今月のお題は『女のここにムッとする』です。

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むかつくというかなんとなし苛つくという表現の方が近しい感じなのだが、どうやら『心配性』な女に対して許容力が下がる傾向にあるらしい。

もともとあまり先を深く考えない質である。
村上春樹の短編『ファミリー・アフェア』で主人公が、「良い面だけを見て、良いことだけを考えるようにするんだ。そうすれば何も怖くない。悪いことが起きたら、その時点で考えるようにすればいいんだ」と言うのだけれど、そうだそうだ、と深く同意を覚えたものだ。

ところが世の中には『心配性』な女が(もちろん女に限らず男だっているけれども今回のテーマを鑑みて)わんさといるというのも事実である。
心配性というのは悪いことではないだろう。転ばぬ先の杖ということわざだってあるのだ、危険を予測してそうならざるよう準備するというのも必要ではある。
だけれどもどうしていちいちこう……吐き気を催すような苛立ちを覚えるのだろう?
勿論それは、わたくしのキャパシティーがただただ狭いという他ないわけだが、それをひとまず置いておき考えると、彼女たちは総じて建設的な思考とはかけ離れているからと言える。

彼女たちの口癖は、「……かもしれない」「こうなったらどうしよう」である。
それをひとつのみならず、ふたつみっつ、ひどい時には10近くもあげつらったりするのだ。「AだったらBになるかもしれない」「BにしたらCになるかもしれない」「Cかと思ってAだったらどうしよう」「いやいやAかと思ってBかも……」ええい、無限ループか!いい加減にしやがれ。

たしかに、心配事というのはどのような場面においても出てくるものだ。しかしそれをどうしたら「出来るようになるか」「どううまく問題を回避出来るか」というように考えていかないと、先に進めないじゃないか。ただ心配するだけなら猿でも出来るじゃないの。だったらそれをしてどうなるというの。などと思うのである。

しかしこの苛立ちというのは、自分が内面で足りないと思っているところを細かに突っついてくるから起こるのかもしれない。他人に対して嫌いと思うところは、自分が気にしている部分でもある(あるいはコンプレックス)と言われている。
だから私は物事を気にしない質でありながらその実、どこかでそうであってはいけないと思っているのかもしれないのだ。

そう考えると、心配性の言葉たちを戯れ言と斬り捨てるのはいけないのかもしれない。ううむ、悩ましきことである。

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