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辻が花(9)
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聞きたいことや言いたいことは山のようにあった。

結婚の報告をした共通の友人達には何と弁解すればよいのか。
仲人を頼んでいた上司には、親戚には、そして両親には……。
依頼された余興のために時間を割いて練習してくれている友人たちの秘密めいた笑顔や、新調した留袖を嬉しそうに見せる母の顔、ちょっぴり酒量が増えた父の後姿が次々に浮かんでくる。

贅沢なレースをたっぷりと使ったあのオフホワイトのウエディングドレスだって、ふうわりと顔を覆う神秘的な長いベールだって、カサブランカや純白の小さな薔薇を品良く配置した贅沢なブーケだって、気が遠くなるような時間を費やして、こだわりぬいて決めものだった。

そしてあの式場。
週末毎に繰り出したあちこちのブライダルフェアの中で、2人が一番気に入った式場だった。
光がいっぱい差し込むまだ新しい白木の教会中にパイプオルガンの音が高らかに反響する。神父が遥か向こうに立つバージンロードを、いつか見たイギリスの王妃のような長いベールを引きずりながら父と共にゆっくりと歩く自分の姿を、もう何百回想像したことだろう。

パーティー会場のお料理や演出、テーブルに飾るお花ひとつにだって妥協しなかった。
何度も何度も足を運んで打ち合わせを重ねているのに、キャンセルしなければならないのだ。プランも、見積もりも、何もかもが具体化している。
式に対する沙弓のこだわりに、頭が下がるほど懇切丁寧に付き合ってくれている、まだ若い担当者の顔が目に浮かぶ。彼がメインとなって担当する客は、私達が初めてなのだと言っていた。

ブライダルエステだってもう始まっている。まだ独身の担当エステティシャンが発する羨望の言葉を、心地よい音楽のように聞きながらうつ伏せになって受けるマッサージは、沙弓の優越感とプライドを限りなくくすぐる甘やかで幸せなものなのだ。あの人に、私は一体何と言えば良いのか。

そうだ。何が何でも別れるわけにはいかないのだ。

赤ん坊がなんだ。瑞穂が勝手に育てればいいではないか。弘幸が巻き込まれる理由などないのだ。
遺伝子だけ拝借したいと言っていたのは瑞穂ではないか。そうだ。それを弘幸に伝えよう。きっとそうすれば何もかもが元通りになるに違いない。

けれど、喉の奥が何か粘着状のものでふさがれてしまったように、沙弓は声を発することが出来ずに時間が流れていった。

「沙弓、本当に申し訳ない。でも沙弓に対して、自分が出来る償いはすべてするから」

沈黙に耐えかねたのか、ゆっくりと、噛みしめるように弘幸が話し出す。

「まだ混乱していて、上手く話せないかもしれないけれど、週末にでも会ってもらえないか。今後のこと、後始末は、俺がきちんとけじめをつけさせてもらう。沙弓のご両親にも謝罪に行かなければならないし……」

弘幸の言葉が続けば続くほど、沙弓の目の前には紗がかかったように濁り、ロビーの片隅の大理石の床に、雫がぽたり、ぽたりと落ちていく。
「慰謝料の件も……」
弘幸がそう言いかけた瞬間、沙弓は思わず顔を上げた。

「違う!違う違う違う!!そうじゃない。そんなことじゃないの!」
暴露してやる。瑞穂の魂胆の何もかもを。瑞穂が何故弘幸を選んだのかも、全てを言ってやる。

ぐるぐると天地が回る。床の模様が渦を巻き、近づき、遠ざかり、時間も空間も、全ての感覚が狂ったようにゆがみながら沙弓を包みこんでゆく。


……つづく