クリスマスだからといって特に何も特別なことはなく……酒も毎日のように飲んでいるし、甘いものもなんか好きに食べてるので改めてケーキを食べよう!という気にもならず。なんかもう性格とか色々な理由で恋人の有無に関わらずクリスマスは他人事になっている。ケンタのチキンくらいは食べたい気もするがまぁクリスマスじゃなくても食いたいときに食います。こっちのケンタ、私の好きなコールスローサラダがないんだよ。十年前くらいにペテルブルクに行ったときはケンタでコールスローあったのに、シーザーサラダしかないんだよ。シーザーサラダなんてさ、ありとあらゆるカフェやレストランであるんだよ!いつでもどこでも食えるシーザーサラダじゃなくて私はケンタのコールスローが食べたいっコールスローが食べたいんだぁあああ!!という訳で意地でケンタに行ってません。コールスローを食べさせてくれるまではハンガーストライキならぬケンタストライキです(つまんなくてごめんなさい)。私にコールスローを与えなかった罪は重い。ってまぁそんなことはどうでもいいな。



半分以上ネタだと思いつつ、人様の生活を覗き見るのは大変楽しいので、誇張脚色なんでもアリアリなのは分かっているがよく知恵袋をだらだらとROMっている。だいぶ前に見た書き込みが、話題になっているとみくしいにゅーすになっていた。婚約者を奪った妹と絶縁できるか否かってやつだ。まあ、皆相談者に同情的だし、私もかわいそうだとおもう。


だがこれに関する私の意見を、知り合いの多いミクシのほうにうっかり書くと人間性を疑われそうなので(あ、もう遅い??)、良い意味で距離感のあるこっちにぽろっと零す。



前々から思うのだが、奪った奪われたの話を聞くたび、勿論強引でよろしくない場合もあるが(例えば男を泥酔させて無理やり誘って故意に妊娠してしまうように仕向けるとかは流石に悪質と思う)、合意の場合、勿論奪われた!!と感じるのは仕方ないし、私がその立場なら勿論悔しくて本気で殺人を考えるかも知れないが、少なくとも冷静な状態の私は「まあ選ぶのは本人の意志だからな」なのである。結婚というのがなんとなく以前から気に食わないのは、というか結婚してない状態でもそうなのだが、「あなたは私のもの・私はあなたのもの」(場合によっては、あなたのものはあなたのもの、私のものはあなたのもの とか色々なバリエーションがあるかも)という前提がなんとなくまかりとっていることだ。


人はモノではない。これも同時に理解されていることだが、この結婚に関する人々の考えとは大いに矛盾している気がする。私の男とか俺の女とか、言うのは構わないし、勿論「俺の女に手を出すな」とイケメンが言えばかっこいいし、ありだとは思うんだが、本気でモノのように思っていたら大変なことだ。モノには普通意志はない。人を動くモノとして扱ったのが奴隷だ。意志はあるが、使う側にしてみればないも同然。ところが、恋愛とか結婚のトラブルの話になると、最早、少なくとも日本には奴隷はいないことになっているはずだが、「奪う」「奪われる」というモノに関するような表現がしばしばみられる。勿論、誰も深く考えて使っているわけではないし、相手の意志を認めていない訳ではないだろう。だが、この奪う奪われるという表現は現実を必要以上に醜くするし、最終的に選ばれなかったのが自分であるという事実からは幾ら被害者でも逃げられないと私は思っている。


この知恵袋の文章はちゃんと読んだが、例えば婚約者と妹は愛し合ってしまったとしよう。だが、彼らは凄く良識的で、愛し合っていても俺はもう婚約しているから・お姉ちゃんの婚約者を奪う訳にはいかないわ と、互いに指一本触れることなく、ただ義理の家族としてのお付き合いを続けることになったとしよう。幸いに、結婚したら婚約者は彼女の大切さ・愛しさを思い出し、妹はいざ本当に二人が結婚してしまったら踏ん切りがついて別の恋愛を始めた……となればいいが、必ずそうなるとは限らない。本当は妻の妹を深く愛している・本当は姉の夫を深く愛している と、不貞の事実がなくてもその感情が死が二人を分かつまで続くかも知れないのだ。まあこの場合は知らなきゃ幸せだが、現実としては、妻なのに誰よりも、唯一無二の存在として愛されているわけではないということになる。


