6月に入りましたね。
私にとって今年の6月1日は意味のある日でした。
昔から一度は働いてみたいと思っていた出版社にめでたく入社したのです
まぁいわゆる転職ってやつです。かなりポジティブ転職、快挙快挙! ほんとの勝負はこれからだけどね。
そういえばマルティーヌ・シットボンが新ブランド『リュ・デュ・メール』で復活しましたね。この大歓声!↓
マルティーヌ・シットボン、ファッション業界の人ならご存知ですよね。私は彼女の作る高級感のあるパリジャンテイストにカジュアルさを加味したスタイルが好きでした。2年前に彼女のシグニチャー・ブランドが閉鎖され、パリにあった直営店もなくなってて、、、高校生の時「流行通信」で彼女のライフスタイル記事を読んで以来好きだったので残念だったのだけど、このたびめでたくファッション界にカムバック!
『リュ・デュ・メール』は、香港の投資家、ジミー・チャンが出資する新会社から発足したブランドで、ブランド名は本社オフィスのある住所からとったそう。7月にはパリにショップもできます☆クリエーションを追求するパリのデザイナーは、時々その才能とビジネスとのバランスに亀裂が生じることも。。ファッション業界の厳しい世界では、せっかく華々しくデビューしても数シーズンで消えてしまうデザイナーも多いのが現状です。それに昔はデザイナーという職業が神のように崇拝されていたけど、最近はCEOや投資家、株主などなど、経営陣がファッションコントロールしている傾向がありますね。でも、マルティーヌ・シットボンが帰ってきたのは嬉しい。自分の信念を貫いて、悔いのない人生を歩んでほしいです。
私も今まで渡り歩いてきた会社では、全て何かしらファッションに関わってはきたけど、やっとこれからって感じ。思えば2歳からファッション画を書き始め(相当ぐちゃぐちゃ)、小学生の頃は頼まれてもいないのに学級新聞を発行し、中学3年の忘れもしない9月15日に本格的にファッションに目覚め、高校2年の時にみた「スタジオボイス」のファッションエディター特集でファッション雑誌の編集者になることを決め、、、23歳で半年間両親を説得して上京し、初めて給料をもらった仕事は「CanCam」の米倉涼子&伊東美咲が登場の某デニムブランドのタイアップ、24歳からは上司を説得して毎年パリコレにひとりで通いはじめ、、、。
でも若かったんだよね
あの時は遊びもウルトラ派手で、いろいろつまずきました(汗)。今思えば遊びから学んだことも多かったから結果よかったんだけど、ちょっとキャリア的には遠回りしたかな。で、近年何が本当はやりたいの?って思ってやっぱりファッション編集がやりたいなって思ったわけで。でも一時編集からIT系の仕事にシフトしてたから復帰に自信がないし、内定もらったのも嫌いではないけど残念ながら今や落ち目のWEB媒体(昔、一世風靡、死語!)で。でもファッションが一番やりたいのだけど、他のジャンルもやりたくないわけでもなかったし、とにかく編集がやりたかったのです。(でも結局ファッションをメインにやらせてもらって感謝しています)
そうしたら意外に早くまた転機がきました。タイミングってほんとあると思う。あとは信念かなぁ。ずっと根本的な夢は昔から変わっておらず、ゆっくりゆっくり地味にだけど、段々やりたいことに近づいてきました。あとはなるべく脱線せずに精進したいところ
次はアパレルのメディア対応が前職とは雲泥の差!(展示会、ファッションショーなどのお知らせもハンパじゃない!そんなことで驚いてる私って素人?)でも私の他にもファッション担当が大勢いるし、媒体力もあるので大変そうだけどやりがいはありそうです。まぁどこでも何かしら問題はあるもんです。給料貰うんだから好きなことだけやれる仕事なんてない。でも次は時代感覚を吸収できるスタッフに囲まれながら切磋琢磨できそう!?
