重くないなら、治るはず、治せるはずと思っている人は多い。確かに、重くなければ治りやすいのだが、治る理由を問えば、答えは、自然に治ることができるからである。
自然に治るという事は、その人の免疫機能による修復が終了するからである。
 
しかし、重くはないが治らない病気を治すことは難しい。こうした病気は、将来の先も見えない。軽い病気が、だんだん重くなり、実は重い病気の前駆症状だったということはありえる。
 
しかし、軽いままで、重くもならないが、治りもしない病気がある。こうした病気の原因は、多くが不明である。
原因が不明な病気ならば、どの薬をどう使うのかはわからないのである。
 
慢性の皮膚のトラブルも、こうしたたぐいの病気であることがしばしばだ。
皮膚のトラブルは、目で見えてわかりやすいが、原因が不明であることが多い。
皮膚科医は、典型的な病気であれば診断可能だけれど、これに当てはまらない皮膚の軽いトラブルの原因を見つけることが難しい。
こうした病気は、治らずにずーと続いたりする。
トラブルには原因があるのだが、それを見つけることができないのだ。
そして、多くの皮膚のトラブルは、かゆみを伴うことが多く、患者さんのストレスは大きい。
 
特に女性は、美容面でもストレスが大きい。
体にぶつぶつと発疹が消えずにいれば、皮膚科医を何か所か廻ったりする。
どこでも、原因不明と言われて、少量のステロイドを処方され、様子を見るように言われる。
女性は、なんとか、この発疹を治して欲しいと願う。
特に、皮膚のきれいだった女性では、そうした願望は強く、「私は今まで、こんなことになった事は、一度も無いんです!」となる。
 
女性は思う。“何かおかしい!それがわかる先生がどこかにいるはずだ。そして、その原因を見つけてくれて、「この薬が効くよ」と医者は言ってくれるはず。その医者は、どこなの?教えて!”と、思ってしまうようだ。
病気は、薬で治す、医者は治す人と信じてしまうからだろう。
 
人類の歴史の中で、病気は薬で治せると、信じさせてきた人たちがいる。
今もこうしたものは、世の中に氾濫している。
そして、最近、製薬メーカーが、医師の処方する薬を、新聞、テレビなどで広告することが許可されてから、さらに、薬は直せる!感のある派手な宣伝が多くなった。
 
本日の新聞にも、過緊張性膀胱(トイレに頻回に行きたくなったり、尿が漏れてしまう)の宣伝が、一面記事になっていた。
過緊張性膀胱には、重症のタイプがあって、トイレに行く前に、膀胱が収縮していまい、大量に尿がもれてしまうものがある。しかし、こうした重症タイプの過緊張性膀胱の人は少ない。
多くは神経性的な頻尿である。不安が起こり、頻尿になってしまうのだ。
加齢により、若干、尿漏れも起きてくる。
こうした裾野の広い病気が、製薬メーカーの宣伝ターゲットになりやすい。
頻尿は、薬が効くとした暗示だけでも、かなりの改善をみる。
 
患者さんの数は多いが、軽い症状の人を、医師に行かせることを、新聞広告は狙っている。
そこには、病気は重くないから、心配しないで!というメッセージはない。薬に頼らないで!という視点がない。
 
とにかく、医者に行け!行かなければいけない!早く行けば早く治る。そうでないと悪化してしまいますよ!
という論調だ。
 
前回のブログで紹介したが、肺炎球菌ワクチンのテレビ広告も、肺炎にならないためのワクチンとの誤解を与える(ことを目的としている)。
 
「ワクチンを打てば、肺炎は予防できる。ワクチンを打たないあなたは、肺炎になるぞ!」と言った感じの強迫的なニュアンスの広告だ。
しかし、そう断定するのに、このワクチンの実力は、役不足だ。まじめなワクチンではあるが、一部の肺炎の予防になるかも・・・の程度で、全体の肺炎の予防薬ではない。
 
