日本百名山 其之玖 大峰山
2009/05/04
はじめに
私は現在、首都圏に暮らしています。
ですが、出身地としては近畿地方になります。
今回は産まれ故郷の最高峰、大峯山系に挑戦しました。
以前から興味があり、早い時期に登頂したかったのですが、冬期の通行止め等で
今年のGWになってしまいました。
大峯山系とは奈良県吉野地方から和歌山県熊野地方の熊野神社に通ずる修験道だったようです。
地勢的には、北に生駒山系、金剛・葛城山系から泉南、和歌山市まで続く泉州山系があり
その南側に吉野があります。
その間を吉野川~紀ノ川が雄大に流れています。
西には弘法大師が開山したことで有名な霊峰高野、東には伊勢湾まで続く日本一の降雨量を誇る大台ケ原が広がります。
大峯山系の歴史は深く、古くから山岳信仰が盛んな土地で、多くの修験道が
この山系で修行したと言われています。
その名残で、山系の一部は現在も女人禁制です。
2004年、大峯山系及び熊野古道、高野山は世界遺産に登録されました。
その十数年前の夏の日、中学生だった私は父親に誘われ、友人家族と大峯山(現山上ヶ岳)に登りました。
当時はその山がどこにあり、どのような歴史がある山なのかなど、一切情報はありませんでした。
ただ、父親からは女人禁制の山で、修行を行なう山だといわれていました。
この山が「西の覗き」で有名な山上ヶ岳でした。
今から考えると中学生という多感な時期に、精神修行の一環として父親が連れていったのでしょう。
夏にもかかわらず、山中のひんやりとした空気が昨日の事の様に思い出されます。
04:00 起床
実家のベッドで目覚める。
数日前から実家に帰省し、準備を進めていた。
しかし、前日は10時過ぎまで酒宴となっていた。
今回は両親も誘っての山行となったので、少々賑やかになるだろうと思い、4時には目が覚めた。
しかし、外は、夜は未だ明けず。
リビングに下りていくと、両親は既に起きており、母親は今日の弁当を作っていた。
食事をした。
朝から大量に食べた。
おいしかった。
私も支度を急いだ。
5時出発予定である。
外は白々と明けはじめていた。
05:00 出発予定
出発予定の5時となった。
が、我が家の暗黙のルールか、確実に時間通り出発できない。。
それは私が子供のころから変わらない。
今回もそうであった。
東の空が紅く染まっていた。
眼前には高野の山々が迫り、灰色の雲が少し出ていた。
風は冷たい。
05:30 出発
ようやくの出発となった。
車に乗り、一路吉野を目指す。
数年前に整備された自動車専用道路に乗る。
以前より随分と奈良方面へのアクセスが良くなっている。
五条から309号線で吉野を目指す。
外の気温は10℃前後。
朝日がまぶしかったが、雲も出てきていた。
大淀町あたりで、数台の車と出会う。
恐らく登山客だろう。
早朝のせいか、まだ人や車はほとんどいない。
大淀町あたりは修験者の宿場町として栄えたらしく、あちこちに宿坊があり
商店も軒を連ねていた。
大淀から吉野口を過ぎると、山間の道となる。
しかし、世界遺産に登録されているので、この辺りの道路はかなり整備されている。
自宅を出てから1時間程度で天川川合を通過した。
ここからは道も狭くなる。
杉木立の間を車が縫うように走っていく。
対向車がくると対向できないくらいの狭い道である。
道のすぐ下を清流が流れている。
水は今まで見た川の色とは少し違った。
薄い水色。南国の海を薄めたような、とても綺麗な水だった。
途中、紅葉で有名なミタライ渓谷があり
その先は落石が今にも起こりそうな崖の下を走っていく。
谷間を走っているので、道はクネクネ曲がっている。
この国道309号線、以前TVでも見たが全国でも有数の道悪国道として有名らしい。
確かに走ってみると、それが良く分かる。
それでもこの辺りにイワナやヤマメを釣りに来る釣り人の車や、キャンプ、登山の車で
賑わっているようだ。
07:00 登山口到着
行者還トンネルというトンネルを目指してきたが、そこに着く前に大量の車の列に出会った。
恐らく、全て大峯への登山客の車であろう。
登山準備をして、先に向っていく一行の姿が見えた。
