あっという間に12月も後半ですね。

中期中絶手術入院シリーズを少しお休みして、タイトルの通り年賀状について書きます。

 

子どものころ、わたしは年賀状を出すのももらうのも好きでした。

単純に、書くのが楽しくて。もらうのがうれしくて。

 

中学生のときは吹奏楽部だったので、同じ部の子にはそれぞれの楽器の絵を描いてみたり。

相手の住所や名前を書くのも、なんだか改まった感じがして好きでした。年齢が上がるに連れて書く住所の範囲も広くなってきて、それもまた楽しかったです。

 

大学以降はメールで代替することが増えて年賀状はほぼ送らなくなりましたが、社会人になって結婚する子が増えてくると、結婚式に招待してくれた人から

 

「結婚しました」

「結婚して初めてのお正月を迎えました」

 

みたいな年賀状が来るようになり、以後なんとなく毎年やり取りする・・みたいな感覚で年賀状が復活してきます。

 

なかなか良縁に出会えなかった時代は、結婚式の写真つきの年賀状や、(旧姓〇〇) の表記にグサッときたりしていましたが 笑


自分が結婚した後も、例にもれず写真つきで、上の子が生まれたときも、出産報告を兼ねて子どもの写真つきで送っていました。

 

普段なかなか会えない友達の家族写真や、友達の子どもの成長した姿を見る機会も年賀状でしかなく、大きくなったな~と感慨に浸ったりして、何度も見返したものです。


しかし、2人目がなかなかできずに悶々としていた頃から、少しずつ年賀状がしんどくなり始めました。


自分より後で1人目を産んだ友達に2人目、3人目ができていることを年始早々に年賀状で知り、2人目ができたよー!と悪気なく無邪気にメッセージが書いてある。


これが、不妊治療を拗らせているときにはすごくきつかったです。


こちらからの年賀状には、上の子の名前の後に年齢を入れて出していましたが、当たり前ですが毎年1つずつ大きくなって、写真も成長していて、もうこのままなのかな…と辛くなるのです。


2人目の妊娠が分かったとき本来の予定日は9月だったので、今年の年賀状にはやっと2人目の出産報告と(0歳4か月)と書けるかもしれない…‼︎と思いました。


しかしその先に待っていたのは今回の中期中絶。


喪中はがきを出す?


でも、誰が亡くなったと書くのか?

事実の通り書いて出すのは正直やりにくい。。


でも、喪中と知らずに子どもの写真つきの年賀状送って来られても、今はちょっと見たくない…

喪中なのに、いつものように年賀状を出すのも気が引ける。


とぐるぐる考えているうちに、


こんなにいろいろ考えてストレスになる年賀状って、一体なんなの?

もうここでストレス感じてる時点で、年賀状やめよう。


という結論になったのです。


その年の年賀状を準備する頃にはもう第三子が既にお腹にいたのですが、第二子への思いに全く変化はなく、まだまだ偲んでいたい気持ちでした。


これ以降、年賀状は一切出さず、いただいた人にだけ寒中見舞いで返すということにしているし、これからもそうするつもりです。

今まで自分が買いていた年賀状も、意図せず相手を傷つけていたかもしれないと思うと、もう気軽に出せなくなったのもあります。


前年の年賀状を見て準備する人が多いと思うので、そうしているうちにほぼなくなってくるだろうと思います。


好きだった年賀状が精神的に負担になってしまったのは寂しいですが、これがわたしの年賀状問題解決法でした。