さささ寒い…ですね…。
油断一瞬風邪一週間。
油断せずに健康維持、頑張りましょう。
前と同じように、過去の写真を引っ張り出してきてブログ書きます。
昔飼ってた愛犬コロちゃんです。
今は天国ですが、美人でしょ。
以上、ちょっと自慢したかっただけです。
飼い主バカ万歳。
以上…というだけではつまらないので、エピソードを一つ(長いよ)。
この子は小2の時に近所の知り合いのおうちからもらわれてきて、それからの13年間一緒でした。
自分自身は一人っ子だし、家は共働きなので、かなり多くの時間をこの子と過ごし、ある意味一番素直に心をオープンにできた相手の一人…一匹だったと言えます。
そんな子が年を取って、最近元気がない、もう1週間近く何も食べてないと親から連絡をもらったのが、出会って13年目、大学3回生のとき。
大学は奈良で、一人暮らしをしてましたが、冬休みにも入った直後のことだったので、飛んで帰りました。
もしかしたら帰ったときには息絶えているかもしれないとの不安はかなりありました。
が、帰ると痩せ細って丸まりながらも静かに息をしている姿がありました。
少し安心して、その帰省期間中はできるだけ傍にいるようにしました。
肉の無くなった筋のような足の感触を今でも覚えています。
ですが、残念ながら奈良で外せない用事があり、2、3日しか帰省できなかったため、後ろ髪引かれる思いで奈良に戻ったわけです。
その翌日、この子は息を引き取りました。
帰省する時点で分かってはいたのです。
今生の別れになるであろうことは。
奈良に戻る時だって、もう会えないんだろうと頭では分かっていました。
でも、もしかして、最期に一目会うために一握りの生命を燃やして待っていてくれたのかと思った瞬間、眼の奥のダムは決壊したのでした。
男泣きに泣く中でもぐるぐると走馬灯のように思い出は蘇りました。
物心付いてから初めて飼った犬だっただけに、喪失感は半端ではありませんでした。
だけど、ここで確信に至った思いがありました。
それは、長い間連れ添ったペットは、時として、専ら大事なシーンで人の心と行動を読み取るように動くということです。
ちょっとスピリチュアルだと言われるかもしれませんね。
ですが、この子は正にタイミングを見計らったかのように、僕が帰ってくるのを待って、自分の姿を飼い主に焼き付けてから天国へと旅立ちました。
それは事実であり、この一連の流れを僕は一生忘れることはないでしょう。
悲しみは半端ではありませんでしたが、残してくれた思い出も半端ではありませんでした。
その悲しみさえも、それを乗り越える強さを手に入れるための要素と考えると、ペットが僕達に与えてくれるものは大変多く、無駄なものは無いんだ思います。
ペットロスになる飼い主の気持ちも分からないではないですが、やはりそうなってしまっては、最後の最後で旅立ったペットも浮かばれないでしょうから、本当にペットのことを思うなら、これは克服しなければならないことではないでしょうか。
しばらくしてまた帰省した僕は、荼毘に臥されたこの子の骨を親から渡され、庭に埋めました。
小さい骨壷を手にとって、冬の晴れた空の下、やはりさめざめと泣きました。
今考えると、相手が言葉を持っていない動物だからこそ、知らず知らずのうちに、でも必死で心を通わせようと飼い主は努力するのかなと思います。
人間にあてはめるのは間違いかもしれませんが、ペットとの関係のように、スキンシップや言葉意外での感情表現など、ノンバーバルな部分にこそ、もしかしたら人とも仲良くなるヒントがあるのかもしれませんね。
来月2日にはこの子の命日がやってきます。
ひいおばあちゃんの命日も記憶が怪しいところがあるのに、いいのかこれで(笑
命日には線香でもあげてやろうかなと思います。
お前をまだ忘れてないし、忘れないよってな具合です。
最後に、最近は卯年にあやかって兎を飼う人が増えたようですが、どうかその子たちが憂いを見ないよう、幸せな関係が築かれていくことを願いたいと思います。
