頂いたワインがホットワイン用でこの時期は暑いので飲めないでいます、どうもそらねこです
なんか気まぐれで絵を描いたのね
そしたらあまりにも絵心なさ過ぎてショックを受けてる
昔はデザイナー志望だったのにいつの間にこんなに下手になったのやら………
ボクは中学の頃からファッションデザイナー志望だったのね
高校卒業したら東京へ出て専門学校に入学したんだけどボクは井の中の蛙で周りは天才ばかりでボクなんかがデザイナーを目指すなんて烏滸がましいと挫折したの
高校の時からバイトで貯めたお金、本当は免許取るために貯めたんだけど親が免許取る事を許してくれなくて全額専門学校と上京費用に突っ込んだのよ
ボクの親は昭和の親って感じで母親が本当に毒親だった
母親的には勉強していい中学入っていい高校入って東大せめてMARCH入っていい会社に就職するのが理想って親だったの
せめて大学は行けっていう親
子供の夢なんか知ったこっちゃないって感じで
ボクは小学校の頃からずっと反抗期だった
家にいるのが辛くて家出はしょっちゅうしてた
中学くらいから自傷行為を繰り返して死にたいとも思っていた
父親がそんなボクを心配して色々調べてボクは精神的な病気なんだと、だから病院へ行こうと言ってくれたけど当時のボクは親二人が敵みたいに見えてたから父親の言う事にも反発していて兎に角家族から逃げたかった
中学くらいから夜中家を抜け出して外で歩き回るのが開放感あって悪い仲間とつるむようになっていった
タバコやドラッグはやらなかったけどお酒は飲んでた当時からワインが好きだった
今考えるとあの状況化でよくタバコやドラッグやらなかったなと思う
やる事が普通な空間にいて臭いからって理由だけで断っていたから凄いなと
夜繁華街を歩いて昼間は自傷行為をして本当にどうしようもないクズだった自覚はある
中学受験、高校受験は嫌々やっていた
中学、高校と本当に夜はクズだった
高校に入ってからは免許が取りたくてバイトを頑張っていた
今思えば少し更生していたのかもしれない
無駄遣いは多少したけど高校当時で100万円貯めた
時給が600円代の時だから本当に頑張ったと思う
ホテルの披露宴の配膳スタッフをしていたのだけど、披露宴も終わって片付けをしていた時にナンパされ携帯番号を書いた紙を渡され
ナ「電話して」
ボ「電話するだけでいいですか?」
ナ「他にもしたいの?」
ボ「何がですか?」
ナ「君変わってるね」
ボ「はあ、どうも」
なんてやりとりもあった
ボクが中学の時にポケベル、高校の時にPHSが出てたのだが自分でお金払って持っていたから当時相当稼いでいたのだろうと思う
今みたいにかけ放題パケ放題なんてなく、高2くらいにiモードが出たから本当に高かった
ボクの父親がNT〇に務めていたので必然的にdocomoの携帯を持っていてiモードも使ってたのだけど本当に高かったからバイトの3割は携帯代に消えていたんじゃないかな?
携帯を所持しながら貯金をするのが大変で当時ホテルの配膳スタッフの派遣の事務所に所属していたのだがディナークルージングのスタッフもやっていた
今日はホテル、次の日はクルージングみたいな感じで
ある日クルージングの会社から専属でやって欲しいと言われた。高2の途中の頃だった
事務所に相談してクルージング専属になった
冬休みに昼間はダイビングの体験のお客様を乗せてダイビングスポットに言って説明をしてダイビングをしてもらう、その間に船を掃除したり体験ダイビングをしてきたお客様への簡易的なシャワーの準備したりして終わったお客様からウェットスーツを預かり洗ったりして港に到着する頃にはスーツは干すだけの状態にしておくそして船の内装を変えてサンセットクルージング用にテーブルや椅子をセッティングして予約のお客様を迎えてサンセットクルージングをする。サンセットが終わったら夜景を楽しむディナークルージングになる今では考えられないが高校生で23時まで仕事をしていた
あの頃は緩かったのですよ
お金がほしいから働く
働く事に夢中になっていて学生の本分である勉強を疎かにしていた
ボクが勉学を疎かにしていた理由はバイトだけではない
ボクは中学受験に失敗して地元の中学に通っていたのだが1学年40人×9クラスの約360人いる学校だったのだが1年の中間テストで学年30位以内に入った。確か24位くらいだったと思う
誇らしげに家に帰って母親に伝えたら激怒されて1位せめて5位以内じゃないと許さないみたいな事を言われて勉強するのがバカバカしくなって勉強しなくなったのだ
360人中30位以内って凄くない?そうでもない?ボクが間違ってる?
