リスクの大きい側湾症手術に踏み切った理由は

 

シンプルに

 

食ってけない。です。

 

 

側湾症の痛みでなくて、餓死するかもドクロガーン

 

側湾症によって同じ体勢を続けると腰や足が痛いので、

 

座り続けることも、立ち仕事もできず、重いものは持てず…

 

特別な能力はなく…(左矢印側湾症は関係ないタラー

 

 

と、段々とできる動作に制限を感じるようになり、特に仕事となるとある程度周りの人と同等にできなければ、厳しい目を向けられるもので…えーん汗汗

ただでさえこの先を不安視していたのですが、

 

一層将来の不安が強くなり、手術を決意したのは、

 

新型コロナウイルスドクロの影響です。

 

 

当時はフリーランスの日本語教師として日本語学校とプライベートレッスンとで収入を得ていました。収入は少ないですが、まあなんとか一人暮らしを維持できる程度には稼ぐことができていました。

 

日本語学校での勤務は腰が痛くて週1〜2が限界でしたが、長期休暇はあれど決まった収入が得られるのでありがたかったですキラキラ

 

プライベートレッスンでは、オフィスに出向いて、座って1時間から2時間程度のレッスンをしていました。

 

座り続けるのもきついのですが、プライベートレッスンの場合体勢を色々変えたりできるし、大企業が多いので(笑)いすも学校とかよりふかふかないいやつだったりするので、なんとかなっていました。

 

 

 

実は日本語教師は食べていけない職業として内輪では言われているのですがあせる

もちろん体の痛みはあるし、リハビリでメンテナンスしながらですが、

 

ああ、なんとか食べてけるかな照れ

 

と思っていた矢先、コロナもやもやガーン

 

学生は日本に入国できないため学校は休校状態。

 

プライベートレッスンは、コロナの対応に追われ仕事が激務になった生徒さんや帰国される生徒さんで収入はおよそ3分の1に減りましたドクロ

 

言い訳になっちゃいますがあせるフリーランスとして独立してまだ2年目で弱々しい頃にコロナの影響を受けてしまい情けないことに持ち堪えることはできずえーん

 

アパートを引き払って実家に頼り(両親は海外在住のため不在)、

社会保険料も払えない、

当たり前だった1日3回の食事が叶わなくなり、、、

 

と言うような生活を経験し、もし側湾症の痛みで仕事ができなくなったらどんな生活になるかを体験したようで、

 

“私の将来の死因は餓死はてなマーク

“確実に1年に1度進行して悪い方向にしかいかないことは分かっている。だったら、可能性のある手術にかけてみるしか選択肢がないんじゃないか“

 

 

“よし、手術を受けよう。“

 

というはこびになりましたクローバー

 

ちゃんと稼いで税金納めて暮らしたい。

税金ちゃんと納めて堂々と暮らしたい。

ひもじい思いしたくない。

 

生きていくって、体の健康だけでなく、社会で生きている以上稼いでいかなきゃいけない!ということを実感しましたあせるあせる

 

この年でやっとですよ。甘々ですね笑い泣き