カ 同日午後7時50分頃、ソフトカップで1回吸引をしたが、カップのかかりがよくなかった。そこで、ハードカップで5回の吸引を行い、併せてクリステレル圧出法(4回)を行った。
同日午後8時2分、Cが娩出された。
(甲A9、乙A2p12、乙A23、被告代表者p7)

(3) 出生後のCの被告クリニックにおける経過等
ア 出生時、Cは、体重3212g、身長49.0cm、頭囲32.0cmであった。また、出生時、Cの右頭頂部に産瘤を認めたが、外傷、頭血腫はいずれもなかった。アプガースコアは9点(1分)/9点(5分)であった。 10分後に全身色が良好となり、10点となった。(乙A3、4、23)
11月20日午後8時08分頃に胎盤娩出があり、原告X1に弛緩出血と子宮収縮不良があり、Y医師は、原告X1の止血処置や縫合を行い、同日午後8時45分頃に縫合が終了した。同日午後8時50分頃、原告X1は、Cと面会した。(乙A2p14、乙A23)

 

 

 

 

 

 

経過をみる限りにおいても、

 

なかなかの壮絶なお産でしたよね。

 

ソフトカップでうまくかからないほどの産瘤ができており、

 

更には金属製のハードカップに変えて5回の吸引(クリステレル併用しながら)

 

で、やっとの事で娩出に至ったんですものね。

 

生まれた直後でも、赤ちゃんの頭は伸び伸びで、

 

産瘤なのか、頭血腫なのか、はたまた、帽状腱膜下血腫なのか、

 

わからないくらいにダメージを受けていたのではないでしょうか。

 

産瘤(さんりゅう)だの頭血腫(ずけっしゅ)だの帽状腱膜下血腫(ぼうじょうけんまくかけっしゅ)だの、

 

難しい用語が出てきますが、説明大変なので、コチラのサイトを参照ください。

 

 

 

 

 

これね、娩出直後には判然としないことも多いのですよ。

 

 

だから、

 

大変な吸引分娩をした場合、出生後のベビたんの観察と管理は、厳重に行わなければならないのですよ。

 

 

カ 同日午後7時50分頃、ソフトカップで1回吸引をしたが、カップのかかりがよくなかった。そこで、ハードカップで5回の吸引を行い、併せてクリステレル圧出法(4回)を行った。
同日午後8時2分、Cが娩出された。
(甲A9、乙A2p12、乙A23、被告代表者p7)

 

 

20:02 に生まれて

 

その後の、4時間を経過する過程で、

 

Minaさんの息子さんは急激に悪化していったんですね。

 

 

 11月21日午前0時20分頃、Z助産師は、Cに顔面チアノーゼがあり、全身色不良で、筋緊張は弱く、うなり呼吸があることを認めた。剌激にて呼吸促すも、全身色は改善しなかった。(乙A2p18)
同日午前0時25分頃、CのSpO2は99~100%で、呼吸数は47、心拍数は161であった。その頃、Z助産師は、Y医師に対し、上記SpO2、呼吸数、心拍数のほか、呼吸状態が多呼吸気味で努力呼吸様で元気がない旨を電話で報告したが、顔面チアノーゼ、全身色不良、うなり呼吸があることは、報告しなかった。
Y医師は、Cに出生後の新生児一過性多呼吸の疑いがあると判断し、Z助産師に対し、SpO2モニターの続行、保育器収容による経過観察及び必要なら酸素投与を行うように指示し、自身でCを診察することはなかった。(乙A2p18、乙A23)

 
 
 
 
 
コレね、判決文を読んで、私が真っ先に疑問に思った事のひとつに、
 
 
 
なぜに、医師は院内におらんの?
 
お産終わって、帰っちゃってるの?
 
って事。
 

本来ならば、

 

助産師任せではなく、助産師の報告を待つのではなく、

 

医師自らがある程度の時間、観察をするか、

 

具体的に、細かく、観察と報告する必要性を、助産師に指示すべきでしたね。

 

どこまでやってたか、知らんけど。

 

0:20の電話報告で、助産師に報告漏れがあった云々じゃないんですよ、

 

(助産師のせいにしてんじゃねーよ、って感じ)

 

この助産師さんの症例経験、経験年数、観察力や判断力がどんな感じの方かは存じませんが、

 

医師自ら、〇〇は大丈夫ですか?〇〇は、どうですか?

 

など、尋ねてないんですか?

 

 

既に大きな産瘤ができ、ソフトカップで吸引できず、金属製に変えてクリステレルで複数回引っ張っての壮絶な分娩となった症例なのに、

 

Y医師は、Cに出生後の新生児一過性多呼吸の疑いがあると判断し、Z助産師に対し、SpO2モニターの続行、保育器収容による経過観察及び必要なら酸素投与を行うように指示し、自身でCを診察することはなかった。

 

 

んですか?
 
一過性多呼吸!?
 
へ?
 
