いろいろ思うことを書いておこうと思う。
私の中では次のステップだとか、変容への加速を感じている日々です。
なんというか、今日はとある用事の帰りに、時折寄って帰る駅の壁に触れたくなった。
これは土だか、砂だかわからないんだけどすごくリアルに描かれていて、
こう塊になっているところとか、触れたら崩れるんじゃないかと毎回そわそわして触れてみるものなのですね。
…結果的には何も起こらないんだけど。
どうやら、これはトリックアートっていうやつらしくて。
奥に繋がる通路はこんな感じなので、ごく普通なんだけど、
改札前にあのような砂のアートがあったら驚くよねぇって。
…いろいろ今日はインスピレーションが沢山ふってきている日で。
あれが土なのだか、砂なのだか…どちらでもいいことなのですが、そうやってはこれはこれと二元的な物事で
結構見ていることが人って多いのかもしれないなって思うのですよね。
心だったり、真にインスピレーションで感じたものが世界として構築されていくんだな。
私の中では、ここ2日くらいで感じているのが、リミッターは外し ですかね。
何、マリーユさん、必殺技でも出すつもりなの?
そうだね、だんだんと覆っているものをほどいていくとただの肉体になっていくんだけど、
同時に諸刃の剣とかのようなボロボロの状態になっていくからそれがとても痛々しく感じるけれど、
意識が痛いという方向にいってしまって、どうも本質的なものって意識を超えていかなんなんきゃいけないところに
あるみたい。
というのを感じていたところですかね。
まるで、魂の裏蓮華 とも呼んでおこうかとも。
リミッター外しをする というと、リミッター外しをしようという目の前に引きずられていくことが
あるからなんだか同時にそのトリックにハマっているとさえも気が付かないというか、
本質から失っていっているようにも見えて。
ここ2年くらいわりとその時々で対峙してきた、恐れに対する意識も似たようなもので、
恐れを解消しようとして恐れを克服しようとしても、むしろ恐れにひきづられていく一方で苦しくて。
見方を変えるようになったら、一時的にも救われるという経験したりしたから。
これがフラワーエッセンスのセラピストの場合だったら、どこの範囲の領域を扱い導くか、腕の見せどころといってもいいのかもしれないです。
その過程に飲み込まれすぎず、自らの存在を消すとか感じなくさせる…みたいな(感情的にフタするのではなく、
ただ、ながれるままに遊ばせてやるというか)
だったら、愛からいった方が早いとか、祝福からいった方が早いとかいくらでも方法はあるだろうけど、
最終的には思いだとか自らの存在ごと溶けてしまったり、吸収されてしまったり…
人は、苦しみの果てに最終的に安らぎに落ち着くのか、降参した果てに自らに導かれていくのかとも思えることが
自然なことなのか、とも思う。
自然に神を見出すなら、自らも神の一部であり、とても自然だということ。
以前に、フラワーエッセンスの講座で資格を取りにいった時に、自分がそこにいなくなったとき本当の思いが見えてくると
師が言っていたのを覚えていた記憶を感じていて。当時はよくわからなかったけれど、今はそれが理解しつつある…
と言える。
愛の視点で見なさいと言われたことがだんだん分かりつつある。
…ひさびさにセッションの手ほどきやらのテキストを見返していて思ったことでもある。
いろいろと自動書記を今日は練習したりしていました。
感じるままに今の私のイメージとかを表されたものなのですが、炎ゆらめきのようなものにも感じるし、
エネルギーを取り巻く回転する雲とか水とかボールにも見えたり、そんな世界をハイヤーセルフが描いてくれました。
具現化の炎とかのインスピレーションなのか、最近新調した部屋着。
鮮明な赤ってとてもいいかも。もう衣替えという時期ですが、夏は和服みたいなのを着ていることが
多いな~と季節を感じるものでした。(部屋の中ですけどね)見た目は武家の子みたいな(笑)
だいぶ都内は暑くなってきました。