BPOが人権侵害を認めた時、NHKは反発した。
STAP番組は、科学的根拠に基づいて慎重に作成されたものであるとNHKは主張した。
STAP番組は、科学的根拠に基づいて慎重に作成されたものであるとNHKは主張した。
学者や犯人に踊らされて番組を作ってしまったことに対する、NHKの後悔と怒りだ。
それでも、NHKの視聴率はあがったのだから、NHkはペイしている。
しかし、BPOがリベラルすぎるとの批判が出たり、擁護派の人々は問題ある社会人との非難もある。
その大きな理由は、小保方捏造説には公的なお墨付きがあるからだろう。
捏造説は、正しい判断と証拠に基づくと信じ切っている人たちがいるのだ。
だから、権威ある人たち(調査委員会)が決めた秩序?を守らないのは、社会人として、擁護派は問題ありとの判断だろう。
しかし、世の中には、なぜねつ造論を信じられる人がいるのであろうか?むしろ、そこに疑問を感じる。
小保方氏が何を目的にES細胞を混ぜるのか?ねつ造犯にされた小保方氏は、なぜ、身をすりきられるような苦しさに悩むのか?
少し話を変えるが、一般論として、女性の悩みは、その苦しさに本人自らはまりこんでしまうパターンがある。
何か、苦しいことをかかえている結果、さらに新たな別の苦しさを自らかかえ込む女性がいるのである。
何か、苦しいことをかかえている結果、さらに新たな別の苦しさを自らかかえ込む女性がいるのである。
他の考えをめぐらせれば、新たな展望が生まれ、思い込みに気づき、苦しさから抜け出せるのに、それができない(女性本人がやろうとしない場合もある・・・)。
例えば、子宮がんワクチンによる副作用から抜け出せないでいる若い女性たち
化学物質過敏症があると主張して生活を制限し、さらに苦しんでいる中年女性たち
(こうした症例の背景には、診断を支持する医者たちがいて、女性たちは医師に利用されているのだろう。)
こうした女性たちの苦しさと比べると、小保方氏の苦しさの質は全く異なる。
身にのしかかる覚え無き責めを、周りからおしつけられたのである。
身にのしかかる覚え無き責めを、周りからおしつけられたのである。
今後の小保方氏は、人生を通じて、この責めにおしつけられ続ける。
人体に有害な恐ろしいゴミを押し付けられたようなものである。
こうした小保方氏の立場は、災害とも言えるものだ。
日本大震災で、多くの家族を失った人たちは多数いたが、小保方氏もそうしたひどい災害を受けたと言える。
事件後2年が経ったが、人々がこの問題を忘れないでいることは、小保方氏にとっては励みになるだろう。
そうして、2年間でわかってきたことのうち、一番、大事なのは、若山研究室では、どんな研究細工をすることも可能だったとの事実だ。
そうした状況であるから、上司であった若山氏の責任が大きいのである。
本来、論文疑義の責任は、新人の小保方氏が単独で負うようなことではなかった。
ミスの原因は不明であっても、責任者である若山氏は、世界にむけて実験のミスを認め、論文を撤回して、自らの責任を謝罪すべきだったのではないだろうか?
しかし現実は、2本の論文のファーストオーサーが小保方氏になっていることで、問題が複雑になってしまった。
その結果、すべての責めが、小保方氏にかかってきてしまったと思う。
レター論文や幹細胞の研究は、小保方氏による仕事ではなかった。
しかし、2本論文の小保方氏のファーストオーサーにはもともと無理があった。
なぜ、そうしたオーサーシップの経緯になったのかは不明だ。
これは、小保方氏が希望したことではなかったであろうし、小保方氏の気持ちは、「あの日」に語られている。
結局、笹井氏がその責任をとったということなのか?・・・。
ネーチャー誌の編集人も、論文のオーサーシップは、若山氏であるとの認識でいたと思う。
両者の話し合いで、撤回が決まっていったのだろう。
だからこそ、若山氏の責任者としての謝罪はあってしかるべき出来事だったのではないだろうか?
論文関係者の中で、バカンティ氏だけが継続的に小保方氏をサポートしていた。
バカンティ氏は医師でもあり、小保方氏が普通の人(ねつ造などしない)と信じていたであろうし、世間に対してもそうした擁護の発言を続けてくれた。
医師は、弱い人の立場がわかるからだ。
日本の相澤氏、丹羽氏も、小保方氏の無実を信じていたと思うが、今は彼女をサポートする発言はしてくれていない。
小保方氏に近い人が、彼女にどのような態度をとったのかをウオッチしていれば、小保方氏の人柄はわかるだろう。
自らの嘘を忘れる虚言癖の人などという発想など、決して出ないはずだ。
小保方氏が本当にそうした特殊な人であると考えるのは、非現実的である。
確率的にも、極めて低いのである。