


供養に建立されたもので、それほど大きくありませんが国宝の指定を受けています
一層目の軒下にもう一つ屋根「裳階(もこし)」をつけた珍しい五重塔です(他には法隆寺がある)
また、この初層には心柱はなく、この層の天井上から心柱が立っていて、1階は仏堂になってます
毎年10月には塔内の拝観が出来る日があるそうで、四天王像が祀られているようです


もとは、聖武天皇の勅願で、盧舎那仏像(東大寺大仏)造立工事の無事を祈るために藤尾山観音寺と
いう寺号で良弁(ろうべん・東大寺初代別当)により開創された寺院でしたが、保延3年(1137)
に全山消失してしまいます
その後、笠置寺の貞慶僧正によって中興され、現在の 補陀洛山 海住山寺 と改められたそうです
近年まで奈良の興福寺(法相宗本山)の末寺でしたが、現在は真言宗智山派の寺院です








ここ恭仁京(くにきょう、くにのみやこ)と呼ばれ、大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)とも
よばれ、右京・左京を定め、大極殿を造営しますが、都を完成することなく、紫香楽京(信楽京)
へ移られ、また難波京へと転々と都を移り、また平城京へと戻られると、大変な作業を敢行!!
その後に出された国分寺の詔にのっとり、恭仁京の大極殿は山城国の国分寺の金堂になります
その脇には、立派な塔が建立されたといい、礎石の跡から七重塔だったと考えられています



