知性と感性 | Lovely Lovely

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大好きなもの、大切なものに囲まれた愛しい日々に感謝しつつも…たまにはデトックスだって必要ってことで♪

すべての出来事は、

ただそこで起こり、ただそこに事実として存在する。


それは誰にも等しいものとして。



その事実自体をどれだけ知っているか、

知的に理解できているかということは、

現実に融合したその事実を理解していると言う状態に

必ずしも結びつくわけではない。


ただそこにあるはずの事実が異なる意味を持つのは、

それを感じる人間というフィルターに違いがあるから。

その事実の意味するところを必要としているものは

この現実であり、そこに生きる人間そのものだからだ。


状況を証拠を把握しているという状態は、

事実を理解する道程の一歩であって、

それだけを集めていても拡散的認知でしかない。


事実を把握することと、

それにどんな意味があるのかということは、

まったく別のものなのだということだ。


その事実に関わった人間の数だけ、真実は生まれている。

人間というフィルターが、自分というフィルターが

その事実についての他者と異なる意味を生み出している。


フィルターになっているのは、自身の経験や価値観、欲望、感情等ではない?


それらはすべて、個人に属するものだから、個人が自身を表現することに、

他者としてそれぞれを判別することに生かされるものではある。

他に共感を得たり、他と結びついてゆくことに生かされるものではある。


だけど、ある真実を見出そうと思うなら、それらを超えた感性が必要だ。

感情や欲望を意識して心を静かにし、

価値観という経験から得た感覚をフラットにして、

事実が表す、現実の発する微かなサインを感じ取る必要がある。


事実が表すものを知性が捉え、現実の発するものを感性が捉える。


それらのバランスが重要なのだ。



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目的は何だ?ある真実を知ること?

自分を、相手を理解すること?自分を表現すること?相手を変えること?


それぞれバランスを調整して、生かさなければならない状況で

目的を見失うことは致命傷を負いかねない。


自身の目的やフィルターがどういう状態かを自覚すること、

それこそが、他者と繋がる時にまず必要とされる姿勢。

今日も言い聞かせる。