すついに、目標にしていた産院での妊婦健診が始まりました。
噂通りキレイ、そして同じ系列なのに、今までの不妊治療クリニックとの雰囲気の違いがすごい!!
遠慮なく赤ちゃんのポスターが貼られ、手ぶら入院の際のアメニティが紹介され、お腹の大きな妊婦さんがたくさんいます。キッズスペースも待合室の一角に堂々とあります。
仕事が休みの土曜日に検診に行くと診察も激混みでしたが、飲み物も置いてあり、快適に待つことができました。
ただ、まだ胎動の感じられない初期はちゃんと育ってるのか、そもそも生きているのか不安な時期です。毎回のエコー前はとても緊張していました。
産院での初診時も相当緊張しましたが、元気なピコピコと少し大きくなった姿、そしてしっかりした心音を聞かせてくれました。この時点(9週半ば)で何も異常は指摘されませんでした。
先生から、今後の妊婦健診の流れと共に、出生前診断の案内をされました。35歳以上の人には全て案内しているとのことでした。
やはりされたか出生前診断の話…
1人目とは違ってこの時39歳。もちろん高齢出産です。当然、自分でも気になっていました。
出生前診断の種類、概要、何が分かるのか、費用、いろいろ説明を受けて、基本的にはやるならこの産院以外の他の病院を紹介するか自分で探すかということでした。
コウノドリというドラマで、出生前診断を扱った回があり、ご覧になった方も多いと思います。安心するために、義両親に勧められて軽い気持ちで受けたNIPTで21トリソミー陽性が出て、最終的に妊娠を継続した夫婦と、陽性が出たら諦めると決めて羊水検査を受けて、陽性となり中絶を選択した夫婦、両方のストーリーが描かれていましたね。
あれを見て、少なくとも軽い気持ちで受けるものではないという認識は充分ありました。
出生前診断については、個々の事情や考え、環境で
答えも異なり、正解も間違いも他人が決められるものではありません。
今回の妊娠が分かったときから、出生前診断を受けるのか、受けたとして陽性が出たらどうするつもりなのか、うっすら膨らみ始めた懸念がいよいよ本格的になってきました。
そして、出生前診断の困るところの一つに、検査の種類によって受けられる時期がかなり限られるということがあります。
こども家庭庁のHPからお借りしました。
これによると、コンバインド検査なんて11-13週に限られていて、その他もNIPTと羊水検査以外は検査できる期間が決まっています。
予約の都合を考えても、10wを迎える当時、嫌でも考えないといけない時期に来ていたのです。
こんなに苦労してやっと授かったのに、もし異常が見つかったら諦めるの?体外受精までして欲しかった子どもの命、自分たちの都合でなかったことにするの?そもそも子どもを希望した以上、どんな子でも育てて行く覚悟をもつべきじゃないの?
という思いと同時に、
きれいごとじゃない。健常に生まれた上の子の子育てだって、すごく大変って上の子の経験でもう分かってるじゃないか。ハンディを持って生まれてきた子どもを、責任持って育てられる?そして自分たち亡き後に、誰が面倒を見られる?
…上の子になるんじゃないの?
もう、全然答えが出ません。
わたしはお腹の子を、守りたいのか、守りたくないのか、どっちなのか?両方わたしの気持ちなのに、なぜ正反対のことを思うのか。
トリソミーの原因に、母の年齢が関係していることもまた自分に重くのしかかります。陽性なら、多分自分の年齢のせいと、どうしようもないことをずっと自責するのでしょう。
もう、こんな検査なんていっそなければいいのに‼︎
もう、めちゃくちゃです。苦笑
この子の前の子は、自らの運命で生まれることができずに流れてしまいました。悲しいですが、仕方のないことと納得するしかありません。
しかし、自分たちの判断で、生きている子の命をどうするか「選択をする」ことは多大な責任が伴います。自分の意思で決められる、ということは、ある意味ものすごく苦しいことだと痛感しました。
異常が見つかれば、出生後にできる治療や対応について準備ができる、という利点もあります。
しかし多くの人にとって、命について、しかも自分の子どもの命についての選択が視野に入り得る検査であることは否めないわけです。
こんなに苦しい検討事項ってあるかなと、半ば自暴自棄気味になっていました。
迷宮入りした私は、夫と相談する前に、同じく2人目不妊治療を長らく一緒に頑張って少し前に妊娠していた友人に、出生前診断をしたか、したならどれにしたか、どういうつもりでしたか、可能なら教えてほしいと相談しました。センシティブな問題で聞くのも憚られましたが、信頼する友人が同じ立場だったとき、どう考えたのか聞きたかったのです。そして、身ごもっておらず、経済的に大黒柱となっている夫とは多分考え方に差があると思ったので、夫と相談前にまず自分の気持ちと希望を整理したかったのです。
ありがたいことに、友人は親身に聞いてくれ、自分の経験と考えを話してくれました。そして自分の中でだんだんと意思が固まって行ったのです。