愛の言葉を遺して
昨日、美輪明宏さんの訃報を知りました。ひとつの時代が終わってしまったというより、私の中にあった大切な灯りが、消えてしまったような大きな悲しみを感じています。私がまだ二十代だった頃、美輪明宏さんの本をたくさん読ませていただきました。なかでも『ああ正負の法則』は、私にとって、とても大切な一冊でした。当時の私は、今よりもずっと不安定で、人からどう見られているかをいつも気にしていました。何気なく言われた一言を、家に帰ってからも何度も思い返してしまう。少しそっけない態度を取られると、「何か悪いことをしたのだろうか」と考え込んでしまう。本当は嫌だと思っていることにも、言えずに後でもやもやしてしまう。そんな自分が、とても面倒で、弱くて、情けないように感じていました。だからこそ、凛とした言葉と態度で生きてこられた美輪さんの姿に、強く惹かれていたのだと思います。美輪さんは、誰かに合わせるために自分を薄めるのではなく、自分の美意識や信念を堂々と貫いている方でした。その姿は、私にはまぶしく見えました。「そんなふうに生きられたら、どれほど素敵なんだろう」そう思いながらも、すぐに自分が変われるわけではありません。人の目を気にしないようにしようと思っても、心は簡単には言うことを聞いてくれません。それでも、美輪さんの本に書かれていた言葉は、そんな私を何度も励ましてくれました。強くなりなさい、と突き放すのではなく、弱さを抱えたままでも、品位を失わずに生きていけばいいのだと教えてくれるようでした。人は、正しいことを言われただけでは、なかなか救われません。「気にしすぎだよ」「もっと前向きに考えたら」「そんなこと、誰にでもあるよ」言っている側に悪気はなくても、そうした言葉が、かえって相手をひとりぼっちにしてしまうことがあります。本当に苦しい時、人は正解よりも先に、自分の気持ちをそのまま受けとめてもらいたいのだと思います。「それはつらかったですね」「ずっと頑張ってこられたんですね」「そう感じるのも、無理はありません」そんな短い言葉で、張りつめていた心が少しゆるむことがあります。誰かの言葉を変えることはできなくても、受けとめ方を一緒に探すことはできる。過去の出来事を消すことはできなくても、その人が自分を責め続けないように寄り添うことはできる。美輪さんの言葉にも、同じような力があったように思います。ただ優しいだけではなく、ただ厳しいだけでもない。人間の弱さも、醜さも、寂しさも知ったうえで、それでも人は美しく生きることができるのだと信じさせてくれる大きな力です。そして何より、美輪さんの日本語はとても美しかった。難しいことを、難しい言葉で飾るのではなく、誰の心にも届く言葉で伝えてくださる。けれど、その言葉は決して浅くない。読むたびに、心の奥にそっと残るものがありました。ご逝去にあたり、生前に書かれていた直筆のメッセージが公開されました。「こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありませんこの世のすべての問題を解く鍵は愛です愛があれば戦争なんか起こりません」この言葉を読んだ時、胸に静かに響くものがありました。「愛」という言葉は、とても大きくて、時にはきれいごとのように聞こえてしまうこともあります。けれど、美輪さんが伝えてくださる愛は、遠くにある特別なものではなく、日々の暮らしの中で選び取るものなのかもしれません。「ありがとう」と感謝を言葉にすること。相手の話を途中で遮らず、最後まで耳を傾けること。差し出された言葉を、軽く流さず、大切に受けとめること。ものごとを急かすのではなく、少し待ってあげること。自分と違う考えの人に出会った時、すぐに否定するのではなく、「この人にはこの人の背景があるのかもしれない」と、一度だけ立ち止まること。そんな小さなふるまいの中にこそ、思いやりや愛は息づいているのだと思います。そして、それは自分自身に対しても同じなのかもしれません。人の目を気にしてしまう自分。傷つきやすい自分。すぐに不安になってしまう自分。本当は平気ではないのに、平気なふりをしてしまう自分。それは弱さだけではなく、人の気持ちを感じ取ろうとしてきた自分の一部でもあったのかもしれないと。もちろん、すぐにそんな自分を好きになれるわけではありません。人の目を気にする癖も、急に消えるわけではありません。それでも、そんな自分に向かって、「よくここまで生きてきたね」と言ってあげること。それもまた、愛のひとつなのだと思います。美輪明宏さん、ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。