喜久雄は
私との事が有ってからも
週末には我が家に来たり
実家からほど近くに住んで居る
兄の多喜男と美奈子の
所には来て居ました。

その喜久雄も
年齢的には既に
夜間大学の卒業を迎える
年にはなって居ましたが
途中で学部を変更した為に
卒業が1年先送りに
なって居たのでした。

そして
喜久雄が昼間働いて
稼いだお金は、生活費として
叔母さんに預けて居たので
自分自身で使える様な
自由なお金は
殆ど無い様な状態でした。

そんな喜久雄の事を
不憫に思ってか
私の母親は喜久雄が
家にやって来ると
何かと理由を付けては
お小遣い程度の数千円の
お金を渡そうとして居ました。

そして
最初の1〜2回は
私の母が直接
喜久雄のポケットに
ねじ込む様にして
無理矢理に渡してましたが
さすがに、その後は
喜久雄からも断わられた為に
私の母もしかた無く
諦めざるを得ませんでした。

そこで、私が母に
大学生の喜久雄には
私の勉強を見て貰うと云う事で
毎週土曜日の夜に
2時間ほど勉強を教えて貰い
その家庭教師代として
喜久雄には幾らかを支払う
と云うのはどうかと
言ってみました。

すると母は
その私の提案に大賛成で
直ぐにもその家庭教師の件を
喜久雄にも伝える事となり
トントン拍子に事が運んで
次の週末からは、さっそく
私の部屋での勉強が
始まりました。

私としても
地井さんや靖子の事が
有って以来、気持ちが
落ち着か無い事が多く
気が散り易くなって居て
特に、勉強などの様な
自分自身の為だけに
集中する様な事が
難しくなって居ました。

その上
妹が亡くなってからは
葬儀や法事などの行事が
相次いで居たので
勉強などは、尚更
お座なり状態でした。

そこへ
私の提案とは云え
すんなりと事が運んで
喜久雄が私の勉強を
見てくれる事になったので
私としても
本当に喜ばしい限りで

「これで、少しは勉強にも
張り合いが出るし……
なんと言っても、
喜久雄さんと二人っきりで
勉強出来るなんて、
願っても無い事だなぁ……」

と一人で、ほくそ笑んで
居たのでした。

それに私と妹は
ずっと自分達で
勉強をして居たので
私は中学時代から
解らない事や苦手分野の勉強を
直に教えて貰える様な
家庭教師が居る友達の事が
とっても羨ましいと
思って居ました。

勿論
その当時、母に
家庭教師を付けて欲しいと
何度頼んでも

「お前や英子は自分で
勉強が出来るんだから、
自分でしなさい」

といつも断わられて居ました。

なので
今回も母は、当然
私の勉強の為と云うよりは
不憫な喜久雄の為に
少しでも金銭的に役に立てれば
と云う思いだけで
家庭教師の事を
賛成したのでした。

母にしても
家庭教師代と云う
大義名分さえ有れば
些少でも、公然と
喜久雄に対して
支払う事が出来るので
まさに、打って付け
だったのでした。

そんな母の思惑は
喜久雄には少なからずとも
分かって居た様でしたが
それでも、以前の様に
母から無理矢理
お金を渡されるよりは
いいと思ったのかも
知れませんでした。

私と喜久雄は
この家庭教師と生徒と云う
初めてのシチュエーションに
最初は少し戸惑いを覚えて
緊張気味でしたが
私の不得意な科目などを
喜久雄から
教えて貰って居る内に
その様な関係性にも
お互いに次第に慣れて来て
それなりに段々と
様になって居ました。

こうして週末には
私の部屋で私と喜久雄が
勉強する様になると
最初の内は、私の部屋の
向かいの居間で
寛いで居た家族達も
私達の勉強の邪魔になら無い様に
 出来るだけ騒がしくしない様に
気を遣ってくれて居ました。

しかし
ところが、この勉強も
2〜3回目ともなると
いつも私達の勉強が
始まる時間の少し前から
酒盛りが始まって居た
我が家の居間では
私達の勉強の時間が
1時間も経って居ない内に
既に賑やかになって居ました。

しかも
途中で母や父などが
勉強中の私達の部屋に
入って来ては、しきりに
喜久雄に対して
「早く居間に来て
一緒に酒を飲もう」
と催促して来るのでした。

しかし喜久雄自身は
「家庭教師代を貰って居る以上は
ちゃんと役目を果たさなければ」
と云う義務感からか
最初は必死に父や母の誘いを
断わって居ましたが
それでも、そんな両親の誘いを
そう無下にも出来ずに
結局、勉強は約束の2時間前に
切り上げる事となって行きました。

そうなると
次第に喜久雄も
家庭教師代を貰うのを
躊躇する様になったのでした。

当初から母は
お小遣い代わりとして
僅かでも喜久雄にお金を
渡したかっただけなので
それを喜久雄が拒む様に
なってしまっては
元も子もないと
思って居た様でした。

そこで
またもや私から母に
再度、提案をしてみました。

それは
私と喜久雄が静かな環境で
勉強をする為に、近所に住む
姉の美奈子と多喜男の家の
居間を借りるのはどうか
と云う事でした。

そして
勉強が終わり次第
また2人で家に戻って来て
その後に喜久雄はいつもの様に
皆んなとの酒盛りに加われば
全てが丸く収まると
提案したのでした。

この提案通りにする事で
喜久雄が家庭教師代を
ためらい無く受け取って
くれる気になるのであれば
と考えた母は、すんなりと
承知してくれました。

更には
この事を美奈子にも話して
勉強用に居間を使える様に
承諾まで取ってくれました。

美奈子と多喜男の2人は
シフトが夜遅くまでの
仕事をして居た為
私達が勉強をする時間帯には
美奈子達の家には
誰も居ないと云う事なので
静かに勉強するには
最適な状況でした。