まぁそれでやる気が一気に削がれて教室にも行かず本当は学校にも行きたくなくなってたのだがそれは親が許さなかったので当時としては珍しくカウンセリング室が中学校内にあってそこに通う日々が続いた
当然成績も面白いように下がっていった
親からは怒られたがそれから逃げるように自傷行為を繰り返していた
理科の勉強の延長線上でODという自傷行為がある事を知り、斬るより楽なODをするようになったのもこの頃からだった
親は自傷行為をする度にボクを怒鳴りつけたがそれはボクには逆効果でどんどんエスカレートしていった
父親も母親もこの頃はボクが荒れてるから修羅場だったと思う
そんなこんなで高校になっても勉学に力を入れずにバイトに明け暮れていたのだ
バイトをしていると心が安定して自傷行為をしなかったので父親はボクのバイトに前向きだったのだが母親は勉強!勉強!でバイトなんてやるな!の一点張りだった
でもボクはバイトをやっていた
母親が怒れば怒るほどボクはバイトをした
成績はもちろん下から数えた方が早いくらい悪かった
毎年留年するかしないかのレベルだった
夏休みは補習もあったが終わればすぐにバイトに行っていた
兎に角稼ぐ!それだけだった
免許が取りたかった、それだけだった
いざ免許が取れる年齢になりお金もあるという状態になった時母親の今までの鬱憤が襲いかかってきた、通帳を取られたのだ
激しく喧嘩した。家具が家の中を飛び回った
よく家が壊れなかったなと今でも思う
ボクは泣く泣く免許を取れず通帳を取り返したらそのお金で上京してファッションデザインがある専門学校に通ったのだった
そこで大きく挫折をして中退した
そんな青春時代をすごしているので、もし仮にボクに子供が出来たとしたら経済が許す限り子供にはしたい事をして貰いたいしバイトをするなら全力で応援するし勉強したいなら全力で応援したい
ボクの母親みたいにはなりたくないと思う
今でこそ母親とは仲良くなった?が昔は荒れ放題だったので自分の子供にはあんな思いはさせたくないと思っている
まぁボクが高校生の頃は終身雇用時代で一度いい会社に入れば歳を重ねる毎に給料は上がり安泰という時代だったのでボクの母親がいい会社に入れたがっていた気持ちもわからなくはないが子供の意思を無視するのはよくないと思う
そして今はいい会社に入ってもいつリストラされるかわからないし、たいがいの会社はブラックだし、ホワイト企業は人材を募集しない
そんな時代だからいい大学を出たからといってホワイト企業に入れるかわからないのだ
ボクが専門学校の頃に終身雇用は終わっているので今は勉強したからといっていい会社に務める事が出来るとは限らないのだ
ボクは現在精神障害をかかえて生きている
働く事に難がありそれでも働かないといけないので働くしかないのだが、派遣満期になってやめたり一身上の都合でやめたり会社が倒産したりしてやめている
なのでコロコロ変わってるのでそれで面接に受かりづらい
だから必然的にハズレをひいてまた職を変えなければいけないという無限ループに陥る
ボクもできるなら職を落ち着きたい
でも何かしらあって長く務められない
今も土日祝フルタイムで働けるところを探しているのだが中々見つからない
工場は土日祝休みだし清掃の仕事は5時間が多いしどうしようもない
今とあるリゾートホテルの面接を受けるべく履歴書を送ってるのだが面接までこぎ着けるかが問題だ…………
早く受かって落ち着きたい
まぁだからといってリゾートホテルがホワイト企業かはわからないが………
まぁ兎にも角にも詐欺にあって取られた33万円分を稼がなければ主人に借金しているので返せない
まぁ弁護士の先生が頑張って取り返せるように努力はしているのだが今どんな状態なのかわからない
警察と一緒に動くとは言っていたが……
33万円もだけど車検代も稼がなければいけない
ボクには本当にお金がないのだ
今月は愛娘にゃんズのワクチンもあるし今年で10歳になるベルガモットのベルちゃんは定期検診もある
本当にお金は出ていくいっぽうだ
高校生の頃は衣食住が保証されているから働けば働くだけお金は貯まっていったけど今は収入と支出を考えなければいけないのでそこが大変だ
世の中の家族は本当に凄い
収入と支出を考えながら貯金もしてるなんて凄いとしか言いようがない
皆様本当に凄いです
ボクも早く収入が支出より大きく上回るくらいに稼げるように頑張ります!
それでは!また次のブログでお会いしましょう(。・ω・)ノ゙