父親が先まで行かずに、この辺りに駐車しようと言ったので、行者還トンネルの少し下に駐車した。
準備を整えた。
多数の駐車車両 309号沿いの渓谷
07:15 出発
身支度を終え、出発した。
100Mほど道を上がるとトンネルがあり、そのすぐ右側に登山口があった。
世界遺産の看板 弥山登山口
行者還トンネル
登山口を入るとすぐに前日からのキャンプ客の火の跡があった。
幕営に適した芝生がそこにはあった。
川を渡るとすぐ急峻な登りとなった。
先にも後にも登山客の声がしていた。
ゆっくりとしたペースで登っていく。
山にはまだ春が来ていないようであった。
山桜もつぼみであった。
大峯修験道(奥駆け)へと取り付くこの道は多分に自然を利用した道である。
人が踏み均してできた道だ。
木の根がそのままステップのようになっていたり、崖のようになっているところさえある。
女性には少々きつい勾配だろうし、地質も砂のような砂礫でよく滑る。
登山口から 登山道1
奥駆の尾根を見上げる 尾根への登り1
大峯山系の山肌 尾根への登り2
尾根への登り3
1時間ほど歩いただろうか、早朝(でもないが・・)の新鮮な空気のなか、ようやく奥駆け出合に到着した。
08:15 奥駆け出合到着
奥駆け出合という合流地点である。
ちょっとした椅子やテーブルがあり休憩所となっている。
というか、奥駆けを駆けてきた人も、行者還トンネルから登ってきた人も
ここで確実に休憩をとるだろう。
それだけ、先ほどの登りは応えた。
奥駆出合 奥駆出合の標識
弥山まで2時間 奥駆出合休憩所
この奥駆け、吉野から熊野まで伸びている。
とんでもない道だ。。
少し見晴らしがあるところがあったので、南を眺めたが、朝靄に霞む熊野山系が悠然と広がっていた。
15分ほど休憩し、出発した。
ここからは尾根伝いなので、傾斜はないがピストン回数がある。
低木の間を軽快に進んでいく。
木立からの小鳥のさえずりが心地よい。
奥駆けの途中、祠のような跡がたくさんある。
お札や塔婆があり、石柱や像があったりする。
恰好の休憩ポイントでもあり、たくさんの登山客が腰を下ろして休んでいる。
石休ノ宿跡 石休ノ宿跡のお札
出合から1時間ほど歩くと、道の先に大きな弥山(みせん)が立ちはだかっているのが確認できる。
弥山への鞍部 登山道2
なかなかの標高差だ。
三等三角点 弁天の森
弁天の森2 途中弥山を見上げる
弥山への鞍部2
09:10 聖宝ノ宿跡
天狗(修験者だろうが)の像がある祠だった。
ここが弥山への取り付きである。
理源大師像 聖宝ノ宿跡
小さな祠に賽銭をして、無事を祈り出発する。
ここから弥山への取り付きとなるが、想像以上にきつく、傾斜がきつい。
登山者も多いが、女性や経験がない人たちは途中で休憩をいれているほどだ。
バイケイソウの緑の中を登っていく。
途中、景色が望めるところでは今まで歩いてきた奥駆け道や、東北に位置する山上ヶ岳をみることができる。
標高がかなり高くなっているせいか、今まで見えていなかった山々がくっきりと見えるようになる。
奥駆け道に連なる山々はやはり威厳があった。
弥山への登り 途中行者還岳、大普賢岳方面を望む
弥山への道は、というより奥駆け道全般だが、総じてよく整備されていた。
急な坂道も木板で足場が確保されている。
だが、きつい。
この辺りから高山系の植物に変わっていくのが分かった。
日が当たらない部分には残雪があり、気温も随分低くなっていた。
半袖で歩いていたが、少し寒いくらいであった。
弥山への登り 残雪
弥山への登り2
南西に開けた場所があったので、少し母親と休息を取った。
父親は先に到着していたらしく、一面に広がった大峯山系を俯瞰していた。
大台ケ原方面
ここから弥山まで少しだが、さらに急斜面となる。
少しずつ歩を進めると、眼前に山小屋の屋根が見えてきた。
弥山小屋
10:10 弥山到着
山頂にはかなりの人が居た。
母親はシャリバテのような恰好になり、トイレにいったあと、すぐにへたれこんで
おにぎりを食べていた。
私と父は辺りを散策した。
山小屋は大きな小屋で、かなりの人が宿泊できそうだった。
さらに、周りにはキャンプに適した広場がたくさんあり、すでに幕営している人たちもいた。
