284 母の死(その1)

 令和3年2月12日の零時20分頃、母が入院する病院から知らせがあった。「私は当直の医師です。お母上の心臓マッサージを30分前から実施中ですが、心臓の鼓動の回復の見込みがありません。スタッフも疲れてきたのでそろそろ(マッサージを)止めたいのですが宜しいでしょうか?」突然の知らせに頭は真っ白。とにかく「それで結構です」というのがやっと。

 すぐに車で駆け付ける。病院の深夜の入り口がわからない。真っ暗な中裏口から入る。7階の病室に急ぐ。母の病室へ。母がベットに横たわっている。院長先生が横に立っている。母の頬に手をあてる。まだ暖かい。安らかに眠っているような顔に安心した。院長から経過を説明するので別室にと促される。大きな画面で説明がある。

 実は先週の金曜日からいつも母がお世話になっている介護病棟から腸瘻のトラブルと発熱のため一般病棟に移されたということを看護師長から聞いてはいた。翌月曜には退院して介護病棟に復帰するだろうと高を括っていたのだ。火曜日になっても退院の知らせがないので変とは思っていたが。

 画面では肝臓から出た胆管に胆石が一個引っかかっていた。発熱はこの胆道閉塞のためであったとの見立てであった。腸瘻の方は無事交換完了とのことであった。しかし、熱が引かないので介護病棟には戻せないと介護病棟の師長に連絡したのだそうだ。したがって死因はこの胆道閉塞ということになる。しかし、母の死亡診断書には「老衰」と書かれてあった。死因はともかく病院の皆さんは院長はじめ賢明に尽力していただいた。感謝しかない。

(令和3年2月12日)