当たり前こそ、暮らしの物語  | .

当たり前こそ、暮らしの物語 

【さりげない家族の毎日こそ、暮らしの物語かな】

実家で両親と過ごすようになって3回目の夏。

ようやく、父と母の暮らし方のルールにも慣れてきた。

毎日が何の変わり映えのしない2人だけの日常は、さぞかし退屈であろうと見守ってきたけれど、これがこのルールの中に突然飛び込むと結構なストレスになる。

昭和の生真面目な世代なので、几帳面、丁寧なのは言うまでもなく、働きがまさに最上の喜びとばかりに、まめに動き、そこまでするかと言わんばかりまで手を抜きません。

そんなわけで、

朝5時には起きる私ですが、7時ちょうどには階下に降りて、まずは部屋中の床掃除。
箒ではいて、角やさんの隅々まで雑巾掛け(これ気持ちいい)。

スリッパを履かずに足の裏が気持ちが悪くないように小さな、小さなゴミも無い床に仕上げます。

父は、庭の掃除と昨日のゴミのまとめ。

その後仏壇のお世話。

朝食準備と片付けは私の役割。

これが一通り済むのが、8時30分頃。

このルーティーンが狂うと、
私まで何か流れが違ってやりにくい。

人と人が一つ屋根の下で暮らす、
まさに暮らし道とは、
こう言う事なのだ。

互いにストレスを感じないために、
そこに生活している人々の心を曇らさず、過不足ない日常が一番幸せなのであろうと理解する事。

これ、

きっと、嫁だったら難しいなぁ。
毎日出勤の仕事人時代にも辛いなぁ。

今だからできる、
相手の心を曇らさないために、
グッと言葉を飲み込み、
無駄な諍いは避ける。

この事で、コルチゾールを増幅させずに済むかと思うと、確かに損はない🤣

人が生きていくには、
お手本が必要だし、
親はまず一番初めのお手本であったに違いない。

お手本の模倣から自分の在り方が形成されてきたはずなのだから、先方にもある程度責任を持ってもらいたい。

もちろん自分にも言い聞かせてます🤣

ですので、

しっかりと「生き切って」頂かないと困るのです。

と、

私からも、
暮らし方のルールとしての意見を言わせてもらっております😁

さあ、

今日からまた、
大切な仕事のために、
走ります。

急足し程度にしかならないかもしれませんが、やるべき事が山積みだから。

大切な人達と、
#永続のための継続 作業を続けます。

AIな私でごめんなさい。

#キレイな日本人プロジェクト
#身近な人からの幸せを
#伝統美養塾