ここ最近のお話。
久々のブログ更新です。
最近とても忙しいのもあって、さらに転職活動もあって日に日に面接だったりする。
だけど、伝えられる情報だけ書き残しておこうと思う。
ツインフレームは、無条件の愛を注ぎ合う存在って確信した!って瞬間がありました。
これまでのMari-yuのツインあれこれな話はかなり断片的に描かれているものの、
自分の中ではなかなか書けるタイミングが難しかったりしたんだよね。
赦しブロック的なものを感じてたのは事実。
久々にツイン情報を調べていたのだけど、ツイン系の情報記事ってなんだか引力とかが働いているみたいで、
読んでいてぎゅーんと意識的に引っ張られる感じがするから、自分の領域を保った上で情報を確かめていった方が
エネルギー的にも平然としてられるのかもしれないって感じていた。自分の言葉で書こうって。
あえて読んでしまうとそうとしか結果が見えなくなってしまうから、多分私は自分自身の感覚を信じていたかったのだろうと
思う。
時差みたいなものを設けて、時間差で読むとすでにクリアしている問題だったりしてすんなり読み込めることもありますし。
少し前の記事でも触れていたものの、再びセリミール(セリー)と繋がる機会が最近増えてきたことあって。
出会った当初はツインフレームの存在感を強く感じていたところ、ほぼ連絡を取らなかったのは1年半くらい。
そんなこんなで3年ちよっとの月日が過ぎて…
けれど、最近はお互いサイレント期間が空けたと認識しているみたい。
「必要なものがあったら言ってね?」
って最近よく自分がセリーに向けて伝えている台詞でもあるのですが、なんだか私自身はまるで地上の天使みたいな台詞だなって感じました。なぜか、 それは私自身も別の何かを通して、そう伝えられることがあったからだなと認識している。
そう、昨日セリーから頼まれものであるものを買い付けに行ったりしていて。
「もうそのパーツが廃盤になるかもしれないから、今もその店はあるかわからないけど、見てきてほしい。」と。
運よく、そのエリアだとか場所にいることがシンクロしていて、ちょうどLINEとかもつながっていたのでラスト数個のところ入手できたりしていて。
何気に現地中継をしていることがあったり。
もちろん、セリーには遠方で距離的なこともあるので、私の場合が動きやすいのは確かだったりしますね。
共同には最適なんだろうね?
ふと買い物中に思ったのですが、ツインフレームの無条件の愛について。
私の実体験とかを語るならば、それは真面目な愛なんだなって。変わることのない神聖な愛と呼んでいる人もいたりするよね。
ちょっとやそっとでは切れないような絆みたいなもの。
男女の友情とも言えるし、多分友達にしては特別感があるものなんだなって思ったりしています。
しかし、それ以下でもそれ以上でもないような、信頼が先行していると、いうんでしょうかね…?
これがなんだか、嫌だなぁとか、嫌なのに嫌って断りきれなくていやいやながら答えるコミュニケーションもないというか、
依存的な感情もなくて、ただただ何だろう、暖かいというか、そこに理由はいらなくて、見返りもなくて。
愛なんだなって 感じさせる部分が多くあったんだなと日々思い出されている。
きっとこれが無条件の愛。
かつて? “私の聖杯になってください” ってセリーから言われたことがあったのですが、
…よく分からずにいて。
それは、私じゃなくて、私を通した先の世界を見ていて話しをしているなって。(やっと最近分かってきました)
意識を超えたレベルで話をしてるから、意識が先行している状態だと、人間的な思考が働いて良くわからなくなることもある。
あなたが欲しいのは、その先にある何かなんでしょう?本物が欲しいんでしょう?って脳裏から降ってくるのが聞こえて。
自分じゃ、選べない意思みたいなものをどこかしらで認識しているわけで。それが神聖な愛でもあり、ツインフレームなのかもしれないって。
それは、どちらかが聖杯というだけではなくて、どちらも愛を注ぎ合う神聖な聖杯なんだよって☆
今なら、言えるよ☆