もみの木の間にテントが見えた。苔むす大地であった。
小屋前 弥山看板
その後、弥山神社に登った。
荷物を置いたままだったので、苦にはならなかった。
日差しは夏のようだったが、高原の風のような涼しさがあった。
立派な社と御殿がそこにはあった。
奈良朝時代から水の神として信仰されてきたそうだ。
賽銭をして、旅の安全を祈り、戻った。
弥山神社鳥居 弥山神社鳥居2
弥山神社への途中八経ヶ岳を望む 弥山神社
弥山神社2
10:30 弥山出発
目的地はここではなく、もう少し先の八経ヶ岳というところだった。
テントが張られている間の小道を下っていった。
弥山から八経ヶ岳への分岐 弥山からの下り
ここから一度下って、八経ヶ岳に再アプローチという形をとる。
下り始めて少しすると目の前に八経ヶ岳がすぐに姿を現した。
登っている人たちも小さく見える。
この時間になると、すでに戻ってくる人たちも多い。
途中、鹿除けのためか鉄柵をくぐる場面があった。
この辺りは天然のオオヤマレンゲの群生地らしく、初夏には花をつけるようだ。
それを保護しているのかもしれない。
八経ヶ岳への登り 残雪2
最後の岩場を登りきると、八経ヶ岳の頂上であった。
11:00 八経ヶ岳到着
頂上には三角点と石碑があった。
それといくつかの看板もあった。
初めて知ったのはここが近畿最高峰であること。
南側には眺望が開けているが、北側(明星ヶ岳方面)は深い木々で覆われていた。
八経ヶ岳山頂から西を望む 八経ヶ岳山頂から南を望む
山頂にはたくさんの人がいた。
お昼時であり、ほぼ全員昼食を摂っていた。
八経ヶ岳山頂 山頂の石碑
明星ヶ岳への道 山頂の看板
山頂の杖
我々も、まずは腹ごしらえをした。
母親の弁当はいつの時代もうまい。
この山頂、そこまで広いスペースがないので弥山あたりで食事をとることをお勧めしたい。
弁当を食べたあと、3人でコーヒーを飲んだ。
山頂でのコーヒーは最高であった。
山頂から南を眺めた。
八経ヶ岳から弥山方面(北北東) 東を望む
地図を片手に奥駆け道を追った。
雄大な眺めであった。
東は大台ケ原が望めた。天気がよければ伊勢湾も見えるのではないか。
南には切り立った山々が連なっていた。
深い谷、そこを流れる河。
大地の起伏を感じることができる。
(弥山の後ろに大普賢岳、山上ヶ岳がうっすらと望むことができた。
東方面も大台ケ原方面の山々を望むことができた。)
12:00 八経ヶ岳出発
大体の山の位置を確認し終えたところで、帰路につく。
予定より2時間ほど遅れていた。
本当は明星ヶ岳まで行きたかったが、それはまた今度とした。
帰り道は人が少なかったが、やはり人はいる。
それにこれからまだ八経に向ってくる人も少なからずいた。
途中聞いた話では、今日が山上ヶ岳の山開きらしく、大峯山系一体に人が多いらしい。
八経ヶ岳を振返って見上げる 弥山への戻り道
12:25 弥山到着
2回目の弥山。
先ほどに比べて、人が減っていた。
天候も雲が多くなり、気温が下がってきていた。
10分ほど休憩して、再出発した。
この途中、持ってきていたラジオをつけてみた。
FM放送を聴いた。
チューニングしていくうちにZIP FMを受信していた。
名古屋からの電波もここなら、綺麗に入った。
下りは順調であった。
やはり奥駆けは道が整備されている分歩きやすいと感じた。
弥山山頂のコケ 弥山から東を望む
帰り道 大峯奥駆の自然
13:20 聖宝ノ宿跡通過
天狗の銅像前を通過した。
ここまで下り一本だったので、少しほっとし、休憩する。
途中、修験者一行に出会った。
みなさん白装束で、大きな数珠を首からかけていた。
ここからは再び尾根伝いのピストンだ。
奥駆け出合までそんなに距離はないと思っていたが、ここからが少々長かったように思う。
14:05 奥駆け出合到着
出合までの途中、大きなバックパックを持ったパーティ数組とすれ違った。
時間も時間だけに、今からの弥山日帰りは無いだろうと思っていたが、聞いてみると
弥山でキャンプするらしい。
出合に近づくにつれて、道が悪くなってきていた。
岩がゴロゴロと転がっており、上に乗って転びそうになった。
出合で休憩をとった。
残りは急斜面を下りるだけ。
尾根からの急坂 帰りの急坂
