昨日のブログの続きです。
フロイドの時代のヒステリー症状の典型例は、意識を失う、倒れる、四肢の麻痺(手足が動かなくなる)・手足の振え・情緒不安定・知覚障害・運動障害(失立失歩)・不安感・対人恐怖・強迫観念などでした。
今の感覚なら、意識を失うなどは、相当に強いヒステリー症状かと思います。脳神経学的な異常がなくても、脳が、「お前は立てなくなる!、動けなくなる!」と指令を出すのですから、実際に体はそうした状態に陥ります。
パニック障害に似ている症状かと思いますが、当時のヒステリー症状は、現代人ではめずらしい程の激しい症状だったでしょうし、周りの人にこのまま死んでしまうのではないかとの脅威を感じさせるようなものであったと思われます。
当時は、髄膜炎、脳炎、ポリオなどの感染症などもあって、脳や神経の症状は、診断手段がなく、人々は恐れたと思います。そして、意識がなくなる、倒れるなどの症状は、診断が無いまま亡くなる人も多い時代でした。
当時、脳神経学の知識も進んできていて、神経細胞が消えてしまうこと、働かなくなる病気があることは知られていました。今に言う変性疾患としての神経難病です。しかし、こうした病気は、死亡後、解剖などをして病理学の医師らが診断することのできる病気でした。生前に診断がつくことは無かったと思います。
現在も治療法のない難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)の存在は、19世紀にシャルコーという医師により発見されていました。これは、脊髄神経細胞が消えていき、体が動かせなくなり、呼吸ができなくなり死亡します。脊髄の神経細胞が消え、神経軸の束も消えていきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%8B%E8%90%8E%E7%B8%AE%E6%80%A7%E5%81%B4%E7%B4%A2%E7%A1%AC%E5%8C%96%E7%97%87
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こうして実際に神経細胞や軸策が消えていく病気ではなく、似ているようで似ていない病気がヒステリー症状でした。体が全く効かなくなってしまうような症状が、心の問題だけで起きてきます。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)など、証拠が示せる病気を器質的疾患と呼びます。多くは、元に戻ることのできない病気であり、医学の進歩により明らかにできた病気です。
一方、神経細胞は働けても、体が動かないと感じてしまうような病気は、機能性疾患と呼ばれます。
人の脳は、どのような身体症状を起こすことも可能です。呼吸や脈を早くしたり、脳が歩けないと体に命令すれば、体は動かなくできます。心の葛藤からくる病気は、他人に知らせたいと望む部分があります。
体の症状を出すことで、救われる状況になることもあります。しかし、しばしば、神経内科医は、解剖学で説明できるマヒの状態ではない、つまり、患者さんが編み出したマヒであることを、読み取ります。現代なら、テレビなどの本物でないマヒ症状を見ることがあります。
フロイドの理論が、年齢により変化していったことは、彼が臨床医であったことを考えると当然でした。
この頃、医学理論も進みましたし、科学的に明らかにされた新事実を軸に、彼の理論が変化していきました。また、一人の患者を何十年にもわたって観察できれば、その臨床経験は、新たな理論を生み出すソースともなったでしょう。
彼は、涅槃論理というのをもっていましたが、有機体としての動物の究極の望ましい姿を指すものでした。その状態とは、あらゆる緊張を解き放って、安定した状態になっていることのようです。涅槃状態では、過去の葛藤や感情に悩まされることがないそうです。フロイド批判の中には、彼の涅槃論にも及びます。
「葛藤がない状態では、人でないのでは?」との批判が学者から起きています。フロイドの理論に批判が多いのは、むしろ、それだけ、人々の注目を浴びたということだったのでしょう。
フロイドのクリニックに来る人は、今の精神科治療より、強い症状をかかえ、かつ生活には困窮していなかった人たちでした。しかし、裕福であるが故に、わがままであり、心のコントロールが破綻し、多彩な症状を出していました。
心の葛藤から起きてくる症状は、どんなに症状が強くても、治療者と信頼関係が築ければ、回復可能な病気でした。
フロイドは、長い時間をかけて治療をしていたようです。そうした診療を通じて、患者さんたちは、何らかの満足感をつかみ、治療効果につながったと思われます。
当時の患者さんも、人間関係がうまくいかないとか、環境に満足できないなどの、現代人と類似した問題を抱えていました。周りから受け入れられていないと感じる不安・不満は、いつの時代でも人の心を悩ませるものです。
治療者(医師)が、患者さんの心を理解し、患者さんが、受け入れられている、認められていると感じ始めると、治療効果につながります。フロイドは、長期にわたり優しく根も込めて、見守っていたようです。そして、その経験と成果を、膨大な著作につなげました。
当時の精神分析は、長い時間、医師と話しができる環境があったのでしょう。長い治療を通じて、患者さんは、自己洞察力を高め、悩みの元を自然に忘れるスキルを身につけ、あるいは克服していけたのでしょう。
悩みは、部分だけを無くそう、無くそうと考えても、あせる気持ちにとらわれている限り、つきまとわれてしまうものです。脳内にあせる回路が広がります。
しかし、精神科的治療はいつもうまくいくとは限りません。脳の変性的な要素が加わり、神経細胞が消えていく場合もあると思います。治療者(医師やカウンセラー)との交流を通じて、患者さんが、望ましい方向に向かったものの、一方で、新たな治療への依存が生じてしまうことがあります。
フロイドは、患者さんに対して、精神分析を終わらせることの難しさを言っています。カウンセリング、精神科治療や投薬をどの時点でやめるのかは、今も精神科領域の難題であろうと思います。
神経細胞は、お互いに活性化と抑制のバランスがとれていることが正常で、そのために膨大な神経軸が機能しています。薬や精神科治療が脳神経興奮のバランスを保つ足場を提供していた場合は、その足をはずすための判断は、むずかしいものになりそうです。