胎児の無頭蓋症発覚による中期中絶手術について書いています。
読んでいただく方はご留意お願いいたします。

 

特に睡眠導入剤等は使っていませんでしたが、なんだかんだ眠れました。

寝付く前はポコポコとよく動いていて、うれしく悲しくなったことは覚えていますが・・

 

ラミナリアの違和感なのか便秘なのかわからない気持ち悪さを感じながら、着替えてLDRに移動するのを待ちます。

 

入院後、処置の合間の時間に、わたしはこの子の名前の最終案を考えていました。


上の子の時も、男の子だったら夫、女の子だったら私が名前を考えようと決めていて、この子は女の子っぽかったので私が考えることにして、実は少し前からずっと候補を絞っていたのでした。

 

名前自体は決まって、あとは漢字です。


一応、画数の吉凶や名字との兼ね合いも調べ、これだと思う名前が決まりました。

夫のOKが出れば、これで決定です。

 

元気に生まれてくる子を同じように、あーでもない、こーでもないと考える時間が、これから迎えるつらい局面に向かう勇気をくれました。

 

午前8時、ついにLDRに移動しました。

次にこの個室に帰ってくるときは、もうお腹にいないんだな。


ついに分娩に向かうときの気持ちはつらく怖いものでしたが、どんな子かな・・と、会える楽しみも僅かにありました。

 

麻酔量も、前日の件を受けてしっかり調整されており、全く痛くなく意識が薄れることもなく、ラミナリアの抜去と陣痛促進剤の投与が進みました。

 

痛みもないし、まだ小さいこともあるのか、赤ちゃんが下りてきているのか、分娩が進んでいるのか全く分かりませんでしたが、10時半ごろに助産師さんが、もう生まれそうだから分娩体制を取りましょうと言って準備が進みました。

 

助産師さんの掛け声に合わせて、合計10回ほどいきみましたが、途中で赤ちゃんのやる気がなくなってしまったようで(笑)いったん休憩になりました。

 

その後も麻酔は持続的に入るので、寒気がしたり逆に暑くなったり頭痛がしたり、そしてだんだん究極に眠くなってしまい、ほぼ寝てしまっていました。


コロナ禍だったため夫は立会いできず、分娩経過は都度LINEしていたのですが、この時間は眠すぎて連絡ができていなかったため、夫は今どうなっているのか気をもんだようです。

 

助産師さんが来て目が覚めました。

 

「あ!もう下りてきてますね。分娩に入りますね!」

 

と言って、ナースコールで医師や他の助産師を呼び、バタバタと準備が進みました。

小さいのと麻酔で、もう出口付近まで来ていても自分では全く分かりませんでした。

 

そこからは特にいきむこともなく、

 

「頭見えましたよ」

「もう体全体出ますよ」

 

と助産師さんが声かけしてくれ、

 

「はい、生まれました!わあ~かわいいですよー!」

 

という声が聞こえました。

 

え?かわいいの?

もちろん産声は聞こえませんが、周りの助産師さんが口々に、かわいい~と言ってくれています。


さすがに、おめでとうございますとは言われませんでしたが、事前にお願いした通り、普通の出産と同じように、暗くならないようにしてくれているのが分かって、とても救われました。

 

「赤ちゃんきれいにして、お連れしますね。」

 

これも事前にお願いしていた通りでした。

 

18週の赤ちゃんがどんな姿か、また頭蓋骨がないのがどういう状態か、自分で見たときにどう感じるか不安だったので、分娩後すぐにではなく、見てもショックが少ない状態にしていただいてから会いたいと希望していたのです。

 

「ママだよ~よく頑張ったね」

 

と助産師さんが赤ちゃんに声をかけながら、私のところまで連れてきてくれました。

よく見る、銀の皿?や棺ではなく、ちゃんと新生児用のコットに乗せて、後頭部が隠れるように小さな帽子をかぶせて、服も着せてくれていました。

 

緊張しながら赤ちゃんを見たとき、すごく小さい・・まだまだ未熟で赤黒くてプルプルだったけど、しっかり手足もできて、お顔のパーツもできていて、特に鼻が上の子にそっくりだと一瞬で思いました。


確かに後頭部は大きく欠けているけれど、それ以外は普通の赤ちゃんでした。

 

「よく生まれてきたね。ありがとう。頑張ったね。

・・元気に生んであげられなくてごめんね」

 

と言ったら、ありがたさや申し訳なさ、悲しさや切なさや愛しさが一気に押し寄せてきて、いつぶりかわからないくらい声を上げて泣いてしまいました。

 

私は本来、あまり外で感情的にならない性質の人間です。

自分の結婚式や上の子の出産も、感情が爆発するということはありませんでした。

というか、極力冷静でいようと思っていたし、実際それなりにできていました。

 

でも、さすがに今回は無理でした。

健康に生んであげられなかったのに、母には何の苦しみもなくきれいに出てきてくれて、とても親孝行な子です。

 

担当してくれたお医者さんや助産師さんが、口々に

 

「いい子でありがとうね~」

「ママ思いだね~」

「会えてよかったね」

 

と言って寄り添ってくれ、お母さん頑張りましたねとねぎらってくれました。

 

産声のない出産に親身に寄り添ってくれた医療センターの方々には、本当に感謝しています。

 

2022年4月13日 14時28分

第2子 陽(ひなた)が生まれた日時です。

 

いっしょに過ごしては行けなかったけれど、ずっと暖かい場所にいてほしいという思いで名づけました。

このブログのアカウント solana-0413 は、スペイン語でひなたを表すsolanaと、誕生日を組み合わせたものです。

 

長男、そして後に生まれた二男の生年月日・時間と共に、生涯忘れることはないと思います。

 

夫に生まれたことを報告し、夕方に対面に来られることになりました。

麻酔が切れるまでLDRにいる間、少し陽と過ごす時間ができました。