都知事の石原が「津波は天罰」などと吐かしました。


都の舵取りをする者の、いえ、人としてこの発言は許されざるものだと思います。


罰とは罪を犯したものに与えられるもの。


天災において無条件・無差別に奪われてしまった命に対して使うにはあまりにも軽率であり、不適切であり、冒涜に値するものです。


もとは年金等の不正受給問題に端を発した発言のようですが、それでもふざけたことを吐かすなと言いたい。


なぜそこでその問題に言及して日本人のアイデンティティを問う必要があるのか。

ましてその責任を今回の被災者に転嫁する必要があるのか。


今必要なのは被災地への激励と早急な対応のはずなのに、それどころか津波の死者と打ちのめされた人を侮辱している。


その意味で、感情的な意見を述べるなら、まずはこいつが人柱になるべきだったと思います。


困り果てている人への配慮すらできない人間に首長たる資格など無い。

また、この問題には原子力発電所の問題も絡んで述べたいと思います。


津波での原発被害をも天罰に含めるのであれば、東京での消費電力の発電の多くを東北地方の原発に任せ、リスクなど負ってこなかった東京都の首長が何を言うのかと思います。


どうしても天罰だと言いたいのであれば、それは原発に関連して、技術力を過信し、利権を重視した東北電力、東京電力及びそれらを推進する立場にあった人間に対して使われるべきでしょう。


もしもの時に対する備えなど、現状を見る限りできていなかったではありませんか。


この期に及んで「そんな大きな地震がくるとは想定していなかった」という言い訳は、人々を放射能汚染の脅威に晒し、実際に被曝もさせた罪の前に余りに無力なことでしょう(尤も、今も自らを危険に晒して事態の収拾に努めている方を非難するつもりはありません)。


まして石原もその技術力を過信し、「東京湾に原発作っても大丈夫」などと言ってた人間です。


凝り固まった偏見と価値観の上に、多くの人を危険にさらす可能性を充分に持っているわけですよ。


そんな人間がどうして首長であって、今の災害を俯瞰して「天罰」などと言っていられるのか。


作家にしてあまりに想像力が乏しく、首長にしてあまりに軽薄で、人としてあまりに人間性を欠いていると言えるでしょう。


今回の被災者が日本人を代表して我欲を洗い流すための犠牲になったのであれば、それ以前に思い上がりの塊のようなこの男をまずは日本から洗い流してほしかった。


本当の天罰は、いずれこうした人間に下されると思います。


今はとにかく東北と東関東を中心とした被災地への救助と援助が第一なので、「天罰」問題はともかく事態の進展に応じた迅速な陣頭指揮を執ってもらわないと困りますが、然る後、必ずこの発言は尾を引くことでしょう。


諸外国への頑なな態度のみで支持されてきた部分が大きいと思いますが、次回の東京都知事選、東京都民の方は今度こそ選択を誤らないでいただきたい。


もはやこいつの凝り固まった価値観は現代にはそぐいません。