俵山温泉に写真を撮りに行くきっかけになった新聞にはこうあった。
「長門市の俵山温泉そばにある麻羅観音下で、小川沿いの紅葉が色づき始めた」。
この記事と載せてあった写真を見て紅葉を見に行くことに決めたのではあるが、見てみぬふりをしつつも「まら」という語感はやや引っかかっていた。
「麻羅」とは本来の意味では「仏道修行を妨げ、人の心を惑わすもの。」(広辞苑)だそうだが、一般的には男性器の隠語としての認知のされ方が強いだろうし、例に漏れず自分もそうである。
漢字に変換することをイメージしたことはないが、あの「まら」なのか?
古代の遺跡にもソレをモチーフにした遺物や彫刻が残っていることもあるし、ソレを奉っている神社もあったような気がするが、やはり関連するものなのか?と。
ともあれ、紅葉目当てだったのは間違いないが、記事に従って目指すとどうしても探さざるをえないのはこの「麻羅観音」である。
そして案の定これだ。
う~ん、イラストからしてもう。
何が「日本一」なんだろう…。
聞いたことが無かったのは本当だが、もしかして全国的に有名なのか?
県内でも知らないことはたくさんあるものである。
尚、ここには紅葉を堪能した後に足を運んでみた。
駐車場使っておいてお参りもしないんじゃ不義理だしね。
なんだかやはりすごい所である。
石や陶器、木で作られた逞しいものがニョッキニョキ。
気後れしてしまうじゃないか…。
がしかし、この社が建てられた所以は下ネタでも何でもないことには触れておきたい。
戦国時代、陶晴賢の謀反によって大内義隆が湯本温泉にある大寧寺まで追い詰められたのは有名な話だが、どうやら息子の義郷は捕らえられた際、男児である証拠として性器を切り落とされたらしい。
それを哀れんだ里の人たちが社を建てたそうで、子宝成就、安産祈願で訪れる人が多いそうな。
見た目は公然猥褻そのものだが、そこに宿る思いは悲哀と慈悲に富んでいる。
アレの形をした願掛けの陶器には「元気な赤ちゃんが生まれますように」との願いが書かれていたし、それを見ているとこれだけの数のアレに囲まれていても一緒に祈りたい気持ちになってしまう。
そんな真摯な願いを携えてお参りに来る人も多くいるのだから、いくらネタにしやすいとはいえ、この社とそこに捧げられた祈りをを軽んじてはいけない、貶めてはいけない、汚してはいけない。
しかしだ。
人がいないのをいいことにこういうことを平気でする馬鹿共もいるのだから困る。
真剣に願い事をしにきたのであればこうしたことはできないと思うのだが。
絵馬にでも書くのならともかく、これは完全にアウトだ。
何をしに来たんだお前達は。
こういう品の無い落書きが多かったのは非常に残念だった。
地獄に落ちろとまでは言わないが、因果応報という言葉もある。
せめてこれがどういう意味を持つのかぐらいは考えられる人間にならないと、いずれ仏罰も下ろうというものだ。
神仏を信じる人間ではないけど、やっぱりこういうのは見てて気分が悪いね。
たとえ性器をモチーフにした社であっても、人が希望をもって一生懸命祈りを捧げる場所なんだから。
せめてこの「りょーへい」「ゆうこ」カップルはじめ落書き犯達には、こけて肥溜めに落ちるぐらいの天罰はくだっていてほしいと思う。
ちなみに肝心の俵山温泉のことをまだ書いてないので、もう一度改めて記事書きまーす^^




