父と私は仲が良かった。

いわゆる思春期特有の…
お父さん嫌い!えーみたいのとか
洗濯物べつにしてー!とか

そんなもんは全くなく
思春期頃なんて 父と二人でご飯に出掛けたりするくらいだった。

そんな父も 一時期…
いわゆる女遊びをしていた時期がある滝汗
そんな時でさえ、嫌いだとは思えなかった。


とても道に詳しくて
父に言えばどこでも行けるんだと子供のころは思っていた。

そういえば。かなり昔、まだ私が実家で暮らしていたころ。
都内から電車で帰る途中、大雪で電車が止まってしまったことがあった。
まだいつもの駅までは電車で30分以上かかる駅でのストップガーンガーンガーン

電話をすると、迎えに行くという。
当時はまだカーナビなんてスタンダードじゃなくて『道、わかるの?』と聞くと
『道なんか繋がってるんだからどうやったって着くよ』となんとも頼もしいお返事カナヘイうさぎ

駅には迎え待ちの人がたくさん。
どんどん減っていく…。
かなり減ったところで人数を数えた。

6名。

このV6から誰が最初に抜けるのか…あせるあせる

まず一人が程なくして抜け
待ちの私達はSMAPになった真顔

SMAPになったころには メンバー(?)間で話すようになっていた。
よく降りますねぇ雪雪の結晶寒いですねぇ~など。

また少し経過し、一人が抜けた。
SMAPとして結束が出来かけていた矢先に…。

そして私達は男闘呼組に真顔真顔真顔真顔(←年令バレるやつw)


男闘呼組の中の二人は友達のようだった。
そしてその二人が!すみません…お先に…と行って迎えの車に向かっていくのを

推定50代と思われるおじさまと
晴れてKinKi Kidsになった私が見送る(笑)

(゜ロ゜)

どっちがマッチさんになるのか…。
私の家の場所を聞いて、あ~じゃあ私の方が先に来ちゃうな…ごめんね汗汗汗と言われていたけど…

来た!父が来た!マッチさん確定かと思ったその時に。

あ、すみません、来ました!と言って
最後(ソロ)にならなかった喜びで車に向かって走り出したところ 見事に雪で滑って転んだ私。マッチさんが起こしてくれました。さすがマッチさん(笑)

車に着くと、一部始終を見ていた父が車の中で母と大笑いしていた笑い泣き笑い泣き笑い泣き
寒かったし、車の中のあたたかさと
安心感と。なにより父は運転が上手いので
帰りの車内は確か寝てしまった私zzz
私が運転が上手い人が好きなのは 間違いなく父がいたからだと思う。


自分で言うのもアレですけど…
父はこんな私でも自慢の娘として外では話していたようだ。
うちの娘は10あることを1言えばわかるんだよ、と。俺の娘にしては出来すぎだ、と。

※その褒められた時期から大人になるにつれて わりと落ちていってごめんよ父ちゃんw


父はスポーツ万能だったらしく
バレーボール、マラソン、庭でのゴルフ、あとなんだっけ?なんでも付き合ってくれた。


ショッピングモールみたいなとこに買い物に行きたい!といえば
友達と私を連れていってくれて、駐車場で数時間も待っていてくれる人だった。


道にも詳しい、家電にも強い、
なんでも直せちゃう?
あ、あと歌も上手かったなグッド!グッド!


面白いと思うこと
腹立つこと
なんかほんとに似ていて 楽しかったんだよなぁ。

今も面白いと思うことがあると
あぁ話したいなぁ 聞いたら笑うだろうな、と思う時がある。
そういう時に いなくなってしまったんだなと実感したりして
ちょっと悲しくもなるんだけど

これを言ったら笑うだろうな、から
笑ってる彼を想像して
その悲しさはクリアするようにしている。


楽しかったこと
たくさんあったから

父亡き今も

思い出し笑いが出来るくらい。

全てではないけど

楽しく思い出せることが多いと

残された者は
悲しみだけってわけでもなく
気持ちの持ち方に影響あるみたいで。

父と仲良くて良かった。

欲を言えば

まだまだ足りなかったんだけど。