325 城崎温泉、豊岡から丹後はしうど荘へ

 浜坂温泉を後に城崎温泉を目指す。途中、余部の鉄橋で私の乗った汽車が大勢のカメラマン達の被写体となる。城崎温泉街は山陰の今までの街と異なり、賑わいを見せている。寂びれた印象は余りなく今でも現役という感じだ。欧米人が多数、和風の旅館に宿泊している。文芸博物館を見て豊岡へ。京丹後鉄道の姉ちゃんが「発車まで1時間半もありますよ!どこかで時間潰して来てください!」というので仕方なく町へ出る。寂びれはてた復興住宅と対照的に立派な役場。鞄造りの通りを目指す。大石リクの生家を見つける。京極家のお殿様のお屋敷もある。京丹後鉄道の網島駅にはしうど荘のお兄さんが迎えに来てくれていた。「豊岡、さびれていたって!ここらはもっと寂びれまくっていますぜ!」

「なぜ、京丹後と言うかって!私にもわかりません。」「丹後だけでいいのに!」「だからどこ?てきかれたら京都いいますねん!」「京都の言葉とは全然違いますな!名古屋弁とか広島弁にちかい」「そう、荒っぽい感じ!」

「お客さんみたいにサザエとったら豚箱と30万円の罰金ですぜ!」「私は自分で食べる分位とってますけどな」やがて宿に着く。女の子に近辺の見どころを聞く。地図で説明あるも自信なげ「だって行ったことないもん」いたく遠回りをして大きな岩の塊に辿り着く。途中の宿やは皆空き家であった。丹後ストーンの前には聖徳太子親子の大きな像が鎮座していた。大昔、内乱を避けて太子の母親がこの地に避難していたそうな。母親の名が「はしうど」

(令和5年4月6日)