日本百名山 其之肆 富士山 | 新日本浪山紀行

日本百名山 其之肆 富士山

2007年8月3日(金) 4日(土)

お盆前の週末、混雑を避けるために、金曜に休みをとり、富士山初登頂を試みた。
折からの台風の影響が心配された。

2007年8月3日の天気図
20070803天気図


07:30 起床
昨日までの雨は上がり、湘南一帯は晴天となっていた。
予定よりも30分ほど起床が遅れてしまう。
強い日差しが寝室にまで、達しており、天候に恵まれた山行になると期待していた。

身支度を整え、朝食もままならないまま、家を出る。

07:50 自宅出発
真夏特有の湿気交じりの風がゆるく吹いていた。
しかし、振り返っても富士山は濃い靄にかかり、見えなかった。

JR東海道線に乗り、国府津駅を目指す。

08:40 JR御殿場線に乗り換え、御殿場駅へ向う。

東海道線を降りたホームのすぐ隣のホームに御殿場線の電車は到着した。
2両編成で、乗客は少ないが、車両に乗り込むと、かなり狭く感じる。

出発前に、御殿場線の電車の写真を一枚撮った。

御殿場線
FUJI001御殿場線電車
ここで、大きなミスに気付いてしまう。
私は、デジカメを持っていないため、携帯電話のカメラ機能でまかなっているが
メモリ容量が少ないため、別途SDカードを挿して使っている。
その大切なSDカードを今日忘れてしまった。。
これがないと、写真を5枚程度しか撮ることができない。。

旅の最初から前途の多難さを物語ってるようであった。

まぁ、こんなこともあるさ!と気を取り直して、電車に乗り込む。
すでに座席は一杯である。

次の東海道線の列車を待って、いよいよ、出発した。

御殿場線に乗車するのは初めてであった。
以前はこの国府津駅を仕事の関係上よく、通っていたが、電車を見るだけで、乗ったことは無かった。

電車は鄙びた街を抜けていく。
時代を遡っているかのようである。

松田駅を過ぎると、学生たちも降り、いよいよ風景が田舎になっていく。
丹沢山系を抜けているのだろうか、山間を電車が通過していく。
(実際は丹沢山塊の南部と箱根山系の北部との間の渓谷を走っている。)
少し天気が曇りはじめていた。

09:20 御殿場駅到着
かなりの長旅であった。もう少し短いものだと思っていたが、各駅停車は意外に長い。
駿河小山で静岡に入り、足柄を過ぎると、目的の御殿場駅であった。
駅を降り、バスターミナルに向う。

須走口行きのバスはすでに到着しており、長蛇の列が出来ていた。

09:30 御殿場駅出発
バスの乗客からは関西弁も聞こえてくる。
関西から、富士山を目指してやってきているのだろう。
金曜にもかかわらず、人はそれなりにいるものだなあと思う。
やはり富士山はシーズンものなんだなあ。。

途中、やはり雨となった。
かなりの豪雨だった。バスを叩くように雨が降り注いでいる。
苦笑いしかでなかった。

10:20 須走口到着
バスから降りると、横殴りの突風が吹いていた。
雨は時々降っているが、雹まじりであるように感じた。
標高が既に高いせいか、気温が低い。
登山口の茶屋 菊屋に入り、身支度を整えることにした。

茶屋の中は、登山客でいっぱいであった。
レインウェアを着たり、スパッツをはいたりしていた。
私は、茶屋で山菜そばを注文し、すすりながら身支度を整えた。

いよいよ出発しようとしたとき、この茶屋の看板娘であるおばあちゃんが
杖を持っていかんか?と言ってきた。
正直必要なかったが、好意を無に出来なかったので、杖を拝借していくことにした。

バスで同時に着いた人たちは、もうすでに出発しているようであった。

11:20 須走五合目出発
雨と風は依然として激しかった。
須走口からの登山道は最初、山林の中を行く。
山林に入ると、風や雨が幾分軽減され、なにも問題ないように感じでしまっていた。

山林は長く続く。新六合目まで続くであろうか。
時折、開けたところに出る。
そこからは眼下に山中湖を望むことができた。
しかし、遮るものが無く、風が強く吹いている。

