ネーチャーにレター(レター形式の小論文)がありました。その内容は、類人猿(チンパンジー)から人へと進化する時点で、人がどのような遺伝子構造物を失ってきたかが書かれています。
 
人の全ゲノム解析が終了した時、人の遺伝子は、当初、10万個位との予想でしたが、実際には、2万2千個前後であることがわかりました。他の植物や小動物が、それより多くの遺伝子をもつことがわかっていたので、2万2千個前後の数は、以外な結果でした。実は、遺伝子は、数以外の部分で機能して、人を人たらしめていたのです。
 
生物には、遺伝子を失くすという進化の方法があります。つまり、できるだけ遺伝子構造を単純にして、生物体として生き延びるという選択肢です。微生物であるマイコプラズマがこの選択をしています。人は、生物進化の頂点にたちますが、猿から人への進化は、遺伝子の数を増やすという選択でなく、遺伝子発現を調節するという進化法を選びました。
 
ネーチャー論文では2011年月10日号、チンパンジーと人の遺伝子構造を比較し、人が、何を失い、何を得てきたのかを比較しました。人は脳が発達し、脳が人の行動を決めます。人の生存に生殖活動は必須ですが、人も他の動物同様、全能力を駆使して異性をひきつけようとします。しかし、人が安定した生活環境を手にいれた時、男女の役割は、変化しました。そして、その男女の役割の変化は、今もダイナミックに続いています。男女差は、生物学的には残っていても、社会的には希薄になっていきます。
 
子孫を残すには、男女の相互理解がさらに大事な状況になりました。昔のように、体力や富のある男性が、女性を威嚇することができなくなりました。そして、それよりもっと前に、男性の体から攻撃的な構造物が失われて行きました。
 
人の精神構造の特徴を考える時、人と猿の染色体構造の違いから、学ぶものがあります。
人と猿は、神経細胞をつくりだしてくる遺伝子部分の違いは大きくなく、むしろ、遺伝子の働きを抑えるしくみに違いが見いだせます。つまり、猿では細胞増殖を抑制する働きがあり、一定以上の神経細胞が産生されませんが、人では、この抑制がきかず、神経細胞の新生が起こせるようになったのです。
 
神経細胞が増え、そのネットワークも複雑化した結果、人はメンタルトラブルをかかえやすくなったわけですが、それを調節するためのしくみも進化させてきました。人は、前頭葉が発達し、その恩恵をうけるものの、そのバランスの乱れもが起きやすく、壊れやすい生き物にもなりました。心を通わせたい相手に、よいところを見せたいと望み、努力すれどそれがかなわず、挫折感や心の消耗を感じてきました。しかし、その代償として、立ち直るための脳構造も進化させました。
 
人と猿の違いは、遺伝子として働いている翻訳領域以外の部分の違いが大事です。遺伝子として、直接的に転写・翻訳にかかわる部分ではなく、それをコントロールしている非翻訳部分の違いです。論文では、人とチンパンジーやマカーク(猿の種類)を比較し、さらにマウスから霊長類に進化する過程にも触れています。
 
人とチンパンジーの塩基配列の違いは、37251か所であり、塩基の数では、34メガベース(全体の1.17%)に及びます。一方、哺乳類に共通して存在し、猿までうけつがれてきた塩基の大きさは、70メガベースでした。猿まで確実に受けつながれてきた塩基配列の583か所が、人では全く消失していました。人で無くしてしまったロス部分は、Y染色体以外のすべての染色体においてみられました(Y遺伝子の検査をしていない)。
 
論文の著者は、猿では存在するものの、人では失われた塩基配列を、hCONDELsと名付け、ここに注目しました。このhCONDELs部分の多くは、直接、遺伝子をコードしておらず、非翻訳部分として、翻訳部分の調節にかかわる役割を負っていました(イントロン部分が154か所と、インターゲニック355か所)。
 
hCONDELsは、ステロイド受容体関連遺伝子と、神経組織に関する遺伝子の周りに、多く散らばって存在していました。hCONDELsのうちの、39か所に注目して、精査しました。特に、アンドロゲン(男性ホルモン)受容体遺伝子ARが働く遺伝子近郊のそばの塩基配列を、詳しく調べました。
 
雄の体を特徴づける遺伝子の近郊には、アンドロゲン受容体遺伝子があり、これが刺激されると、雄は雄らしい体の構造となります。さらに、そのそばの非翻訳領域に、受容体遺伝子ARを増やしたり、減らしたりする調節のための塩基配列が存在します。hCONDELsの一つの例は、顔のひげと男性性器形成に関する遺伝子近郊の塩基配列でした。ARがしっかり働くと、ネズミや猿は、雄としてりっぱな体になります。ひげや性器が大きく、性器には小さなとげ構造ができます。一方、精巣をとってしまった動物の雄では、ひげが細く短くなり、男性性器は形態が変化し、小さなトゲ構造を欠きます。
 
人の染色体では、この部分の塩基配列を欠いています。つまり、この部分の遺伝子付近に存在するアンドロゲン受容体調節を失っていました。その結果、人は、ひげや、性器のとげを失ってしまいました。
 
GADD45G遺伝子という細胞のサイクルと、アポトーシスを誘導する腫瘍抑制因子の近郊にも、人と猿の違いがありました。この腫瘍抑制因子が働かないと、下垂体腺腫がおきてきてしまいます。つまり、この抑制遺伝子の働きが低下すると、神経細胞の増殖が高まるわけです。人では、この抑制が無く、神経細胞は、増殖しやすくなりました。

猿と人では、遺伝子の発現を抑えたり、亢進させたりする仕組みに違いがあり、人としての多彩な進化を可能にしたようです。