肺炎ワクチンは、肺炎球菌に対する抵抗力を強める効果はある。
しかし、他のワクチンが、病原体そのものの感染を防ぐことが目的になっているのに対し、肺炎球菌ワクチンは、感染を防ぐためのものではない。肺で、肺炎球菌が増殖を防ぐ効果を狙っているにすぎない。
 
肺炎球菌の増殖を防ぐ効果が限定的なのは、それぞれの人の肺の免疫力に実力の違いがあるためである。 肺炎球菌は、肺炎を起こしうる多数の菌の一部にすぎない。
肺炎球菌が増殖しなければ、他の菌が増えて肺炎は起きる。
高齢者の肺炎は、多くは多種類の菌がそれぞれに増えようとして、陣地取りのしのぎをけずっている。
肺の免疫が駄目なら、肺炎は予防できない。
 
そもそも、誰でも、肺炎球菌には感染している。人々は、小児期からこの菌と闘い、抵抗力を獲得している。
その抵抗力が加齢によって、低下してしまので、ワクチンでカツをいれるのだ。
 
高齢者で、全身の免疫が低下すれば、肺炎は起きてくることを医師は知っている。
だから、患者さんを前に、テレビの俳優のように、「このワクチンは、肺炎を予防するんです!」などと、胸を張っては言えない。
 
ワクチンの真の予防効果の程度を語ろうとすると、学術的となり話が難しくなる。
多くの高齢者は、そんな難しい話にのってこれない。
 
製薬メーカーも、ワクチン効果の限界を知っていると思うが、今は売れれば良い時代である。
でも、メーカーに水心あれば、この俳優の断定的な言い方を止めて、本物の医者の語りに変えて欲しいと思う。
 
さて、薬はどこまで効くのか?について、もう少し考えてみたい。
 
今年、メンタルの薬の多種類処方が制限された。
まじめに診療している精神科医には酷な話であるが、患者が薬を信じすぎて、医者に処方を要求する抑止力となりうる希望はある。
 
恋愛のもつれが被害者意識を生み、うつの薬をのんでいる若い女性がいる。
あるいは、孫の心配で、祖母がうつの薬を飲んでいたりする。
こうした人は、自分自身以外の別のものに、救いを求める感がある。
うつの薬を飲む前に、自分自身を考え、認知行動療法にチャレンジして欲しい。
 
医者は、病気がはっきりしている場合には、判断は早い。
精神科医が、治療をしないとまずい、進行性の精神疾患だと思うような患者さんを診れば、医師の治療判断は早い。治療を始めてからも、薬の選択を修正したりもできる。
脳内ネットワークが破たんしているような重症の精神疾患の方が、医師は判断しやすい。
 
しかし、そうでないメンタルトラブルの治療は、その人の性格や発症経過が違うので、薬の感受性が異なるのである。
トラブルの全貌を医者が見通せるわけではない。
 
患者さんの脳内ネットワークが破たんしているわけではないので、治療医は、患者さんの脳の壊れていない部分は、そのままに保たなければならない。そこを壊さないようにと、治療のアプローチに悩む。
抗けいれん剤とされていた薬が、気分安定剤として奏功してみたりして、医師の経験と、匙加減がモノを言う。
 
前日、紹介したある精神科医のブロガーによる記事で、SSRIと呼ばれる抗うつ剤(パキシル、ジェイゾロフトなどなど)は、強迫神経症を悪化させることがあると書かれていた。
強迫神経症は、その程度も発症のきっかけも病態が幅広い。
そうした人では、SSRIの投与が、セロトニンなどの脳内物質のブランスを変えてしまい、病態がさらに複雑化するようだ。
ある程度のバランスを保っていた脳内環境を、SSRIが変えてしまうことで、マイナスとなるのだろう。
彼は、SSRIなどが発売された後に、薬でこじれる患者さんがいると言う。
 
高齢者の認知症の薬も、いろいろ問題点が多いと思う。
現場で、まじめに患者を観察し、処方し、問題点を指摘できるベテラン医師の意見が、国の治療方針に反映される医療体制の国であって欲しい。