前回当ブログで紹介した「あの日」の文章では、理研の上層部は、なぜ、私(小保方氏)の言い分を聞いてくれないのか?と悲痛な思いを書いています。
これほどの規模ではなくても、一般人が、今まで仲間と思っていた人たちから、バッシングを受けた場合、バッシングされた側は、とにかくその原因を考えてみるしかありません。
小保方氏の周りの上司たち、相澤氏、竹市氏も、小保方氏をかばいながらも、最終的には小保方氏を見放してしまった理由を考える必要があります。
彼女が虚言癖の人であることがバレた!とかでは、決してありません。
STAP事件が、これだけ非難が大きくなったのは、遠藤氏も指摘しているとおり、“ねつ造であるデータを世界に向けて発信している奴らがいる”との怒りが大きかったからです。
最初は、科学者やマスコミを中心に、その後は広く社会に広まりました。
遠藤氏がkahoの日記で STAP細胞の非実在について 2014年03月05日 15時10分に発信しています。
日経サイエンスには、2014年3月には、若山氏が簡易検査をして、STAPは、親マウスと遺伝子が違うことがわかったとしています。
理研が小保方氏を守れなかったのは、論文発表前のGRASの解析の影響が絶大だったからでしょう。
小保方氏が単に新人女性だからとか、論文ミスが多いからではないのです。
日経サイエンス2015年の46頁中頃には、若山氏の言葉として
「今回、僕はテクニシャンだった。なのにコレスポにしてもらって申し訳ない気がする」と、古田氏は書いています。
この言葉は、「あの日」では権利を強く主張していたとする若山氏とは、大きく隔たります。
その若山氏は、3月にはすでに、自らの簡易検査をして遺伝子齟齬を指摘しているのです。
2014年、3月には遺伝子の齟齬は広く報道されようになります。
6月に入れば、遠藤氏の解析とか、アクロシン入り情報が公然としたものとなります。
6月に入れば、遠藤氏の解析とか、アクロシン入り情報が公然としたものとなります。
それでも、論文発表後1週間の分子生物学会の抗議のメイルは、その後の公開データや若山氏の簡易調査では説明ができません。
この速さを説明するには、もっと前から、ねつ造派が論文発表前のGRASのデータを入手している必要があります。
証拠を得ていたねつ造派は、上層部に正式遺伝子解析を迫るようになります。3月になれば、さらに圧力を上層部に強めます。
論文発表前のGRASの解析結果を知っていれば、ねつ造派が人質をとっているようなもので、理研上層部との交渉に有利なツールとして使えたでしょう。
自己点検グループの中核となるねつ造派にとって、論文発表前のGRASの解析結果は、理研の上層部との交渉ツールでした。
上層部は、流出し始めた証拠を抑えておくことができませんでした。
もし、上層部が解析を抑えたら、上層部もねつ造の協力者になってしまいます。
どう考えても、理研はそうした立場には決して立てません。
上層部は、小保方氏に厳しいものとなったとしても、正式解析へ進むのを了解するしかなかったと思います。
もし、小保方氏がねつ造と無関係なら、彼女はその後に裁判でも起こして戦うことは可能であるし、小保方氏自身で無実であると声明を出せるはずと上層部は判断したかもしれません。
論文発表前から、上層部のみならず、小保方氏も“発表後の暗雲たれこめる状況”は、ある程度、予期していたようです。
小保方氏は若山氏が怒っている様子にも直面していました。
若山氏が業績の分担に執着していた論文に関心を示さなくなり、それにもかかわらず、論文は、小保方氏の希望とは離れていき、むしろ若山氏の仕事寄りにシフトしていったのです。
小保方氏は不安ととまどいもかんじていたでしょう。
この時、何か、謀り事が進行しているのかもしれないと小保方氏が感じてもおかしくはないと思います。
「あの日」でも、論文発表時の喜びは書かれていません。
とにかく彼女は目立ちたくないと願い、次の仕事に移りたいと思っていた様子が書かれています。
極端にマスコミを避ける行動も、すでに発表翌日から現れています。