綺麗な沢の水
はじめに
私は現在、首都圏に暮らしています。
ですが、出身地としては近畿地方になります。
今回は産まれ故郷の最高峰、大峯山系に挑戦しました。
以前から興味があり、早い時期に登頂したかったのですが、冬期の通行止め等で
今年のGWになってしまいました。
大峯山系とは奈良県吉野地方から和歌山県熊野地方の熊野神社に通ずる修験道だったようです。
地勢的には、北に生駒山系、金剛・葛城山系から泉南、和歌山市まで続く泉州山系があり
その南側に吉野があります。
その間を吉野川~紀ノ川が雄大に流れています。
西には弘法大師が開山したことで有名な霊峰高野、東には伊勢湾まで続く日本一の降雨量を誇る大台ケ原が広がります。
大峯山系の歴史は深く、古くから山岳信仰が盛んな土地で、多くの修験道が
この山系で修行したと言われています。
その名残で、山系の一部は現在も女人禁制です。
2004年、大峯山系及び熊野古道、高野山は世界遺産に登録されました。
その十数年前の夏の日、中学生だった私は父親に誘われ、友人家族と大峯山(現山上ヶ岳)に登りました。
当時はその山がどこにあり、どのような歴史がある山なのかなど、一切情報はありませんでした。
ただ、父親からは女人禁制の山で、修行を行なう山だといわれていました。
この山が「西の覗き」で有名な山上ヶ岳でした。
今から考えると中学生という多感な時期に、精神修行の一環として父親が連れていったのでしょう。
夏にもかかわらず、山中のひんやりとした空気が昨日の事の様に思い出されます。
04:00 起床
実家のベッドで目覚める。
数日前から実家に帰省し、準備を進めていた。
しかし、前日は10時過ぎまで酒宴となっていた。
今回は両親も誘っての山行となったので、少々賑やかになるだろうと思い、4時には目が覚めた。
しかし、外は、夜は未だ明けず。
リビングに下りていくと、両親は既に起きており、母親は今日の弁当を作っていた。
食事をした。
朝から大量に食べた。
おいしかった。
私も支度を急いだ。
5時出発予定である。
外は白々と明けはじめていた。
05:00 出発予定
出発予定の5時となった。
が、我が家の暗黙のルールか、確実に時間通り出発できない。。
それは私が子供のころから変わらない。
今回もそうであった。
東の空が紅く染まっていた。
眼前には高野の山々が迫り、灰色の雲が少し出ていた。
風は冷たい。
05:30 出発
ようやくの出発となった。
車に乗り、一路吉野を目指す。
数年前に整備された自動車専用道路に乗る。
以前より随分と奈良方面へのアクセスが良くなっている。
五条から309号線で吉野を目指す。
外の気温は10℃前後。
朝日がまぶしかったが、雲も出てきていた。
大淀町あたりで、数台の車と出会う。
恐らく登山客だろう。
早朝のせいか、まだ人や車はほとんどいない。
大淀町あたりは修験者の宿場町として栄えたらしく、あちこちに宿坊があり
商店も軒を連ねていた。
大淀から吉野口を過ぎると、山間の道となる。
しかし、世界遺産に登録されているので、この辺りの道路はかなり整備されている。
自宅を出てから1時間程度で天川川合を通過した。
ここからは道も狭くなる。
杉木立の間を車が縫うように走っていく。
対向車がくると対向できないくらいの狭い道である。
道のすぐ下を清流が流れている。
水は今まで見た川の色とは少し違った。
薄い水色。南国の海を薄めたような、とても綺麗な水だった。
途中、紅葉で有名なミタライ渓谷があり
その先は落石が今にも起こりそうな崖の下を走っていく。
谷間を走っているので、道はクネクネ曲がっている。
この国道309号線、以前TVでも見たが全国でも有数の道悪国道として有名らしい。
確かに走ってみると、それが良く分かる。
それでもこの辺りにイワナやヤマメを釣りに来る釣り人の車や、キャンプ、登山の車で
賑わっているようだ。
07:00 登山口到着
行者還トンネルというトンネルを目指してきたが、そこに着く前に大量の車の列に出会った。
恐らく、全て大峯への登山客の車であろう。
登山準備をして、先に向っていく一行の姿が見えた。
父親が先まで行かずに、この辺りに駐車しようと言ったので、行者還トンネルの少し下に駐車した。
