297 韓国滞在(その2)

 会議の休みの土日にソウルから南にバスで2時間位の扶余という町に出かけた。地下鉄を乗り換え、南方面へのバスが出るバスセンタからバスに乗った。全てハングル表示で行先もよく分からなかったので人々に確かめながら乗った。

 扶余は川に面した風光明媚な鄙びた村みたいな場所であった。昔百済の都があった場所で、砦のある山に登る。途中、韓国語で道を尋ねる婦人に出くわす。初めてこの国に来た時は日本人と直ぐバレたのに20年近く経つと韓国人と思われたみたいだ。砦跡では唐・新羅の軍に攻められ、女官達が崖の上から身を投げる凄惨な絵が描かれていた。崖の下の川を船で遊覧した。床暖房のある宿に泊まり、翌早朝に宮殿跡に赴いた。霧がかかり幻想的な中にやさしそうな石像達が迎えてくれた。百済の要請を受けて数万の日本軍が救援に駆け付けたが、唐・新羅の連合軍に全滅したそうだ(白村江の戦い;663年?)多くの避難民が倭国に流れてきたそうだ。そう言えばどこか懐かしさを感じる場所であった。(平成2年5月)