他人の言動に向けた疑いは、
闇に踏み出していく感覚に似てるけど、
自分の言動に向けた疑いは、
闇から光を目指していく感覚に似てる気がする。
自分の本心を探るために、
自分を客観的に見つめるために、
自分の出した結論を信じるために、
私は、自分が何かに対して持った「疑い」を、
逆に「それは、本当に、そうなのか」本気で疑ってみる。
大丈夫。
それをしたって、自分を見失ってしまうことはないし、
自分を信じてくれる人が一人も居なくなることもない。
むしろ、その人たちとは、
お互いの考えを深く共有することが出来るようになったよ。
自分を疑うこと。
それは、固定観念や偏見、思い込み、不信、希望的観測…
そういうものを、自分の想いから剥がして削って、
磨いていく作業のひとつの方法だと思う。
何よりも素敵なのは、
自分の「疑い」を疑った後、
新しく導き出した答えが最初のものと同じでも、
それは「疑い」から「答え」に変化していること。
「疑い」は、不安定で拠りどころもなく、
だからこそ自分を無限に、幾重にも取り囲む。
「答え」は、それ一つとは限らないのにも関わらず、
確かな存在感を持って、
静かに、
こころの中に、留まる。
その過程で、
自分の本当の気持ちが見えてくるんじゃないかな。