アナ雪の映画で、伝えたいメッセージは、
「気持の持ちようで、人生の生き方は変えらえる」
 
「心の苦しさ(メンタルトラブル)は、自らで作ってしまうものであり、悪く、悪く考える方向に向かう。
苦しい経験をしても、その経験を生かせれば、メンタルトラブルが克服できる!つまり、苦しい体験は、無駄にはならない」
 
「欠点を隠さず、オープンにすることで、欠点は長所となりうる」
 
「すばらしい才能を持っていても、それに気づかず、忌み嫌ったり、隠そうとすれば苦しい。
自然体でない生き方は、苦しい人生を送る事だ」
 
エルサは、王であるべき姿にとらわれ、いつも、落ち着いていて威厳を保ち、人々の尊敬を集める人でなければならないとのプレッシャーに取りつかれていた。さらに、忌み嫌う自らの能力を、隠さなければならないと感じていた。
 
自然体でない人生を送っていることに気づくまでに、エルサは苦しい戦いを重ねた。その苦しさを経て、自然体で生きる術に気づいた。アナやクリストフなど、他人の愛があった。見返りを求めない愛は、すばらしい結果を生む。結局、エルサが、ここに気付いて、このストリーは終わる。
 
劇中歌「Let It Go」は、エルサの苦しい気持ちを歌ったものだが、その前にも、エルサの心の苦しさが歌われている。責任感でつぶれそうになっている悲観的なエルサと、楽天家で自然体のアナとを対比させながら、ストリーが進んでいく。
 
城の門を開け、人を受け入れるということが、アナはうれしくてたまらないのに、一方、エルサは苦しくてたまらない。アナとエルサの掛け合いで歌うデュエット曲で、二人の相反する気持ちが、美しいメロディに乗ってつづられていく。
アナのはじける喜びに、エルサの恐れが重なる。このデュエットの曲も良い。
 
プレッシャーのかかるエルサは、ついに大事な戴冠式の日に、感情をあらわにしてしまい、それまでの努力を水の泡にしてしまう。
人々から恐れられ、いたたまれなくなった傷心のエルサが、山に逃げていく。
必死に逃げるマントのたなびく後ろ姿が、せつなく泣ける。
 
無理な努力、無駄な努力、間違った努力は、努力をしても、成果は生まない。
ヒロインのエルサは、「神は努力する私を見捨てた!と歌う。
この先、このストリーはどうなるのか?と観客は映画に引き付けられるだろう。
 
決意したエルサは、山の奥で、ひとりで新たな生活を始める。エルサが築いた新しい城は、美しく虹色に耀く氷だ。この城をつくる場面は、子どもの観客にとってもわくわくする楽しい場面であろう。
子どもは、全体の意味が必ずしも理解できなくても、アニメの醍醐味が味える。
 
 アナが、エルサに自信を持たせようとがんばる努力が、逆にエルサを追い詰めていく。
アナの言葉が、エルサには氷のトゲのように突き刺さるのである。
エルサの心は、苦しくて吹雪が吹いているのに、アナは、そこに気づくことができない。
良かれと思った努力でも、相手の気持ちが見えなければ、まずます相手を追い詰めることになるのだ。
この映画は、それを言いたいのだろう。
 
心を病む人の周りの人は、病む人の反応を良く見て、取るべき態度や言葉などを、臨機応変に変えたら良い。
これも、映画からのメッセージだ。
そうした臨機応変のすばらしさを発揮できるのは、クリストフである。
男は、言葉に出さずとも、良く見ているというところか?
 
他人を傷つけたくないとの思いで、新生活を始めたエルサだが、その城ですら、兵隊たちからの攻撃を受ける。
特に、二人の邪悪な兵士に、執拗に追い詰められる。この時の、戦うエルサの表情が良く描かれている。
エルサは、氷の魔力で防戦するが、エルサの顔はとても苦しく、恐ろしい形相で描かれている。
戦うエルサは、大変なストレスを感じており、そこには、戦いの高揚感はない。
 一方、兵士たちは、自らの命を顧みず、エルサを仕留めようとの高揚感に溢れている。
 
戦場で、男性は高揚感を感じるが、女性は感じないという。 戦いの場における、男女の違いを良く描いている。男性のメンタル、女性のメンタルをしっかりと、描き分けていると思う。
 
アナは、プレッシャーというものを感じない性格を代表する人だ。
大胆で楽天的な性格で、迷いがない。
大きなことを達成するには、大切な資質であるが、緻密な準備や、たゆまぬ努力は苦手とする。
 
人の上にたつ立場である王となれば、エルサとアナの両方の資質が必要であろう。
このストリーの最後は、二人の姉妹の資質が協力し合い、繊細かつ大胆な指導者たちとなり、国は安定し、めでたしめでたしである。
 
国王と言わずとも、一般人が、家庭をつくり、家族を育てる場にも、この二つの資質が必要だ。一家の主となれば、長い人生の間に、多くのイベントが起きる。
 
映画やドラマは、生きるためのメッセージやヒントにあふれている。
作家は、映画やドラマの主人公に逆境を設定し、どう克服していくかを、手を変え、品を変えて、物語を作る。
観客は、映画やドラマの世界にはまりながら、現実の生活で失敗や破滅をしないようにと、想像力を高めている。
 
同じ様に、他人のスキャンダルも、おおいに、人生の参考になるものだ。有名人、富豪、権力者が、お金、恋愛、薬物、病気などにまつわり、いろいろなスキャンダル事件を起こす。こうしたものは、一般人の興味をそそる。
 
実際に、世界で起きるスキャンダルは、実に多くの生々しいヒントに溢れている。
耀いていた有名人が、その栄光の座から滑り落ちる経過のストリーは、特に人気が高い。
 
スキャンダル報道は、マスコミのドル箱的な存在である。
スキャンダルは、人をひきつけてやまない。
 
多くの人は、スキャンダルでつぶれた有名人に興味をもつ。
観客は、他人の失敗を楽しむだけではないし、覗き趣味だけでもない。
スキャンダルは、失敗への筋書きを、人々に教えてくれるから、興味深いのである。
だから、人々は、スキャンダル報道を求め、パパラッチの活躍の場も無くならないのだろう。
 
一般の人が望んでも望めない才能、富、名声などを、獲得したはずの有名人が、なぜ、それで満足せず、脱落してしまうのか?落し穴は、どこにあるのか?
見たり聞いたりの一般人は、さまざまな思いをめぐらすことができる。
 
有名人がこうならないためには、どうあるべきだったのか?などなど・・・。
 
多くの事件を報道するテレビ番組では、コメンテイターの質が重要だ。
コメンテイターは、説得力を持って共感するできるコメントを語れるかが、勝負である。