私は、自分は大した人間ではないが、プライドだけはエベレスト並に高いので、これは我慢できないと思う。飽く迄も相手の気持ちが私にあり、その上で選ばれたのでなければ納得できない。というか、気持ちさえ私にあればそれでいい。最近話題のポリアモニーだっけ、あれも、他の恋人よりないがしろにされるということがなくきちんと最上級の愛を持ってくれるならパートナーがそれでも別に構わないと思っているが、ないがしろにされたら怒髪天を衝くだろう。あれ、なんか話がずれてきたな。


こうやってぐだぐだいうより、言い得て妙であり、心にぐさっと刺さる表現がある。Plastic Treeの名曲、『ぬけがら』の一節だ。私はこれを聞いているとよく泣けてくる。


「本当の気持ちじゃないなら どんなことももうしないでよ」


これ、私の永遠のテーマです。我儘かもしれない、欲張りかも知れない。でも、本当の気持ち以外いらないのだ。多分、元彼を許せないでいる点もここに尽きるのだろう(浮気されたとかじゃないよ。もっと個人的で特殊な話。前も書いたかもしれないが、その内気持ち整理に書くかも)。だから、「本当の気持ち」がないのに婚約なんて約束を守ってほしいと思うのが、私には分からない。まあ、質問者は、やるせなくて、悲しくて、苦しくて、自殺したいくらいなのだろうから、誰かを恨まずにはいられないだろうし、実際、突然世界がひっくり返ったのだから仕方ないし、私も同じ立場なら、やっぱ三人殺しているかもしれないので(妹妊娠してるからね)シラフの人間が偉そうなことを言うのは悪いが、結果的には、「自分は彼に一番愛されている人間ではない」という事実は、例え婚約が履行されようが変わらない。奪うも奪われないも、人間は意志があるので、勿論武力行使されたりセクハラ教授が「俺に股を開かないと単位をやらないぞ」というように脅しがある場合は別として、普通の恋愛においては合意がなくては関係を持つに至らない訳で、奪うとか奪われたって考え方は不適切だと思うのである。

私は、仮にパートナーの浮気の事実が発覚した場合、先ず自分のことを好きなのかどうかを聞いた上で、純粋に他の人を好きになっちゃったということなら、まぁ悲しいが「それじゃあ仕方ないね」って別れると思う。だって愛してる訳でもないのに付き合われてもみじめだしそこまでプライド低くない。お情けで恋愛はしたくねぇ。出来心なんだ~~とか言われたら情けないので冷めるし……ガチで二人同時に好きになった!!!(くわっ)ってなったら、ちょっと本気でそういう道を考えるかも知れない。多分、頭おかしい・気持ち悪いって一般的には白い目で見られるだろうが、まあ一般的なものは大体嫌いなんでいい。ただ、コソコソ浮気されているのはいやなので、堂々と君もあの子も愛してる!ラブ!(臨也さん風にしたが彼は別に遊び人ではない。笑)だったら、まあそういうのもありかなーってなりそうだ。



あ、勿論その後の「結婚式にでてほしい」は言語道断だし、恨む気持ちまでは否定しないので、出席してブチ壊すとかしてもいいとは思うが、まあ出ないで今後一切関わりませんって宣言するのが一番だろう。出席してブチ壊すのは一時的にスッキリするかも知れないが、自分を貶めるからね。


まあ、人はものじゃないし、意志があっても自分の感情まではコントロールできないので、いつでも人の気持ちは変わり得るものだと認識するところから出発したほうがいざって時に大きく構えてられると思うんですけど、どうでしょうね。結婚する時点で、一生一人の人間を愛し続けるという契約を交わすのは時に非人道的にさえ感じる私です。頭おかしいんだろうねきっと。