久しぶりに、パソコンでアメブロひらいたら、
『4年前の4月に書いた記事』というところに出てきた。
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ぞっとする。
しんどいブラック企業時代を抜けて、次の道に進もうと。
今度こそ、やりたいことを仕事にするんだと意気込んでた。。。つもりだった。
でも、こうしてみると。
吐き気に目まいって。
とにかく、自分のことを全く理解できないまま生きてきたので、やっとそれに気づいたので、
これこそは自分がやりたいことなんだ!!と、信じていたんだね。
結局、それはやりたいことではなかったんだ。
出来るようになったこと。
この先生きていくのに、あると便利な知識を習得できそうなこと。
役に立ちそうなこと。
人から感謝されること。
自分ではわからなかったけど、周りからすれば、
「それ、本当にやりたいことなの?」って、とっくに見抜かれてたみたい。
このあと、お二人のカウンセラーさんにお世話になっているけれど、お二人とも最初から違和感感じてたんだって。
やあね、もう。
自分を探し出すって、なかなか大変。
大変。困難。ええっと。苦しいものという意味じゃなくて、根気がいる。
ちょっとやそっとでは、見つけ出すことができないから。
よし、これが自分だ!!って思っても、もっと奥深くに、グルグル巻きにしてガッチガチにかためて、絶対に表に出てこないようにした自分とご対面した日には、本当にわんわん泣きしたり、わめきちらしたり、怒り狂ったり(←自分ひとりでね)。
そんなことしなくたって、それなりに平和に幸せに過ごせる人ももちろんいるだろうし。
トラウマとかインナーチャイルドとか、そんなの見たってきりがないから、もうそこは素っ飛ばして、自分の素敵なところを見ていけばいいんだよ、ていう人もいるし。
要らぬ思い込みに気づいたら、それをポイってしたらいいんだよ、とか。
うんうん、それでもいいのだろうけど。
どうも私は、そういうのにはしっくりこなくて。
絶望するような醜い自分、何の役にもたたない無価値さに怯える自分、いい子ぶって人に愛されようと思考してしまうカッコ悪い自分。
そういうのに真正面から向き合って、泣いたり怒ったり悲しんだり、ねぎらいの言葉をかけたり。
それを通って、やっと、自分はこれでいいんだと思えて、それで感じる安心感の中で生きるほうが、単純に好きなんだよね。
そこまでしないと、自分がわからなかった、ともいえる。
周りがうまくいくように、誰かの機嫌をそこねないように、存在意味のある人間だと思ってもらえるように。
そのために、全ての感情を封印して生きてきちゃったんだもの。
私、何が好きなんだろう。
私、何がしたいんだろう。
私、何が食べたいの?
私、本当はどうしたいの?
「なんの制限もなかったとしたら、なにがやりたいですか?」
こう尋ねられたとき、なにひとつ頭に浮かばなくて、
だけど、頭に浮かばないことを相手に理解されなくて、
あれ?私って一体、、、、、、、
その事態に気づいたのが、この4年前の記事からさらに半年ほど先のことでした。
ただいま、半、失業中。
4年前と、どこか似ているようだけど。
だいぶと何かが違う。
役立たずでもいい。
無価値でもいい。
力を抜いて、
でも、本当に自分に正直になるために何度も勇気を出して。
そしたら不思議と、
こんな自分に、憧れを抱いてくれる人が、ポツリポツリと現れるようになってきた。
本当にやりたいことって、カッコ悪い自分でもいいって思えてはじめて出会えるのかもしれんなあ。