胎児の無頭蓋症発覚による中期中絶手術について書いています。

読んでいただく方はご留意お願いします。

 

5か月の出産といえどもやはり産後には違いなく、体のあちこちが痛い中入院4日目を迎えました。

 

子どもの医療センターらしく、ファミリールームというところがあって、コロナ禍でしたが分娩の翌日のみ、そこで赤ちゃんと夫が対面できるとのことでした。

 

ファミリールームといっても、実質は霊安室みたいな機能のところで、医療センターで亡くなってしまった子どもや、死産した子との対面場所として設けられているようでした。

 

骨壺を覆うような、白い布がかけられた台があって、小さな子だったらここに棺を置いたり、ある程度成長した子なら位牌やろうそくが置かれたりするんだろうなと思いました。


でも、壁にはアンパンマンの絵が貼ってあったりして、どこか穏やかな雰囲気になっています。

 

さて、夫には事前に情報を入れておきました。

皮膚はまだプルプルで赤黒く、びっくりしてしまうかもしれないよと。


血や手術シーンが苦手なタイプで、初期流産したときのホルマリン?に入った赤ちゃんも見られなかったので、5か月で生まれた赤ちゃんを見るのも厳しいだろうと思ったのです。


それでも、今回はどうしても会って見てあげてほしかった。


もう、胎動まで感じていた第二子のことを夫が目で認識できるのは今しかないのです。


予約の時間になって、ファミリールームで待っていると、助産師さんが陽を連れてきてくれました。


先に私が棺のふたを開けて、


「父ちゃんが来たよ。」


と言ったら、涙が出て止まらなくなりました。


助産師さんも、パパに会えたね、と陽に声をかけてくれて、夫を案内してくれました。


大丈夫かな…と心配でしたが、夫は冷静に受け止めたあと、珍しく声を震わせて涙を流しました。


小さいのに頑張って生まれて来たね、

と声をかけていました。


その後、出産後の私のように手や足、頭などを見たり触ったりして、ちゃんと指や骨もあるねーと言ったり、抱っこしたりしました。


その後、助産師さんにも手伝ってもらって、やりたかったことの一つだった手形足形を取りました。

足型はなんとか取れましたが、手型はまだ癒着が激しく、諦めました。


その後は、寄付で用意していただいた産着を着せて、購入していた布団に寝かせて、折り紙のお花や、夫が買ってきてくれたハイハインなどのお菓子、義母が用意してくれた小さなガラガラのおもちゃを棺に入れて、赤ちゃんらしい空間にしました。


助産師さんが席を外してくれて、3人でしばらく過ごしました。

出産のときの話や、性別がどちらか医師たちの間でも意見が割れたことなどを話していると、夫が聞きにくそうに質問してきました。


「その…出産のとき、いつ呼吸が止まったのか分かるの?生まれてからもしばらくは生きてたのかなと思って」


わたしも同じ疑問を持っていました。

無頭蓋症は、お腹の中にいる間は生存できる状態なので、分娩に伴い、外の世界で脳が機能できず生命維持ができなくなると聞いていました。


少しでも命ある状態が見られるのかなと思っていたのですが、実際は外に出た時点で命は全うしていたようです。


夫に伝えると、そうなんだ…とだけ言って、その話は終わりました。

息絶える瞬間を私が見てしまっていたら辛いと思ったのか、もしかしてしばらく生きていたのか気になったのか、意図は分かりませんが、生きていたということを実感したかったのかなぁと思っています。


面会が終わって、陽と病棟に戻りました。


保管室のようなところに戻るとき、助産師さんが、昨日生まれたお友達と一緒にいるんだよねーと言いました。

どうやら同じ日にもう1人死産の子がいたようです。


悲しいけれど、お友達がいると聞いて陽は寂しくないかもしれないと思うと少し安心しました。


わたしの回復は順調で、予定通り明日退院できるとのことでした。

葬儀社の方が、退院後の安置場所と、火葬の予約が取れたことを夫に連絡してくれていました。


明日1日安置した後、火葬はその翌日の朝一番で予約が取れたとのことでした。

胎児の火葬は朝一番の火力が弱めの時間でないと骨が残らないと聞いていたので、ほっとしました。


1晩だけでも家に連れて帰りたいな…

と一瞬思いましたが、やはり保管方法に自身がなかったのと、上の子が会いたがったらどう対応するか決めきれず、予定通り安置場所に直行することにしました。


ファミリールームでの面会の後、医療センターのチャイルドケアの方との相談をお願いしていました。

上の子に、今回のことをどう話すべきか、専門家のアドバイスを聞きたかったからです。