1時間ほど歩くと、最初のチェックポイント新六合目に到着する。
標高は2420Mということで富士宮口新五合目とほぼ同じ高度である。
ここで、小休止を取る。
小屋には愛らしい犬がいるが、雨と風で犬小屋から出てこない。
エネルギーを補給していると、私自身も体温を奪われていっていることに気づく。
レインウェアを脱ぐと、かなり寒い。

新六合目 長田山荘
長田山荘の目印は鯉のぼり!下山時も確認できます。

再出発して、30分ほど歩くと、須走口新六合目 瀬戸館 2620Mに到着する。
ここでは休憩を取らずに、先を急いだ。
本六合目 瀬戸館

この新六合目を越えると、木々が消える。
富士山の険しい山肌に放り出される。
放り出されると同時に、風が恐ろしく強くなってきた。
辺りは火山岩だらけで、道も細くなってきた。
新七合目は目視で確認できるのだが、雨と風で前に進むこと自体が困難になってきていた。

登山されている人々はそれなりにいるのだが、やはり、雨と風のせいで、みんな元気がない。

そうしているうちに、私も文字通り、足元をすくわれた。
山道で真正面から突風を受けたのであった。
体を倒されたときに、手の甲側から地面に落ちたため、指先が剥きだしの火山岩にあたってしまった。
指は深くえぐれ、すぐに血があふれた。

ファストエイドで、止血を行った。
雨と風で、かなり寒い。
寒さで指先の感覚がなかった。

指先のそれほど大きくない怪我だったので、そのまま先に進んでいたが
バンドエイドを強く巻きすぎたのか、指先が変色してきていた。
また、気圧のせいなのか、血が止まらない。
バンドエイドを外し、ティッシュでひたすら押さえた。
体力がかなり消耗した。
風は相変わらず、強く吹いていて、多くの登山客の足を止めていた。

13:45 新七合目到着
怪我を負いつつ、新七合目に到着した。
雨も強くなっていたこともあり、この新七合目の太陽館で休憩をとった。
休憩料金が45分で1人1000円だっただろうか。
やはり、富士山ではなんでもお金がかかるのだなあと実感した。
温かい豚汁を頼み、濡れた体を温める。
一息ついたところで、先程の怪我を治療した。
かなり、深くえぐれていた。

山小屋ではバイトの兄さんたちが、雨をうらむかのように、中仕事をしていた。
ここでは、接客業というスタイルは存在しないのだろう。
勝手に客がやってくるし、店が主体となったサービスが展開されている。
これはどの小屋でもそうなのであろう。
なんというのか、それが普通なのだろうか?!
ここでの店員の態度は明らかに普通ではなかった。
(しっかり接客してくれる人もいるんですけどね・・・)

時刻が14時30分になろうとしていたので、再出発することにした。
小屋のおばさんに、どこまでいくのか?と聞かれたので
頂上までと答えると、こんな天候のなか、難しいと思うと普通に言われた。(笑
今夜の宿は山頂の山口屋に予約を入れている。

たしかに、風や雨を考慮すると、8合目辺りで手を打つほうが賢明だっただろう。

おばさんがいうには、ここから、山頂まで3時間かかるという。
山口屋には17時までに来てくれと言われていたので、ギリギリであった。

出ようとすると、後続のお客さんが入ってきた。
やはり、みな一様に寒そうである。
中には、より下の小屋に宿泊予約を入れなおしている人もいた。

お客の1人が、コンロで湯を沸かそうとしていたが、小屋のおばさんに注意されていた。
富士山内は国定公園のため、コンロは禁止されているらしい。

新七合目 太陽館 2920M

14:30 新七合目 出発
天候はすこぶる悪い。
山頂を見上げても、分厚い白い雲におおわれていて、なにも見えない。
風は強烈で、さらに冷たく、雨が体をたたく。

一歩一歩、進んでいく。
高度が高くなってきており、少し進んだだけでも、心拍数があがる。

エクストリーム。
まさにそんな環境であった。

本七合目 見晴館 3140M も通りすぎる。
新八合目 江戸屋 3270M で少し休憩を取る。

江戸屋は下山道の分岐点となっており、河口湖、富士吉田方面へ分岐することができる。

このあたりまでくると、人気はすっかりなくなってきていた。
あたりは薄暗くなってきており、宿につくことができるのか?という不安が私を覆った。
ただ、登るしかないと思い、歩を進めた。

