ずっとほしかったもの | 4人の子育てとパートナーシップ術

4人の子育てとパートナーシップ術

1度目の結婚でしくじり、2児のシングルマザーに。その後2度目の結婚で合わせて4人のママになりました。

オタマメソッドマスター

トータルビューティアドバイザーの


西澤 景子です。






たまたま自分の小学校の近くを通ったら、

夏休み中の小学生を見かけました。







その姿を見たら

急に小学生の頃に還るような気持ちになり

涙があふれたんです。







何で泣けた?





私の過去の経験と

これから全うしようとしているお役目が一致したから。








母親が乳癌で亡くなったのは、小4の春。





それまでも、そのあとも
すごくしんどかった思いだけが残っています。








母に、もっと抱きしめてもらいたかった。



手を繋いで歩いて欲しかった。



つらい時に、優しく撫でてほしかった。





それなのに

その気持ちを伝えることができないまま
母は亡くなりました。






母はとても厳しい人でした。

いつもイライラしていて怖かった。




大怪我をして帰った時に

大きなため息と、冷たい態度を取られて

すごく悲しかったのに



私がしっかりしてないせいだと
自分をせめたこともあります。








母が天へかえろうとするその日、



祖母が学校まで迎えにきて

それが何を意味するのかが分かり、


怖くて怖くて仕方なかったのに


「しっかりしなさい!」という母の顔がうかんで

平気なフリをしていました。






病院で、久しぶりに握った母の手。


でも母が握り返してくれることはなく、

そのまま天へかえりました。







ずっとずっと

求めていた手なのに





そんな時でも

『 いい子でいよう 』

『 しっかりしよう』


とずっと気を張って、


悲しい気持ちにも蓋をして、


『 お母さん、死なないで 』

と言いたかったことも

まわりを困らせてはいけないと、
無いものにしていたのです。








私がずっと求めていたものは、人の肌から感じる安心感。



母の肌に触れて、愛されていることを実感したかったのです。







今日の小学生の姿を見て、
こんな大事なことを思い出すことができました。







私が女性の肌に触れる仕事を始めた根底には、

母への満たされなかった想いがあります。







私の母は乳癌で亡くなりました。


乳癌は

「自分に対する愛を育むこと」

これを忘れた時のサインなんですって。

これが分かると、

毎日母がイライラしていたり、

長女の私に八つ当たりしていたことに頷けます。





死を感じながら

毎日を過ごしていたことを思うと、

胸がしめつけられるような思いです。








私が人の肌に触れて浄化に繋げるのは、


母の想いも丸ごとひっくるめて、

あの時満たされなかった自分自身を癒しているのです。





正直言ってこの募集記事は、

自分でも面白くなく
黙って消してしまいたいと思いました。






自分をほどほどにしか出さず

当たり障りのない感じにしか書いてません。

下矢印



↑内容を変更する前に、このブレブレ記事を読んでやろうって方は今のうちにどうぞニヒヒ(泣)







というわけで、

お申し込みゼロのうちに、出直すことにしました。






募集開始については再度告知します。







私はオタマエナジーを通して

母と対話し、肌に触れて

あの時の悲しみを癒します。


母の代わりになってくれる人に向けて、再びお届けします。