準備を整えた。
多数の駐車車両 309号沿いの渓谷
07:15 出発
身支度を終え、出発した。
100Mほど道を上がるとトンネルがあり、そのすぐ右側に登山口があった。
世界遺産の看板 弥山登山口
行者還トンネル
登山口を入るとすぐに前日からのキャンプ客の火の跡があった。
幕営に適した芝生がそこにはあった。
川を渡るとすぐ急峻な登りとなった。
先にも後にも登山客の声がしていた。
ゆっくりとしたペースで登っていく。
山にはまだ春が来ていないようであった。
山桜もつぼみであった。
大峯修験道(奥駆け)へと取り付くこの道は多分に自然を利用した道である。
人が踏み均してできた道だ。
木の根がそのままステップのようになっていたり、崖のようになっているところさえある。
女性には少々きつい勾配だろうし、地質も砂のような砂礫でよく滑る。
登山口から 登山道1
奥駆の尾根を見上げる 尾根への登り1
大峯山系の山肌 尾根への登り2
尾根への登り3
1時間ほど歩いただろうか、早朝(でもないが・・)の新鮮な空気のなか、ようやく奥駆け出合に到着した。
08:15 奥駆け出合到着
奥駆け出合という合流地点である。
ちょっとした椅子やテーブルがあり休憩所となっている。
というか、奥駆けを駆けてきた人も、行者還トンネルから登ってきた人も
ここで確実に休憩をとるだろう。
それだけ、先ほどの登りは応えた。
奥駆出合 奥駆出合の標識
弥山まで2時間 奥駆出合休憩所
この奥駆け、吉野から熊野まで伸びている。
とんでもない道だ。。
少し見晴らしがあるところがあったので、南を眺めたが、朝靄に霞む熊野山系が悠然と広がっていた。
15分ほど休憩し、出発した。
ここからは尾根伝いなので、傾斜はないがピストン回数がある。
低木の間を軽快に進んでいく。
木立からの小鳥のさえずりが心地よい。
奥駆けの途中、祠のような跡がたくさんある。
お札や塔婆があり、石柱や像があったりする。
恰好の休憩ポイントでもあり、たくさんの登山客が腰を下ろして休んでいる。
石休ノ宿跡 石休ノ宿跡のお札
出合から1時間ほど歩くと、道の先に大きな弥山(みせん)が立ちはだかっているのが確認できる。
弥山への鞍部 登山道2
なかなかの標高差だ。
三等三角点 弁天の森
弁天の森2 途中弥山を見上げる
弥山への鞍部2
09:10 聖宝ノ宿跡
天狗(修験者だろうが)の像がある祠だった。
ここが弥山への取り付きである。
理源大師像 聖宝ノ宿跡
小さな祠に賽銭をして、無事を祈り出発する。
ここから弥山への取り付きとなるが、想像以上にきつく、傾斜がきつい。
登山者も多いが、女性や経験がない人たちは途中で休憩をいれているほどだ。
バイケイソウの緑の中を登っていく。
途中、景色が望めるところでは今まで歩いてきた奥駆け道や、東北に位置する山上ヶ岳をみることができる。
標高がかなり高くなっているせいか、今まで見えていなかった山々がくっきりと見えるようになる。
奥駆け道に連なる山々はやはり威厳があった。
弥山への登り 途中行者還岳、大普賢岳方面を望む
弥山への道は、というより奥駆け道全般だが、総じてよく整備されていた。
急な坂道も木板で足場が確保されている。
だが、きつい。
この辺りから高山系の植物に変わっていくのが分かった。
日が当たらない部分には残雪があり、気温も随分低くなっていた。
半袖で歩いていたが、少し寒いくらいであった。
弥山への登り 残雪
弥山への登り2
南西に開けた場所があったので、少し母親と休息を取った。
父親は先に到着していたらしく、一面に広がった大峯山系を俯瞰していた。
大台ケ原方面
ここから弥山まで少しだが、さらに急斜面となる。
少しずつ歩を進めると、眼前に山小屋の屋根が見えてきた。
弥山小屋
10:10 弥山到着
山頂にはかなりの人が居た。
母親はシャリバテのような恰好になり、トイレにいったあと、すぐにへたれこんで
おにぎりを食べていた。
私と父は辺りを散策した。
山小屋は大きな小屋で、かなりの人が宿泊できそうだった。
さらに、周りにはキャンプに適した広場がたくさんあり、すでに幕営している人たちもいた。
もみの木の間にテントが見えた。苔むす大地であった。