あたかも、助産師が報告しなかったことで発見が遅れたって被告(側医師)の反論に見えますが、
 
え、アナタ医師ですよね?
 
その医療機関の長ですよね?
 
経営者ですよね?
 
何故、自ら診に来て確認しない?
 
って思うのですが、
 
状況がリアルに想像できる私は
 
開業医あるあるだと思いました。
 
 
 

「怖い開業医 夜中のお産は悲惨です」

「リアル 白い巨塔 死産にされた出産 隠蔽された医療ミス」

 

 

 

 

 

 

大変なお産が終わって、

 

医師は、とっとと帰っていったのでしょうね。

 

夜勤の助産師(看護師その他)が何人体制だったか存じませんが、

 

このMinaさんの産後ケア、ダメージを負った赤ちゃんの観察とケア、

 

その他、Minaさん以外の入院患者や赤ちゃんのケアに追われて、

 

大変だったでしょうね。

 

夜勤者一人だったら死にそう。

 

そして、夜中に報告の電話を入れた助産師も、

 

電話に出た医師は不機嫌だったり、返事しなかったり、(電話聞いてるのか聞いてないのか?)

 

したかどうかはわかりませんが、

 

私の経験で言いますと、

 

夜中にくだらない報告や確認で医師に電話して起こすと ← 開業医の院長は、くだらん電話、という認識の人が結構います

 

めっちゃ怒鳴られるのよねぇ~。

 

ハイ、過去には、何度も怒鳴られました。

 

思いっきり、嫌そうな声で対応されました!

 

 

 

この経過を見る限り…

 

 

出生後、少なくとも深夜0:00まで、医師ないし、

 

Minaさんの赤ちゃんにつきっきりで観察できる看護師助産師がいれば、

 

対応ももう少し早くできたのではないかと思います。

 

ただ、これだけ大変な吸引分娩の末に出生していますので、

 

早期にNICUを有する三次施設に搬送し、処置を受けられていても、救命はできても、

 

脳性麻痺になった可能性もあると思います。

 

 

 

私も過去、たった1年間ですが三次施設のNICU勤務経験の中で、

 

某東海エリアで有名なクリニックから搬送されてきた赤ちゃんが酷い帽状腱膜下血腫となっており、

 

書類を見たら、吸引分娩ナシになっていたことがあって驚きました。(なワケないっしょ。)

 

赤ちゃんの頭が、何したらこんなんなるの!というほど伸びて触るとプカプカして(血液で波動がある)

 

助産師人生で初めて、そんな酷い症例を見ました。

 

その数日後に面会に来た母に尋ねましたが、吸引されたのか何をされたのか、壮絶すぎて覚えていないと言うし…

 

もちろん、診察に当たった新生児科の小児科医たちは、搬送元クリニックの批判もしませんし、医師に苦言も呈しませんし、

 

もくもくと…治療に専念…

 

前医は批判しない、が、この業界の暗黙の了解事項です。

 

 

 

 

 

 

そして、

 

私は以前、Minaさんに、

 

貴女が無痛分娩なんかやるからこうなったのよ、

 

と批判したことがあります。

 

ちょっと言葉足らずだったと思うし、

 

素人の彼女を責めたところで、何も改善しませんし、あとから、あーだこーだ言ったところで、

 

タラレバになってしまうんです。

 

十分彼女は、「自分が息子をこうしてしまった」とご自身をずっと責めてますものね。

 

 

そうじゃなくてね、

 

無痛分娩は、こういった事も起こりうるというのを、正しく知ってほしいのです。

 

麻酔を使ったお産だから故に、陣痛促進剤(子宮収縮薬)と会陰切開、吸引分娩は必須なんです。

 

こんかいのMinaさんのケースも、

 

自然陣発で入院したにも関わらず、

 

日曜の朝だったからという理由(でしょうね!)

 

で子宮収縮抑制剤を投与してまで自然の陣痛を止めて、

 

翌日、今度は陣痛促進剤を使って

 

更に麻酔を入れて痛みを無くそうとした。

 

しかし、陣痛促進剤は母体が痛みを感じない(軽減)されている中でも

 

母体に作用し、

 

薬剤でガンガン痛みを強め、

 

その不自然な陣痛は自然陣痛より赤ちゃんにとっては熾烈なもので、

 

苦しいんですね。

 

だから、子宮収縮薬を使うと、モニタリング上で赤ちゃんの心拍に異常をきたすことが多いのです。

 

私はそれを見るたびに、赤ちゃん苦しくなってる、

 

こんな点滴、止めてしまいたい、止めてしまえばいいのに、

 

 

何度思った事か。 ← もちろん勝手に止めることはできません。

 

 

当時、そんな思いの中、助産業務を遂行するのは辛かったです。

 

 

 

 

判決文を見る限り、

 

ソフトカップがうまく装着できず引けなかった、

 

金属に変えて、2回くらい引いても娩出に至らなかった時点で、

 

鉗子分娩で一発でキメるか、(でも鉗子分娩は深い経験を要します)

 

すぐに帝王切開できていれば、

 

