~平日夜のよくある?風景
 
 
疲れて家に帰る。
頭の中は、次のタスクでいっぱい。
さあ、早速食事の支度をして・・、
 
めずらしく先に帰宅しているだんなさま。
「あ、お帰り~」
「ただい、ま・・・・!!!!」

あなたは目にします。
リビングに転がるだんなさまの脱ぎ捨てた哀愁の漂う靴下を。
ソファにかかっているワイシャツを。
 
 

・・大豪邸でもないんだから。
数メートルの移動でしょ!
なんでいつもいつもここに脱ぎ散らかすの・・・・・・!!!
 
さりげなくすでに着替えてくつろぐ姿を見て、
激動を必死で抑えながら、
「これから食事の支度だし。
手も洗ったから脱ぎ捨てた靴下さわりたくないし」
意識を集中して、見ないことにする。
いえ、ないものとして作業を続ける。

こんな光景。
ありますよね?

あなたの中のはてなマーク。なぜ?
なぜここで脱ぐ?
なぜ脱衣かごに入れられない?
なぜ出しっぱなしにしている?

そして。
誰が片づけると思っているの!??

あなたにしてみれば、数メートルの移動。
家をきれいに保つためには、
少しの「労力」は致し方ない、と思っています。
 
ほんとうはあなたも”ちょっと”面倒くさいと思っている。
けれど、”意識高い系”を必死に保ち、
「あるべき場所に戻す、入れる」ことを実践しています。
 
でも。
だんなさまはその”ちょっと”面倒を、
そのまま受け入れているようです。

あなたもちょっとはがんばって。
わたしに協力して。
 
思わず言いたくなるあなた。

ちょっと一歩引いて考える。

なぜここで脱ぐんだろう?
なぜ置きっぱなしになっているんだろう?

無意識にも”意識”があります。

だんなさまにとって、仕事から帰ってきたときは、、
 
<ケース1>
疲れているから靴下は椅子に座って脱ぎたいよね
くつした脱いだらそのまま全部脱いじゃうよね
身軽になって着替えに行くよね
着替えたらとりあえずちょっとビール飲んで一息つくよね
あ~今日もお疲れさん!←脱いだものの存在を忘れる
 
とか、
 
<ケース2>
手を洗って、ここで脱いでもいいんだけど←脱衣かごは目の前
着替えがここにはないし、
クローゼットの中は脱ぎにくいし。
とりあえずリビング移動して。
鞄を置いて、脱いで、と。
じゃあ着替え取りに行くか。
着替えたらとりあえずちょっとビール飲んで一息つくよね
あ~今日もお疲れさん!←やっぱり脱いだものの存在を忘れる
とか。

あなたにしてみれば、
「ちょ~っとまったああ!!」な場面がてんこ盛り。
でも、これが事実だとしたら。
疲れて余裕のない「人」に、変化を求めるのはかなり難易度が高い。
 
たとえば、
<ケース1>であれば、折り畳みの簡易イスを脱衣所に置いておく。
<ケース2>であれば、部屋着を脱衣所の近くに少しだけでも置いておく。
 
など、だんなさまの思考に沿って、
フォローしてみる。
 
「ここにあるべき」の枠をはずして、
「我が家にとって」を考えてみる。
 
これは、あなたにとっても同じです。
 
どの場面でどの”思考の枠”をはずせば快適になるのか?
 
快適なうえに、
時短につながる一歩です。