16:30 本八合目 胸突江戸屋 通過
ここで、河口湖口からの登山道と合流する。
この時も、男性3人の登山者がおり、記念写真を撮ってくれというので、撮ってあげた。
3人は江戸屋へと入っていった。
正直うらやましかった。(笑

この時点で、私は九合目に小屋があると思っていた。
だから、九合目までは行こうと、勝手に決めていた。
無いのにもかかわらず(笑。

胸突江戸屋からは、もう・・豪雨である。
目も開けていられないし、立っているのがやっと。
途中、サングラスが突風で飛ばされてしまった。

先を歩いていた人たちも戻ってくる人が多くなってくる。
本日中の登頂をあきらめ、8合目まで引き返すのである。
女性登山者2人組もいたが、やはり胸突江戸屋に入ったようであった。

山道は九十九折で、酸素が薄く、岩と砂で歩きづらい。
その道を抜けると、岩場となる。
険しい岩肌が雨に濡れて滑りやすくなっている。

もう前には誰もいないようであった。

そんな中、気力だけで、見えない9合目を目指していた。

岩を掴むように登っていく。

歩くこと1時間程度であろうか・・・。
もう限界だと思った瞬間、白い雲と雨粒の向こうにうっすらと鳥居が見えた。
私は9合目だと思った。
すこし気分が楽になった。
足が軽くなり、どんどん登った。
すると、そこには、鳥居しかなく、小屋はない・・。

が、すぐ目の前には狛犬らしき、大きな石階段が見えていた。
このとき初めて、ここが山頂なのだと思った。
やっとたどり着いた。
正直、この天候でよく、ここまで来れたなと、ホッとしていた。

雨脚は格段に強くなっていた。
雨粒が体をたたく音がはっきりと聞こえていた。

山頂には人は誰も居なかった。
分厚い雲の中に、数軒の小屋があるのみで、物悲しい雰囲気であった。

寒さはピークに達しており、体力を奪っていっていた。

私は最初、東京屋の玄関を開けたようで、山口屋さんは隣ですよ、と言われた。
そして、いよいよ山口屋に到着するのであった。

17:40 山口屋到着
予定より、40分遅れで、山口屋に到着した。
恐る恐るドアを開けると、おじさんが出迎えてくれた。
が・・・非常に迷惑そうであった。
それもそうだろう、17時までに来いと言われているのに、40分も遅刻してしまったからだ。

まず、最初に「こんな日に登ってきちゃいかんよ!」と一喝された。
そして、絶望的だったのは、もうご飯が無いということだった。
予約していたと言ってみたが、なにも出てきそうになかった。

山小屋の人たちは19時には寝てしまうそうで、あと1時間ほどで寝る準備をしてくれという。

濡れた衣類を脱ぎ、寝る準備をしながら、持ってきていた食料を食べる。
ここではコンロOKなようであった。(私は持ってきていなかったが)

山小屋の人が、炭を鋳こした七輪を持ってきてくれた。
少し暖をとることが出来た。

19時前に、奥の床に入った。
私以外に客は居ない。250人収容に私だけであった(笑

19時消灯なので、本を読むわけにもいかず、ずっとラジオを聴いていた。

布団の中は最初はとても冷たいが、時間がたつにつれて、温かくなってくる。
来週の週末あたりには、このベッドも満員になるのだろうな~と思った。
風雨が激しくなってきていた。雨がトタンを叩く。
風の音が大きい。

NHKの台風情報を聞いていたが、台風はすでに日本海海上、新潟付近と言っているが
富士山ではそんなことは関係ないようだ。
台風が来ていると、全てで、影響を受けるのだ。