また結果は違ったのかもしれませんが、(タラレバになってしまいますが)

 

個人産院で夜間、緊急帝王切開ができるところなんて、ほとんどありません。

 

日本の周産期のシステム自体が、昔も今も、そうなっているので、

 

そうそう簡単には変えられません。

 

かと言って、みんながみんな、

 

それができる施設に行けばいいかと言うと、それも違います。

 

 

 

オ 11月21日午前2時10分頃、Z助産師は、Cの全身蒼白が著明で、呼吸が弱く、SpO2が80~70台に下降しているのを認めた。徐脈があり、筋緊張はなく、体温は36.7度であった。
同日午前2時15分頃、Z助産師は、Cにマスク&バッグによる酸素投与を開始し、Y医師に報告し、Y医師が来院した。
同日午前2時30分頃、CのSpO2は96%、全身色不良で、筋緊張はなく、対光反射は弱く、右頭頂部に腫脹波動がみられ、血腫様であった。
Y医師は、Cの状態が悪いため、新生児搬送を行うこととし、F病院に新生児搬送を依頼したが、受入れを拒否され、新生児診療相互援助システム(NMCS)により、Dセンターに新生児搬送を依頼した。
同日午前2時35分頃、マスク&バッグによる酸素投与を継続し、SpO2が100%であった。
同日午前2時40分頃、Cに対し、マスク&バッグによる酸素投与を継続し、SpO2が100%であったが、これを止めるとSpO2が低下する状態であった。全身蒼白は改善せず、徐脈があり、90~100台であった。その頃、Dセンターから、搬送可との連絡があった。血糖値は52mg/dlであった。その頃、原告X1は、Cと面会した。
同日午前3時頃、Cに対し、マスク&バッグによる酸素投与を継続したが、状態は変わらなかった。Dセンターより、Cの搬送先がE病院に決定したとの連絡があった。全身色不良で、筋緊張はなく、脈拍は95~100で、呼吸数は47であった。
同日午前3時10分頃、マスク&バッグを止めると、SpO2は90%半ば、徐脈80~90台であり、マスク&バッグ続行にてSpO2は100%、脈拍は100台であった。
(甲A10、乙A2p18、乙A23、被告代表者p10)

カ 同日午前3時20分頃、Dセンターの応援医師である小児科医が被告クリニックに到着した。
同日午前3時25分頃、気管内挿管が行われた。SpO2は80%台~80%台後半で、なかなか上昇がみられなかった。酸素投与続行にてSpO2は100%であった。
同日午前3時30分頃、気管内挿管を行うも、末梢血管を確保できなかった。徐脈80~90台で、SpO2が80%台から90%台をふらつく状態であった。全身蒼白は変わらず、右頭頂から左頭頂にかけて血腫様、波動著明であった。
同日午前3時40分頃、Cは、保育器に収容され、原告X2付添いのもと、E病院へ向けて出発した。
(乙A2p19、乙A23)


(4) E病院での診療経過等
11月21日午前4時頃、Cは、NICU(新生児集中治療室)のあるE病院に到着した。NICU到着時、Cの心拍は80回/分で、SpO2モニターは、搬送中より末梢循環不全のため測定することができなかった。末梢冷感があり、体温は35.2度、全身性チアノーゼがあり、血圧はマンシェットで測定できなかった。診察では、対光反射なく、体動なく、筋緊張低下がみられた。後頭部全面に波動触れる血腫が認められた。Cは、帽状腱膜下血腫、低拍出性ショック、高カリウム血症(電解質異常)と診断され、同日午前5時頃、原告X2に対し、Cの病状説明がされ、救命困難である旨、また、救命できたとしても重度の後遺症を残す旨の説明がされた。その後、一時的に心収縮改善するも再び徐脈、収縮不良となり、心拍、血圧が徐々に低下した。
同日午前5時32分頃、心拍が徐々に徐脈傾向にあり、心拍60回/分、SpO2が70%前後であり、治療への効果が乏しかった。再度、原告X2に対する説明が行われ、救命困難であり、看取りの方向で看護していく方針となり、原告X1が到着するまで、メイロンを投与しながらバイタルの安定を図ることとなった。同日午前7時頃に原告X1が到着した。
同日午前7時56分、Cは死亡した。
(甲A1の1p1,2,40,43,44)

 

これを見ると、

 

F病院に受け入れ拒否された後、Dセンターの医師が(NICUを有するが病院の医師?)クリニックに到着したが挿管はできたものの血管確保ができなかったんだね。

 

その後、E病院に搬送されて・・(おそらく最後の砦の三次救急だろうか?)

 

 

 

E病院には搬送されたが、なすすべもなく、命の灯が消えゆくのを見守ることしかできなかった…

 

リアルに想像できるだけに、

 

壮絶なお産を終えたばかりのMinaさんの心中を思うと、

 

私も側にいたのなら、泣いてしまったかもしれません。

 

 

 

 

 

長くなるので、ここまでで、送信します。