一殺多生・・・・。
「袖振り合うも多生の縁」とは今でもよく使う慣用句。
多生は他生と書くこともあるが、多少ではない。
この言葉の語源をご存知でだろうか。
実は、柳生一族の陰謀でおなじみの柳生家、
江戸幕府将軍家兵法指南役を務めた、あの柳生一族の家訓が原点なのだ。
柳生家の家訓には、こう記されている。
・小才は、縁に会って縁に気づかず。
・中才は、縁に気づいて縁を生かさず。
・大才は、袖振り合う縁をも生かす。
ここから「袖振り合うも多生の縁」という慣用句が生まれたようだ。
柳生というと表向きは兵法指南役、剣術の師匠だが
その実態は諜報機関の親玉、現代でいうところのCIA長官のような役割だ。
隠密、陰謀、ときには暗殺も行ったのではないかといわれている。
しかし、この家訓を読むと、人間主義的な、
人と人との出会いを大切にする家柄だと深く感じる。
一殺多生
この家訓「大才は、袖振り合う縁をも生かす」が
慣用句「袖振り合うも多生の縁」となるときに、
「多生」という言葉が付け加えられる。
「多少」と誤解し、「ちょっとした出会いも多少は何かの役に立つかもね」程度に
思っている人が多いのは、とても残念なことだ。
この「多生(他生)」という言葉はとても深い意味を持つ。
柳生家は平時には将軍家兵法指南役だから、
将軍やその子弟に剣術を指南していた。
ときには、
「余は剣術の稽古などしとうない! なぜ、人を斬らねばならんのじゃ!
人を斬れば、痛いじゃないか、そんなことはしとうない!!」
・・・のようなわがままな子弟もいたことでしょう。
そんなとき、あなたならどうするでしょう。
柳生家の人はどう応えていたかというと
「若君、それはですな、我が柳生家には、こういう言葉が伝わっている。
『一殺多生』
・・・多くを生かすため、他を生かすために、一つを
斬り捨てなければならないときがあるのです。悪いことをしたものを許すと
また悪いことをして世のため、人のためになりません。
皆を守るためには、心を鬼にして一人を斬らねばならぬ時があるのです。
若君は人の上にたつ御身。そのときに備えて、今、剣術の稽古をするのですぞ」
と、まあ、こんな感じだったのではないかと私は思う。
すなわち、「一殺多生」は柳生家の理念だったのだ。
本日お会いするのは、業界で崇拝する三人の方の中のお一人だ。
明日のセミナー前にお時間をつくって下さった。今日は弟子入りを嘆願してみる・・・。果たして・・・。
ランチェスターであるべきと後押ししてくれるようなこのお方の言葉が肝に響く・・・・。
今宵は楽しみだ・・・・。
明日はこの方のセミナーを受講した後移動して、韓国人の美容師に向けてカットセミナーをしなければならない!
すばらしいご縁に感謝!!