サイエンスライターの詫摩雅子氏による「あの日」の書評を、昨日、私のブログで紹介した。http://bylines.news.yahoo.co.jp/takumamasako/

詫摩氏は、問題点をいろいろに指摘しているが、その指摘は、どれも、私にはピンとこない。
詫摩氏は、編集者がしっかり校閲をしていない、文章が科学的にあいまいだと言いたのだ。

彼女は日経サイエンスのねつ造断定説の著者だが、彼女(詫摩氏)が、自らの日経サイエンス記事を今、見直せば、間違った記載が多々みつけるだろうが、マスコミはそうした反省はしない。そこは棚に上げて、「あの日」の小保方氏のミスを指摘できるつもりでいるようだ。暗に、小保方氏は知らないことが多い未熟な人であると言いたのだろう。

詫摩氏の文章を引用
講談社には、ブルーバックスという科学書シリーズの編集部がある。社内のつてをたどっていけば、専門家に見てもらうこともできただろう。なぜ、それをしなかったのか。と書いている。

詫摩氏の認識と異なる部分について、小保方氏の記載が間違っているかのような言い方をしている。その間違いを編集部が確かめるべきなどと言っているのである。

なぜ、「あの日」の編集者が、そうしたことをする必要があるのか?

これは、小保方氏の科学的知識、交友関係、人生経験から知りえた知識の中で書いてあるのだ。それは自白スタイルで書かれていて、彼女が経験して考えたこと以上のものでもなければ、それ以下のものでもないのだ。

つまり、小保方氏の認識が間違っていれば、そのまま間違いは、{あの日」の文章に残るのである。読み手も、“ここは小保方さんまちがっているな?”とか、考えながら読むのである。

伝聞で書かれた部分が多くあるのも仕方がない。読み手も伝聞として、読むのである。

詫摩氏の言うように、他者(編集部)が内容に手を入れたら、読み物としておかしなことになってしまうであろう。

詫摩氏がおかしいと感じる記載があれば、普通は、詫摩氏自身の知識が古くなったとか考えるのが普通である。今の知識はそうなっているのか?私(詫摩氏)の知識は不十分か?と、一歩譲って考えるのが普通である。

詫摩氏が「あの日」に書かれたことが科学的に正しくないというなら、
ブルーバックスという科学書シリーズの編集部が正しい知識を持っているのか?
その保証はあるのか?
編集部の人が知らない場合は、その筋の専門家に聞くというのか?
そうなら、その筋の専門家を編集部は正しく見つけられるのか?
見つけたその専門家が正しい知識をもっていると保証できるのか?
なぜ、知識の無い編集人に、正誤を判断できるのか?

詫摩氏は、書評を書く前に、自身の考えが正しいのかを、調べるなり聞くなりして確かめて書いてほしいものだ。

詫摩氏が、こうした言い方をしている理由は、とにかく小保方氏の記述が科学者として、未熟であると読者に印象つけたいからだろう。

企業秘密のような研究所では、小保方氏には入らない情報もある。そうした制約の中で、小保方氏は目いっぱいアンテナを高くして「あの日」を書いたのである。

若山氏は、バカンティ氏のひも付きの小保方氏には教えなかったし、自らの研究所の業績にしようともしていた。だから、小保方氏には実験のスキルや情報をわたしていない。

小保方氏はすべての知識を持っているとは言わないが、彼女は最先端の研究所にいた現役の研究者だったのである。

マスコミの人は、現場のことを知らない、現場には現場の事情があって、現場の事情を最大考慮した結果として現状があるのである。

マスコミは、表面的な判断で、善悪を決めたがる傾向がある。途中でマスコミがミスに気づいても、訂正はしない。
医療現場の記事などは、そうした不十分の知識で間違って書かれたものが実に多い。医療者へのバッシングや、理不尽で見当はずれな批判に満ちている。

詫摩氏は、今後に、「あの日」に書かれた科学的な問題点を指摘すると言っている。

サイエンスライターといえ、マスコミの人が、現場の研究者以上の知識の文章を、書けるとは私は思わない。