なんかババくさい話になっちゃったけど、とにかく今回の転職は私の中では“成功”なのです! でも現状に満足はしませ~ん。まずは慣れろでコツコツ地道に頑張ろうと思います。そうしたらまたタイミングのいい時に次のステージが用意されるはず。転職はネガじゃないですよ。迷って悩んで現状に甘んじているほうが人生もったいない。
私にとって今年の6月1日は意味のある日でした。
昔から一度は働いてみたいと思っていた出版社にめでたく入社したのです

まぁいわゆる転職ってやつです。かなりポジティブ転職、快挙快挙! ほんとの勝負はこれからだけどね。
そういえばマルティーヌ・シットボンが新ブランド『リュ・デュ・メール』で復活しましたね。この大歓声!↓
マルティーヌ・シットボン、ファッション業界の人ならご存知ですよね。私は彼女の作る高級感のあるパリジャンテイストにカジュアルさを加味したスタイルが好きでした。2年前に彼女のシグニチャー・ブランドが閉鎖され、パリにあった直営店もなくなってて、、、高校生の時「流行通信」で彼女のライフスタイル記事を読んで以来好きだったので残念だったのだけど、このたびめでたくファッション界にカムバック!
『リュ・デュ・メール』は、香港の投資家、ジミー・チャンが出資する新会社から発足したブランドで、ブランド名は本社オフィスのある住所からとったそう。7月にはパリにショップもできます☆クリエーションを追求するパリのデザイナーは、時々その才能とビジネスとのバランスに亀裂が生じることも。。ファッション業界の厳しい世界では、せっかく華々しくデビューしても数シーズンで消えてしまうデザイナーも多いのが現状です。それに昔はデザイナーという職業が神のように崇拝されていたけど、最近はCEOや投資家、株主などなど、経営陣がファッションコントロールしている傾向がありますね。でも、マルティーヌ・シットボンが帰ってきたのは嬉しい。自分の信念を貫いて、悔いのない人生を歩んでほしいです。
私も今まで渡り歩いてきた会社では、全て何かしらファッションに関わってはきたけど、やっとこれからって感じ。思えば2歳からファッション画を書き始め(相当ぐちゃぐちゃ)、小学生の頃は頼まれてもいないのに学級新聞を発行し、中学3年の忘れもしない9月15日に本格的にファッションに目覚め、高校2年の時にみた「スタジオボイス」のファッションエディター特集でファッション雑誌の編集者になることを決め、、、23歳で半年間両親を説得して上京し、初めて給料をもらった仕事は「CanCam」の米倉涼子&伊東美咲が登場の某デニムブランドのタイアップ、24歳からは上司を説得して毎年パリコレにひとりで通いはじめ、、、。
でも若かったんだよね
あの時は遊びもウルトラ派手で、いろいろつまずきました(汗)。今思えば遊びから学んだことも多かったから結果よかったんだけど、ちょっとキャリア的には遠回りしたかな。で、近年何が本当はやりたいの?って思ってやっぱりファッション編集がやりたいなって思ったわけで。でも一時編集からIT系の仕事にシフトしてたから復帰に自信がないし、内定もらったのも嫌いではないけど残念ながら今や落ち目のWEB媒体(昔、一世風靡、死語!)で。でもファッションが一番やりたいのだけど、他のジャンルもやりたくないわけでもなかったし、とにかく編集がやりたかったのです。(でも結局ファッションをメインにやらせてもらって感謝しています)そうしたら意外に早くまた転機がきました。タイミングってほんとあると思う。あとは信念かなぁ。ずっと根本的な夢は昔から変わっておらず、ゆっくりゆっくり地味にだけど、段々やりたいことに近づいてきました。あとはなるべく脱線せずに精進したいところ
次はアパレルのメディア対応が前職とは雲泥の差!(展示会、ファッションショーなどのお知らせもハンパじゃない!そんなことで驚いてる私って素人?)でも私の他にもファッション担当が大勢いるし、媒体力もあるので大変そうだけどやりがいはありそうです。まぁどこでも何かしら問題はあるもんです。給料貰うんだから好きなことだけやれる仕事なんてない。でも次は時代感覚を吸収できるスタッフに囲まれながら切磋琢磨できそう!?なんかババくさい話になっちゃったけど、とにかく今回の転職は私の中では“成功”なのです! でも現状に満足はしませ~ん。まずは慣れろでコツコツ地道に頑張ろうと思います。そうしたらまたタイミングのいい時に次のステージが用意されるはず。転職はネガじゃないですよ。迷って悩んで現状に甘んじているほうが人生もったいない。