意識、無意識、自我、超自我という言葉は、心理学では重要な用語だ。心的エネルギーが消耗する病気、たとえばうつ病などは、文系心理学の表現をかりると、「普段、健康な時には、無意識から意識に流れていた心の流れが逆流して、意識から無意識に流れるようになる」と表現されているようである。
 
これは、医系の人間にとって、文学的表現と感じる。しかし、治療者(カウンンセラー)が、落ち込んだ人を前にした時に感じる思いを文章にしたものであろう。いづれにしろ、医系・文系に共通している現象は、「心的エネルギーが足りない」とした印象である。
 
医系の人には、脳内物質とかの言葉を出したほうが、理解しやすいのだが、それは、細胞や樹状突起や脳の機能がすでに頭に入っているにすぎないからだろう。
 
細胞になじみがなければ、文学的表現の方が、頭に病的状態をイメージできるという人たちも多いと思う。いすれにしろ、「足りない状態」の人を、「足りた状態」に持っていくことが、臨床科学を利用した治療である。医系、文系を問わず、治療として機能するかどうかが、勝負である。
 
そもそも、学問は、普遍的な事実を見出すもので、学ぶ人を集める必要がある。学生が集めらなければ、教授はいらない。
 
教授たる人は、一人の心理構造を、他者の心理構造にも応用させる技術を持たなければならない。共通の事実をみつけなければ、治療には応用できない。
 
「この人がこういう状態に陥ったのは、こういう理由です」にとどまらず、他の人の病気の治療にも応用できることが必要だ。つまり、人の心の共通現象をみつけていかなければならない。
 
そうした意味で、弟子を多くかかえる先生は、その立場を保つために、普遍的でかつ新しい事実を見つけて、弟子たちに示さなければならない。それがなければ、弟子はどんどん離反していく。
 
フロイドもユングも、精神分析の専門家としての立場を維持するために、苦しい努力を要したであろう。彼らは医者であり、科学者でもなければならなかった。
 
当時は、解剖学などが進歩し始め、臨床医たちも、病気の原因を証拠立てて論じることに、夢中になっていた。しかし、人の心と、その病気を解明するために必要な脳細胞の機能の知識が無かった!いくら顕微鏡で、脳細胞の形をながめても、実際の働きがわからなかったのである。
 
当事の医学者たちは、考えても答えのない多くの疑問に悩まされていただろう。フロイドの理論が、時代とともに大きく変わっていくのも、わからないものを相手にしながら、試行錯誤を繰り返した結果と思われる。彼らは大学の教授として、超専門家でいなければならなかった。
 
病気の原因はわからなくても、病める病人は多くいて、病人たちは、医学部教授に最新の治療や答えを熱望した。
精神を分析できる人との評価のあったフロイドやユングたちは、病気の根源となる医学的事実を発見しようとした。しかし、推定に頼る作業は困難であったろう。
 
フロイドもユングも、後の時代の医師たちから一定の評価は得たものの、酷評もあった。フロイドは独断と偏見の塊とみなされ、ユングはオカルトと評されるようになった。
 
名声もありお弟子さんも多くかかえる立場の医師であれば、信念は強くなる。加齢すれば悪い意味での頑固さが強くなる。こうした傾向は、しかるべき立場にいた男性に多く見られ、いつの時代にもこうした人はいて、ご本人は気づくことができない・・・・ 。
 
さて、ユングがオカルトっぽくなっていく経過を、河合隼雄著「昔話の深層」にさがしみよう。(赤字が引用部分)
 
 
昔話の連絡役として登場するのは、蟹とか蛙とかである。これらの動物の特徴は、水陸共用であることのようだ。つまり、意識と無意識をつなぐ連絡係りの役割が示唆されていると言う。無意識の世界から、意識の世界に出てくるものとされているそうだ。
 
蛙は、冷血動物であるが、手が人間の手に似ているために、ユングによると、無意識的な衝動で、意識化されるはっきりした傾向をそなえるものだという。

ユングは、男性の夢の中に登場する女性像の持つ深い意義について気づき、それを心、あるいは魂の像であると考えて、それらの像の原型となるものを仮定し、アニマと名づけた。ユングの言う厳密な意味でのアニマは、無意識内に深く存在する元型として、われわれは見ることができない。
 
一人の男性が生きていくためには、男性としてふさわしい役割を身につけていかなければならない。彼は負けたからといってすぐに泣いたり、他人をうらやましがったりしてはならない。彼は自分の力で積極的に行動していかなければならない・・・・
 
実際、多くの男性は女性によって創造的な活動への刺激を与えられている。アニマは、男性を未知の世界へと誘う。しかし、それは危険な道である。内界に存在する女性像が優位になると、男性はしばしば失脚する。男性が決断し、断行しようとする時、彼女は迷いの言葉をささやく。
 

うーーん、そうなんですか?!
 
このあたりの記載は、現代社会においても、女性が男性を理解するための大事な資料とすることができる。男性は、何か、「人生に足跡を残したい」と願う傾向が強く、そのために努力をするし、苦難にも耐えようとする。
 
男性は、理想を追求するために行動し、いくつもの顔も持つ。失恋は、単に女性を失うことでなく、その女性から選ばれなかった自分自身が情けないと感じて、そこが落ち込む原因である。
 
男性自身でつくりあげた女性像は、目の前の女性とは違っている。しかし、そのギャップを、目の前の女性に感じさせないような計算された優れた頭を持っている。女性にとって、男性が言うことが違うように感じられても、どれも男性の本音でもある。