持ちが大事と感じています。
そして、一番の読みどころは、STAP論文準備中に起きていた研究者間の不和をうかがわせる著述部分です。表面的には紳士的に繕われた研究者間の言葉のやり取りから、笹井、若山氏の強いライバル意識が感じられます。
115頁の、若山氏の発言である「僕も笹井先生にこれまでの論文見てもらえばよかったなあー」とこぼしていたと書かれた部分も、とても若山氏が本気で言ったとは思えない言葉でしょう。
若山氏の言葉が本気なら、奥ゆかしい、謙虚な方という誉め言葉があてはまるかもしれないが、研究者の本音の言葉では無いでしょう。
新規科学の戦略的研究者であれば、本心を言わない駆け引きのできる人である必要があります。
若山氏をけなしているのではなく、研究者として必要な資質でもあると考えます。
ライバルに秘密をばらしてはいけないからです。そして自らの研究成果は、他に追従させないところまで高めます。
こうした人であるなら、小保方氏に論文作成を待ってほしいと思っても、直接、そうは言わなかったのではないでしょうか?
ボスが口では、早く幹細胞を作れ!早く論文まとめろ!と言っても、本音は執筆中断なのです。言われた部下は、状況判断を間違わないようにしなければいけないのです。
そうした男性の本音を読み取り、研究世界のどろどろを悟ることは、新人女性研究者には無理だったのではないでしょうか?
実際に研究者間の不和は相当に深いものであったようです。
若山氏の協力が無くなった状況の中で、小保方氏は疑問や不安を感じながらも、それでも、論文を書くことが、若山氏、笹井氏、バカンティ氏のためであると考えたと思います。
若山氏の協力が無くなった状況の中で、小保方氏は疑問や不安を感じながらも、それでも、論文を書くことが、若山氏、笹井氏、バカンティ氏のためであると考えたと思います。
しかし、論文発表後、論文撤回に奔走する若山氏を見た時、小保方氏の抱いていた不安が現実化しました。
その時、小保方氏は論文を書いてはいけなかったのだ!と確信できたのでしょう。
したらば掲示板でもSTAP実験中と論文執筆中に、小保方氏が抱えていたであろう疑惑と葛藤が語られています。