哲学にてんで疎いという弱点克服の為、一通り有名どころを読んでおきたいと思ってもまさか全部の著作を読む時間と気力はない――というわけで入門モノに頼ることにして、まず今読んでいるのが『プラトン入門』。

 論理立てて物事を説明するのがそもそも苦手だから、きちんとしたバランスの骨組みで論理の建造物が頭の中に描けないのは最早私のあり続ける弱点という気がするけれど、なるほどイデアってそういうことか!!!と、ぼんやり「物事のあるべき姿」くらいにしか思っていなかった私としては目から鱗が落ちた気分。哲学はすぐ影響受けちゃうからちょっと怖いのだけれど、なぜ「善のイデア」が究極なのか、「普遍性」は絶対的真理を示すものでなく「共通的理解を可能たらしめるもの」という理解を先にさせられたお陰でよくわかった……気がする。

 学校の道徳の時間なんて小学校の頃クソだと思ってた訳なんだけれども、此処の「善」を考えてみて、突き詰めて「誰にとって」「何にとって」それぞれの「善」が善であるのか、では皆が目指しうる善って何だろう…と、そこまで頭が柔らかい内に突き詰めるような授業だったら本当に意味があるかも知れませんよね。

 ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語った』と同時進行読みしているんだけれども、後から曲解されたプラトニズムがニーチェの批判の矛先だったのかな。

 やっぱりちょっと無理してでも哲学には、勿論自分の頭のスイッチをオンにしてだけれども、触れておいたほうがいいと思った。

 ただ、哲人政治についてはもはや話がだいぶ進んだ後のせいか、少しずつ読んでいたせいかちょっと難しく感じた……。んん、要するに時代時代の要請というのがあるから、現在の民主制vs独裁制の対立の観点でプラトンの哲人政治を全体主義の原因だの反論するのは見当違いであって、当時大事だったのはその共同体をいかに正しく存続させるかということであったのだから、その可能性を持つ方法は僭主制の中にしか見出せなかったということか。まあ、色々経験した上で批判することは出来るけども。

 極端な芸術を制限する思想については、退廃好みな私としては感覚で拒否反応出てしまうけれども、でも確かに誰もが自分の利益ばかり主張する民主政治よりは賢い僭主の政治のほうがいいかもなあ。まあ、難しいけど。

 とりあえず何を読んだのか忘れないためのメモでした。