21時ごろには寝てしまっていた。

翌朝4時頃、目が覚めた。
風の音は止んでいたが、雨は降っているようだった。
御来光をみれるかな?と微かに期待していた。

あたりはまだ薄暗い。
外を確認したが、雨が降っており、御来光どころではなさそうだった。
7時チェックアウトだったので、ギリギリまで寝ることにした。

6時30分ごろ起きて、母屋のほうへ行った。
おじさんたちは起きていた。
身支度をしていると、また七輪を用意してくれた。

山小屋の朝は、子供のころのお正月の匂いがした。
ピーンと空気は冷たく、張り詰めていて、まだ誰も起きていない。
辺りは暗く、これから、新年を祝う準備をしている・・・そんな懐かしい感じを受けた。
それは小屋の木々の匂いと、炭の焼ける匂いがそうさせたのだろう。

窓から、外を見やった。まだ雨が降っている。
また、冷たい世界に戻るのかと思うと、少し憂鬱だった。
山口屋

8/4 (土)
07:00 山口屋出発
外に出ると、数人の登山客が既にいた。
恐らく、御来光を目指して、金曜夜から徹夜で登ってきたのだろうが、今回は残念だった。
あたりは、まだ暗い。

ここから、私は御鉢巡りを開始した。

御鉢巡りの由来や、方法は以下のHPが参考になると思います。
御鉢巡り参考ページ

久須志神社から時計回り(正しい、お作法らしい)に出発した。
大日岳、伊豆岳あたりでは、恐ろしいくらいの風が吹いた。
進むのが正直、困難、かつ怖かった。(体が飛ばされるのではないかと・・)
這うように進んだ。
高度が高く、運動しているところへ、もろ正面の向かい風がくると、人間、息が出来ないということをはじめて知った。
呼吸が出来ない苦しさは本当につらい。

岩場を越えて、先に進むと、浅間大社奥宮(せんけんたいしゃ)に到着する。
ここは富士宮口から登ってくると、ゴールになるらしい。
郵便局などを見学し、最高峰剣ヶ峰を目指す。

このころになると、雨は上がっており、光も差すようになってきていた。
ただ、雲は多く、風もまだ強かった。

浅間大社を出発するとすぐに、「このしろ池」を通過した。
昨日からの雨で、水は豊富に溜まっていた。
馬の背を歩いているところでは、風は凌げた。

しかし、前方から男性二人組が歩いてくる。
挨拶すると、剣ヶ峰へ向かったが、強風であきらめたという。
かなり風が強いようだ。
実際、この日は風が強く、御鉢巡りをしている人自体が少なかった。

馬の背を抜けると、目の前に剣ヶ峰への長坂が現れる。
傾斜もかなりある。
地質は、火山灰的な砂である。
足をとられながら登るが、かなりきつい。

なんとか、剣ヶ峰の登頂に成功し、ここで写真を撮らないわけにはいかんと思い、撮影した。
今回の唯一の思い出である。

剣ヶ峰頂上にて
FUJI003剣ヶ峰標識
剣ヶ峰では観測所の中から出てきたおじさんと話した。
8月一杯まで、ここにいるらしい。
剣ヶ峰の奥に、展望台らしきものがあるが、狭いところを入っても何も見えなかった。
ただ、風が強いだけであった。
(天気がよければ、アルプス方面を望めるのだろうが)

剣ヶ峰を後にし、西安河原をゆっくりと下っていく。
風がゆるくなり、すこし楽になる。
しかし、周りは霧のようなガスでまったく見えなかった。
大内院を右手に見つつ、道を進む。

途中出会った登山客は1組だけであった。

久須志神社に戻るころには風がまた強くなり始めていた。

08:30 久須志神社到着
風にために、やや時間がかかったが、無事に戻ってくることができた。
この頃になると、頂上へ着く人々の数も多くなっていた。
天候はやや回復し、日差しも差していた。

久須志神社に御参りし、下山することにする。

下山道は山口屋の先のトイレから分岐している。

道幅の広い、砂地の下山道を降りていく。
久々の下りとなり、足取りもかなり軽い。

降り始めて20、30分で気温が上がってくる。
山頂部で着ていた防寒具がかなり暑くなってくる。
登山道には、まだまだ、人が連なっている。
昨日歩いてきた道は、こんな風になっていたのだなあと、再確認しながら降りる。
下山もそれはそれで、体力が必要で、ひたすら長い坂を下りていくので、半ば飽きてくる。
それに、足場が砂地で不安定なので、走り出すと、止まるのが難しいし、足をすぐにとられてしまう。
尻餅などには注意が必要である。