こうして
次の週末の土曜日の夜から
私と喜久雄は美奈子達の家で
勉強する事になりました。

そして
その土曜日まで
私は嬉しさと共に
またあの時と同じ様に
あの家のコタツの居間で
喜久雄と二人切りになる事に
少しドキドキして居ました。

いよいよ
土曜日の夜になり
勉強する約束時間の
少し前には、私の方が先に
美奈子達の家に行き
勉強し易い様に
居間の部屋を
少し片付けながら
喜久雄が到着するのを
一人で待って居ました。

私が暫くの間
居間のコタツで
身体を温めて居ると
喜久雄が部屋に
入って来ました。

私達はにこやかに
他愛もない
挨拶を交わしながら
お互いの近況や
その週に有った出来事などを
話して居ましたが
それでもお互いに
何処と無く、なんとは無しに
ぎこちなさが漂って居ました。

それは
なんと言っても、ココが
あの夜中の出来事が有った
まさに、『その場所』
だったからでした。

以前、喜久雄に
あの時の事を
「誰かに話したか?」
と聞かれて以来
その後は一切、お互いに一言も
あの時の事に就いては
話す事は有りませんでした。

それは
ある意味では
私達2人にとって
「その事を言葉にして発する事も
ましてや事の事実を明確にする
などと云う事は有り得ない」
と云った様な
踏み込んで行っては行けない
まるでタブー視された
領域の出来事の様でした。

それでも
私自身の本心としては
あの時の喜久雄の気持ちや
あの様な行為に至るまでの
喜久雄自身の私に対する
本当の心が知りたい
と切実に思って居ました。

そして
出来る事なら
直ぐにでも
聞き出したいと云う
強い衝動が
私の心の奥底から
いつも頭をもたげて
来るのでした。

ところが
それが出来無いのは
偏に、喜久雄がフリーな
立場では無く、既に
「婚約者が居る」
と云う事実が有る事で
その事が重く伸し掛かり
私の思念……強い衝動も
尻込みをしてしまうのでした。

私の心中には、常に
婚約者の彼女が居る人を
好きになった事自体に対する
憂いや不安感が募って居ました。

また
喜久雄の婚約者の彼女
自身に対しては
私自身がまるで泥棒ネコの様な
卑怯な行いをして居る様で
そんな後ろめたさから
ある種の罪悪感を
常に感じて居たのでした。

それ故に
喜久雄に対しても
とても面と向かっては
何も聞け無いし、言えない
私自身が居るのでした。

しかし
もし喜久雄自身が自ずから
あの時の私達の事や
また、私に対する
喜久雄自身の本心などを
話してくれたなら
私はどんなに救われる事か……
たとえ、私が喜久雄とは
結ばれる事が無くとも……
そして、当初の予定通りに
喜久雄が婚約者の彼女と
結婚する事になったとしても……
少なからずとも
あの夜以来、何とも言えない
居た堪れない様な気持ちで
過ごして来た、この中途半端な
私の立ち位置や
どうにも置き場の無い様な
鬱々とした私の気分は
解消されると思いました。

暫くの間
私達はコタツに入って
世間話をして居ながら
私は自分の部屋で
勉強を教えて貰って居る時の様に
予めコタツの天板の上に
用意して置いた勉強用の
ノートや教科書を、いつもの様に
おもむろに広げ始めました。

すると喜久雄も
私のその動作に釣られる様に
天板の上の教科書に目を落として
この日に勉強する箇所を
確かめる様に、暫くの間
黙読して居ました。

私自身も
喜久雄が読んでいる箇所に
目を通す様に、開いた教科書に
顔を近づけながら
読み進めました。

すると
その内に私達は
文字が見易い様に
自然とお互いの頭を近付けて
一緒に教科書の文面を
目で追って居ました。

こうして
お互いの顔が間近に迫り
喜久雄の息づかいまでが
伝わって来るのが分かると
私はなんだか急に緊張し始めて
教科書の文字を読んでいても
文面を理解する事が
全く出来なくなりました。

と云うよりも
私は、まともに普通の呼吸を
する事も出来無くなり
暫くの間、息を殺す様に
呼吸をして居たので
もうこれ以上は
この様にお互いの顔を
近付けて居る事さえ
困難になって来ました。

とうとう
私はこの状態を
続けて居る事に
限界を感じて
読んで居る途中で
教科書から目を離し
おもむろに顔を上げました。

すると
私に続いて
その後で喜久雄も
顔を上げました。

しかし
喜久雄には
私がなんだか先程から
ずっと緊張して居たのが
分かって居た様子で
私の微細な気持ちを
感じ取ったのか……
突然、喜久雄が私の方に
身体を向けたかと思うと
そのまま、いきなり私を
抱きしめて来ました。

私は少し
ビックリしましたが
それでも
この場所で、また再び
二人っきりになった事自体
なんとなく、そうなる事を
心なしか期待して居たのは
確かだったので
喜びはひとしおでした。

そして私達は
あの時の夜の様に
無言のまま
再び唇を合わせては
まるで確かめ合う様に
お互いにきつく
抱きしめ合いました。

今回は
前の時とは違って
私達以外には
誰もこの家には居ないので
私達二人の、この様な
湧き上がる思いを
引き止めるモノは
何も有りませんでした。

そうなると
私も喜久雄も
一層、夢中になって
熱く抱擁をしながら
お互いを求め合いました。

こうして
私と喜久雄は
言葉でお互いの気持ちを
確かめ合う事も無く
またもや
無言のままで
結ばれる事になったのでした。



続く…





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