なかなか書けないと思っていましたが、
お友達や同僚の方、ご家族を亡くされた現地の方々からも、
ぜひ伝えて欲しい と言っていただいたので書くことにしました。
まず、松島から仙台、一関を経由して気仙沼に着いたのは夜。
その日のうちにいろいろな場所へ。。と思っていましたが、
海岸線沿いの、車以外での交通手段は断たれていて。。
しかも大幅に少なくなったバスの本数。そして行き先。
大変だなぁ。と思いながらも、未だに目に見える被害を感じていない状態だった僕は
正直、観光気分になっていたかもしれません。
そして気仙沼駅に到着。

先輩に車で迎えにきていただきました。
再会を喜び、
「いやぁ、待っている間に海の方へ行ってみようと思ってたんですけどねぇ。」
なんて。。。。
5分後にその発言を後悔しました。
ホントに、
駅近くは暗いけれど町。なんです。
そして、海の方へ車で走り始め、
少し坂を下っていくと、
すぐに崩れた…というかまるで解体中のような建物が増えてきました。
片側の壁は無く。
…?
隣の家が無くなってるんだ。。。。
え?
どういうこと??
なんだこりゃ?
うわぁ~。。。。
よくわからない状態。
これが、まだまだ最小限の被害くらいの話。。。。
気仙沼湾を迂回しながら走り始めると、
夜だから。。なのか夜だけど。。。なのかわからないくらいに
なにも見えない。

いや、何も無い。。
なにか強い灯りで照らされている方向へ。
鹿折(ししおり)地区。
見えてきたのは…

船。。
異常に大きい船。
写真では伝わりませんが、、、
本当に大きいのです。
10階弱のビルはある高さ。。。
先輩に聞いて、お祈りをさせていただいてから
車を降りて写真を撮らせていただくことに。
まず降りた場所は。

理解ができないのです。
先輩の家で地図を見てから、この写真の地区ある家、工場、建物の数を知って愕然としましたが、
この状況をいきなり見ても理解ができないのです。

ショックすぎて訳がわからないのに涙が出てきました。
津波の後の大火事。
流され、壊され、その後に全て燃えてしまったのですよ?。
写真では伝わらないのが。。。。
なんて言葉を綴れば良いかもわからないし、
鉢呂吉雄 元経済産業相が福島第1原発事故周辺を視察した感想を発言した、
「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない。まさに死の町という形だった」という言葉。
福島県には行っていないし、ごめんなさい。
被災されたの方々は、家があるのに帰れない!
なぜ!!!
と本当に悔しい想いをされていると思いますし、
その言葉は不快極まりなかったと思いますが、
ごめんなさい。
その言葉を思い出してしまいました。
表現は悪い言葉だとは思いますが、
僕の見たこの景色は
「死の町」と言える景色でした…
この時点ではまだまだ一カ所しか見ていないのに。
ごめんなさい。。。
書くのが辛くなってしまいました。。。。
気持ちや言葉を歌に変えて伝える仕事をしているのに、
事実を言葉に代えて伝えるということがこんなにまでも辛く大変なことなんですね。
ごめんなさい。
続きは何回かに分けて書かせていただきます。
まだ、今書いたことは、この地区へ来て初日の夜。の途中。。。