小屋前 弥山看板
その後、弥山神社に登った。
荷物を置いたままだったので、苦にはならなかった。
日差しは夏のようだったが、高原の風のような涼しさがあった。
立派な社と御殿がそこにはあった。
奈良朝時代から水の神として信仰されてきたそうだ。
賽銭をして、旅の安全を祈り、戻った。
弥山神社鳥居 弥山神社鳥居2
弥山神社への途中八経ヶ岳を望む 弥山神社
弥山神社2
10:30 弥山出発
目的地はここではなく、もう少し先の八経ヶ岳というところだった。
テントが張られている間の小道を下っていった。
弥山から八経ヶ岳への分岐 弥山からの下り
ここから一度下って、八経ヶ岳に再アプローチという形をとる。
下り始めて少しすると目の前に八経ヶ岳がすぐに姿を現した。
登っている人たちも小さく見える。
この時間になると、すでに戻ってくる人たちも多い。
途中、鹿除けのためか鉄柵をくぐる場面があった。
この辺りは天然のオオヤマレンゲの群生地らしく、初夏には花をつけるようだ。
それを保護しているのかもしれない。
八経ヶ岳への登り 残雪2
最後の岩場を登りきると、八経ヶ岳の頂上であった。
11:00 八経ヶ岳到着
頂上には三角点と石碑があった。
それといくつかの看板もあった。
初めて知ったのはここが近畿最高峰であること。
南側には眺望が開けているが、北側(明星ヶ岳方面)は深い木々で覆われていた。
八経ヶ岳山頂から西を望む 八経ヶ岳山頂から南を望む
山頂にはたくさんの人がいた。
お昼時であり、ほぼ全員昼食を摂っていた。
八経ヶ岳山頂 山頂の石碑
明星ヶ岳への道 山頂の看板
山頂の杖
我々も、まずは腹ごしらえをした。
母親の弁当はいつの時代もうまい。
この山頂、そこまで広いスペースがないので弥山あたりで食事をとることをお勧めしたい。
弁当を食べたあと、3人でコーヒーを飲んだ。
山頂でのコーヒーは最高であった。
山頂から南を眺めた。
八経ヶ岳から弥山方面(北北東) 東を望む
地図を片手に奥駆け道を追った。
雄大な眺めであった。
東は大台ケ原が望めた。天気がよければ伊勢湾も見えるのではないか。
南には切り立った山々が連なっていた。
深い谷、そこを流れる河。
大地の起伏を感じることができる。
(弥山の後ろに大普賢岳、山上ヶ岳がうっすらと望むことができた。
東方面も大台ケ原方面の山々を望むことができた。)
12:00 八経ヶ岳出発
大体の山の位置を確認し終えたところで、帰路につく。
予定より2時間ほど遅れていた。
本当は明星ヶ岳まで行きたかったが、それはまた今度とした。
帰り道は人が少なかったが、やはり人はいる。
それにこれからまだ八経に向ってくる人も少なからずいた。
途中聞いた話では、今日が山上ヶ岳の山開きらしく、大峯山系一体に人が多いらしい。
八経ヶ岳を振返って見上げる 弥山への戻り道
12:25 弥山到着
2回目の弥山。
先ほどに比べて、人が減っていた。
天候も雲が多くなり、気温が下がってきていた。
10分ほど休憩して、再出発した。
この途中、持ってきていたラジオをつけてみた。
FM放送を聴いた。
チューニングしていくうちにZIP FMを受信していた。
名古屋からの電波もここなら、綺麗に入った。
下りは順調であった。
やはり奥駆けは道が整備されている分歩きやすいと感じた。
弥山山頂のコケ 弥山から東を望む
帰り道 大峯奥駆の自然
13:20 聖宝ノ宿跡通過
天狗の銅像前を通過した。
ここまで下り一本だったので、少しほっとし、休憩する。
途中、修験者一行に出会った。
みなさん白装束で、大きな数珠を首からかけていた。
ここからは再び尾根伝いのピストンだ。
奥駆け出合までそんなに距離はないと思っていたが、ここからが少々長かったように思う。
14:05 奥駆け出合到着
出合までの途中、大きなバックパックを持ったパーティ数組とすれ違った。
時間も時間だけに、今からの弥山日帰りは無いだろうと思っていたが、聞いてみると
弥山でキャンプするらしい。
出合に近づくにつれて、道が悪くなってきていた。
岩がゴロゴロと転がっており、上に乗って転びそうになった。
出合で休憩をとった。
残りは急斜面を下りるだけ。
尾根からの急坂 帰りの急坂
綺麗な沢の水