胎児の無頭蓋症発覚による中期中絶手術について書いています。

お読みいただく方はご留意お願いします。

 

ついに退院の日を迎えました。

退院前診察は特に問題なく終わり、質問があるか聞かれた際、わたしは

 

「次の妊娠はいつごろから検討できますか」

 

と聞いていました。

子どもを失ってすぐでもなお、わたしは3人目への希望、兄弟姉妹がほしい希望を強く持っていたのです。

同時に、陽を偲ぶ気持ち100%になりきれないことに罪悪感も抱きました。

 

そして次の移植については、不妊治療クリニックの意見を聞いてくださいと。

生理が再開して6か月開けるべきという先生もいれば、すぐにでもOKと言う先生もいるので・・ということでした。

 

産後1か月検診の予約を入れて、退院の準備を始めました。

 

助産師さんから、会計の報告と方法、そして退院の際の動線について説明がありました。どうやら、通常の退院時とは違う出口を利用する必要があるようです。

コウノドリでも、中期中絶した後の退院シーンは裏口を利用していたな・・と思いました。

 

夫が迎えに来てくれたので、助産師さんが棺に入った陽を病室に連れてきてくれました。

冷たいし、大きいロールケーキが入っていると言われても全然違和感のないような箱に、さらに自分たちで準備した棺が入っていて、その中に陽がいます。

 

会計場所には多くの人がいるはずなので、ばれない?ように、入院セットが入っていたマタニティバックに棺の入った箱を入れて持ち歩きました。

 

周りの誰もが、まさかこの中に一昨日死産した子が入っているとは思わないでしょう。

それぐらい病院の会計は日常の空間でしたが、周りのざわつきが別世界のような、自分たちだけが取り残されたような気持ちでいっぱいでした。

 

会計が終わって帰ることにしましたが、特にこの様子だと指示された退院ルートでなくても誰にも分からない気がしました。


なので、通常通り表口から出ることにしました。

今は亡骸だけど、この子だってこの病院で生まれた新生児なんです。それは普通に退院していく子と変わらないじゃないか。


そのことを、自分たちだけでも体感したかった。

この子は間違いなく生きていた、わたしの子なんだという気持ちでいっぱいでした。


でも、帰りに安置所となる葬儀社に連れて行くと、当たり前ですが白黒の世界。亡くなった人を偲ぶのにふさわしい空気。


葬儀社の方も、この度はお悔やみ申し上げますと当然言います。

やはりこれから空に送ってあげないといけないのだと認識せざるを得ません。


それでも、うちの子を今日一日お願いしますと心から思ったし、大事にお預かりしますと言っていただいてうれしかったです。


家に着いて、久々に上の子と一緒に過ごしました。

夫もワンオペで5日間頑張ってくれたこと、おりこうに過ごしていたことをうれしく思いました。


この日常がどれだけ貴重なことなのか、こんなに身に染みたことはありません。

生きている子どもと一緒に過ごせることにありがたさを感じるとともに、葬儀社に預けてきた陽のことが心配でなりませんでした。


明日耐えないといけない別れに緊張しながら、気が進まない準備をして、久々に自宅で眠りました。