途中、登山道と交わっているところがあり、自衛隊の方々とすれ違った。

しかし、須走口や御殿場口への下山道には「砂走り」なるものが用意されていて
単純な下山道に変化を与えてくれている。

砂走りは、これまでの下山道とは違い、より深い砂地になる。
足の甲部分までめりこんでしまうので、スパッツ等をつけていないと、砂が靴内に
侵入してしまうだろう。

また砂走りというぐらいなので、慣れると、リズム良く、走るように降りていくことができる。
砂もふかふかしていて、気持ちよい。
黒々とした砂の道は一直線に下に向かっている。

砂走りもかなり長い。

11:00 砂走五合目 吉野家通過
砂走りの終着点に吉野家という休憩所がある。
おじさんとおばさんが露天のような形でアイス等を売っていた。
下山のホッとした気持をうまく捉えてる。

脇目もふらずに、新五合目を目指した。

ここからは、また樹林の中を進む。
雨はもう完全にあがっていて、日差しが強く、真夏に戻ってきた感じだった。
しかし、雲はまだまだ厚い。

樹林の中では、昨日来の雨がまだ残っており、草木の匂いとあいまって、いい匂いがした。

この時間帯からも、まだまだ登ってくる登山者はたくさんいた。

11:30 新五合目到着
五合目は多くの登山客で、溢れかえっていた。
ほとんどの人が、これから登るのであろう。
私は、出発時に金剛杖をお借りした、おばあちゃんの店、菊屋を訪ねた。
おばあちゃんは忙しそうに、土産物を売っていた。
杖を返すと、うれしそうに、よく帰ってきたねと労っていただいた。
そして、名物シイタケ茶を振舞ってくれた。
シイタケの出汁が出た、本当においしいお茶であった。

12:00 新五合目 バス出発
五合目でゆっくりすることなく、御殿場駅を目指し、帰りのバスに乗る。
乗車している客は私以外に、中国人2人しかいない。

バスは御殿場駅に向けて、走りだしたが、途中、登山客の車の路上駐車の数に驚いた。
長蛇の列とはまさにこのことだろう。
まだまだ続いていきそうな勢いであった。
やはり、夏場の富士は人気があるのだなあと思った。

バスの中では、冷房が効いていたこともあり、案の定、熟睡してしまった。

気がつくと御殿場駅だった。

13:00 御殿場駅到着
次の御殿場線の出発まで時間があったので、駅のラーメン屋に入る。
これが意外とうまかった。
新・御殿場ラーメン ジャンジャン軒
13:44の電車まで、御殿場駅周辺を散策してみる。
これといって特にないのだが、駅の反対側は高速バスのターミナルであった。
また、御殿場アウトレットへの定期バスも出ているようで、この日もたくさんの人が待っていた。

御殿場駅には人は少なく、ゆっくりとした夏の午後の時間が流れていた。

13:44 御殿場線 乗車
御殿場線は2両編成なので、並んでいないと座席に座ることはできない。
というか、結構人が待っている。
ただし、そこまで混んでいなかったので、立っていてるのは数人だけだった。
電車の隅に立ち、買込んで来たビールを開ける。
車内も冷えていて、ビールも冷えていて、混んでなくて、鄙びた風景を見ながら飲むのは最高であった。

しかし、この電車、後方の車掌室が変であった。
1ブロックの座席を幕のようなもので仕切ってあり、そこに車掌室と大きく書かれている。
なぜ、あのような仕様になっているのか、本当に不思議であった。

結局、国府津まで、立って帰った。
結構な時間、立ちっ放しであった。
東海道線に乗換え、15時半くらいには自宅に着いていた。

やはり下界は、うだるような暑さであった。
迷わず、台風の残りを求めて、海へ走った。(笑
オンショアの波で、あまりよくありませんでしたが、サイズがそこそこで楽しむことができた。

登山後のサーフィン!ボロボロになるまで遊びつくした感じがして、心地よかった。

大自然の脅威と懐の深さを満喫した夏の日となった。

だが、下山してすぐに思ったのが、この夏の間にもう一度登る!ということであった。
やはり、御来光を見てみたいと思ったのであった。
リベンジを心に誓い、床に就いた。