本日の読売新聞に掲載された人生案内(人生相談)のコラムに、70歳女性からの投稿があった。50歳を過ぎた娘の夫が気にいらないと言う。

10年前に娘が40歳の時に結婚し、初婚だった娘は、今は50歳、相手の男性は、2歳年上で再婚とのこと。この男性は、工場につとめる作業員であり、投稿者の説明によると、常識も無くあいさつできないような人であると言う。

70歳の女性は、このがさつな夫を、娘のためを思い、がまんはしているが、この先、どのように娘の夫に接したら良いのかとの質問であった。

回答者は、評論家の樋口恵子さん。彼女の回答がふるっていたので、私のコメントもまぜて、ここに紹介してみたい。

樋口さんにも50歳で独身の娘がいるそうだ。樋口さんは言う。もし、50歳の娘が彼氏をつれてきたら、“カモがねぎをしょってきた!”と思うそうだ。つまり、樋口さんの老後の面倒を見てくれるたのもしい男手が現れたと思うそうである。

樋口さんが、どこまで本気なのかはわからないが、おもしろく、とても示唆に富む回答だと思った。
 
樋口さんは、発想の転換の重要性、将来の展望を考えることの重要性について、アドバイスしているようだ。

誰でも歳をとり、体が不自由になり、その時に備えて準備をしたい。どこまで他人に頼むかは、人それぞれだが、その時が来る頃までには、一緒に暮らしてくれる年下の人たちを準備しておくと言うことなのだろう。あてがはずれてしまうこともあるだろうけど・・・。人生は、予想が難しいものだし、変化はつきものだ。

女性は、ある年齢に達すると、発想を転換することが難しくなり、それまでの価値観に固執しがちになる。経験してきた世界が少ないためではないだろうか?

しかし、こうした経験の無さは、結局、女性自身を苦しめることになりそうである。自分で自分を苦しめないためには、加齢しても、発想の転換がスムーズにできるかが、ものを言いそうである。

老年期の女性の自殺が多くなるのも、発想の転換が難しくなるためではないだろうか?

この70歳の女性にとって、工場で働くような教養の無い男性とつきあうのは、苦痛なのだろう。
70歳の女性は、若かった頃の彼女の周りを彩ってくれた夫や他の男性と比較したりして、それまでの彼女の人生経験に照らし合わせても、この男性はおめがねにかなわない。ブルーワーカーで、良い育ちではないところに、彼女は差別的な感情を抱いている。

樋口氏は、その考えを思い切り吹き飛ばして、新たな価値観を持つ事を進めている。こうした発想の展開は、高齢者にとって必要なことで、いつまでもそれができるようになれば、人はもっと開放されるのだろう。

妥協をする能力は、人の高等脳のなせるわざだが、加齢をすると、高等脳が減ってきて、うまく働かなくなり、発想の転換ができなくなる。

発送の転換ができない結果の弊害は以下のようである。

周りには、気にいらない人ばかりになる。
他人の助言やアドバイスが聞き入れられず、非難されていると感じる。
バカにされていると感じやすく、強い口調で自己主張をする。


樋口氏は、女性が高齢になっても、こうした種類の軋轢を起こさず、周りの人との妥協しながら、発想の転換を維持していくことを勧めているのだ。

あいさつが上手な一流サラリーマンの男性を、価値あるものと考えている70歳の女性は、自らのその価値観を変えれば、幸せに近づくと、樋口氏は言っている。

男性が工場で働いていても、挨拶ができなくとも、娘の夫として、素晴らしい人ではないか?なのである。少なくとも、今は、将来、この男性が介護に役立つことを期待したらどうか?などと、樋口氏は、将来を見据えて評価を変えることを勧めている。

発想を転換するには、その根拠を考えつく必要がある。ここが自らで編み出す工夫である。
価値が無いと思うものの価値をみつける作業である。
 
その根拠として思いつく事は、まず、娘の夫は、工場で長く働いてきた人であり、首にもならず給料をもらえた人であること。こうした人は、まじめで頼もしい人であると考えて良いのだ。

工場で働いているということは、持久力を求められる。モノを作る仕事は、常に頭脳を要求されるものだ。つまり、頭も良くて働き者だ。
怠け者のホワイトカラーよりすっと、将来の介護人としての資質があるのではないかと言っている。

男性も、ある年齢を超え定年を過ぎてくると、過去の学歴や職歴などは、関係が無くなる。大事なのは、その男性が今、女性たちにどの位に役に立つのかあり、女性にとって、そこが男性の評価の対象である。
こうしたことを、樋口氏は言いたいようだった。
幸せを感じるためのスキルアップ法である。