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   曇り空だったので暗く写っていますが、近寄るとこのとおりの朱色ですヨ

海住山寺(かいじゅうせんじ)五重塔

  健保2年(1214)に、中興の祖・貞慶(じょうけい)の弟子、慈心上人覚真によって貞慶一周忌

  供養に建立されたもので、それほど大きくありませんが国宝の指定を受けています

  一層目の軒下にもう一つ屋根「裳階(もこし)」をつけた珍しい五重塔です(他には法隆寺がある)

  また、この初層には心柱はなく、この層の天井上から心柱が立っていて、1階は仏堂になってます

  毎年10月には塔内の拝観が出来る日があるそうで、四天王像が祀られているようです

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   裳階(もこし)は、こんな感じです・・・これは、昭和38年に復元されたものだそうです

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     高さは、17mあまりでそれほど高い塔ではありませんが、いい感じです


補陀洛山(ふだらくさん)海住山寺

  奈良県に程近い加茂町(現在は木津川市加茂町)瓶原(みかのはら)を見下ろす三上山の中腹にあり

  もとは、聖武天皇の勅願で、盧舎那仏像(東大寺大仏)造立工事の無事を祈るために藤尾山観音寺と

  いう寺号で良弁(ろうべん・東大寺初代別当)により開創された寺院でしたが、保延3年(1137)

  に全山消失してしまいます

  その後、笠置寺の貞慶僧正によって中興され、現在の 補陀洛山 海住山寺 と改められたそうです

  近年まで奈良の興福寺(法相宗本山)の末寺でしたが、現在は真言宗智山派の寺院です

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   銅板葺きの屋根を持つ「文殊堂」は重要文化財です

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   山門の屋根飾りは、何だか賑やかですネ

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恭仁京跡

  天平年間、平城京では災害や疫病に悩まされ、聖武天皇は遷都を決意されて移ってこられたのが

  ここ恭仁京(くにきょう、くにのみやこ)と呼ばれ、大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)とも

  よばれ、右京・左京を定め、大極殿を造営しますが、都を完成することなく、紫香楽京(信楽京)

  へ移られ、また難波京へと転々と都を移り、また平城京へと戻られると、大変な作業を敢行!!

  その後に出された国分寺の詔にのっとり、恭仁京の大極殿は山城国の国分寺の金堂になります

  その脇には、立派な塔が建立されたといい、礎石の跡から七重塔だったと考えられています


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   この石列が、七重塔の礎石です