そこそこウケる、アメリカ留学日記

そこそこウケる、アメリカ留学日記

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今年は大吉です。


2016年Amebaおみくじ結果

サブウェイの夜も明け、同じような毎日が流れていくなか、日に日にストレスがたまっていき、原因不明の頭痛や動悸に悩まされるようになっていた。


このままではいかんと思い、ついにずっと気になっていた場所に来てしまった。



空手道場




そう、空手道場だ。


入り口にて料金を確認する。

月100ドル以上の出費になりそうで一気にテンションが下がり、
入り口でモジモジしながら少しだけ中を覗いてみようとドアを開けると、ちょうど子供たちの稽古をしている時間だった。



指導中の先生が自分の存在に気付いた。



先生「Hello!」



「僕、英語全然話せません…」



空手をやろうとする者とは思えない小さな声で答えた。



するとその先生は言った。

「No problem! Come in!」



このとき、ここにはアメリカに来て自分が求め続けていた何かがあると確信した。

そしてお金のことなど忘れて決めたのだ。入門しようと。



子供の稽古が終わるのを待っていると、さっきとは別の黒人の先生が現れて入門の手続きをすることになった。

もちろん、このときの英語力では話がなかなか前に進まない。

しかし、なんとかすぐにでも入門したかったので、辞書片手に悪戦苦闘していた。

この道場に通っている日本人のおばちゃんに電話をしてもらったが電話に出ずに膠着状態が続いた。



その時、相手の話しによく耳を傾けているとあることに気付いたのだ。

その先生がしきりに「Do you understand スー?」「OK?スー?」とスーを連発していたのだ。

こちらに来たばかりの時であれば恐らく何が言いたかったのかわからなかっただろう。

しかし、このとき自分はすでにロサンゼルスのカジュアルな文化についてよく理解していた。

この先生は自分の名前の「Su」からさっそく「スー」というあだ名をつけてくれたのだ!

やっぱりここに来て良かった。。感謝の気持ちを込めて右手の親指を突き上げ、「Sure!I’m スー!」と満面の笑顔で答えることができた。

アメリカに来て初めて自分の成長を実感できた瞬間だった。







するとその先生は









思いっきり肩を落としてため息を吐きながら言った。





「話しにならないから来週(日本人の道場生が来ているときに)また来なさい。」







あとでわかったことだが「スー(sue)」という単語は「告訴する」という意味で、この道場で稽古中に怪我などすることがあっても訴訟を起こしたりしませんよという大事なサインをする必要があったのだ。


とにかく、すぐにでも入門したくて来週まで待ちきれなかった自分はその晩にホストマザーに電話してもらい、なんとか入門の許可がおりて翌日から稽古に出ることになった。



しばらく身体を動かしていなかったが、不安よりも楽しみが遥かに上回っていた。




初稽古の日の生徒数は自分を含め12人。

皆さん身体を鍛えているようで良いガタイをしている。
ゾクゾク感が止まらなかった。



この日稽古をしてくれる師範が現れ規律よく列をなして並ぶ。


師範が何やら話し始めたが何を言っているのか全くわからない。


何らかの言葉を発したと思ったら、前から順に大きな声で叫び始めた。




One!

Two!

Three!





突然のことで急激に鼓動が早まる。




Four!

Five!




ドキドキ ドキドキ




Six!

Seven!

Eight!




バクバクバク バクバクバク




Nine!

Ten!





ドッドッドッドッドッドッド





Eleven!(11)







ついに最後の俺の番だ







・・・Twenty!(20)










師範「■☆※♀‰∈△≫×♯!!!」





明らかに怒声とわかる師範の声が道場に鳴り響くと全員腕立て伏せを始めた。


連帯責任ってやつだ。



ちなみに自分の名誉のために言っておくと、12が「Twelve」だと言うことくらいわかっていた。。。はず。

ただちょっと緊張してただけだ。




こうしてアメリカで空手道場に入門し、どんどんのめり込んで行くことになるのだ。









それではまた・・・・





東京オリンピックで・・・・





空手が正式種目となることを祈りながら・・・・

※引き続き、そこそこ泣けるアメリカ留学日記です。





全てを英語の勉強に捧げていた。


しかし、来てから1ヶ月ほどで受けたTOEIC試験では一問もまともに解けず、先が見えないままただただ時間が過ぎていった。


老夫婦のホストファミリーはほとんど会話にならない自分のために毎晩頑張って英語を教えてくれていた。


そんなある日、ふと気付いたことがあった。


俺って平日はもちろん週末までいつも家でご飯食べてるから、この夫婦は2人きりの時間がほとんどないんだろうなって。


なんだか申し訳ない気持ちになってしまった。


そしてある土曜日の夕方、部屋から自転車を出して外に出た。


リビングで何やら作業をしていた2人は驚いてこんな時間にどこに行くのかと尋ねた。


俺は満面の笑顔で言った。






「フレーンヅ!ディナー!」





飛び上がるように驚いたホストマザーは、玄関の外まで出てくれて、「Enjoy!Enjoy!」と笑顔で手を振りながら見送ってくれた。


暗くなり始めたロサンゼルスの空の下、俺は懸命に自転車を漕いだ。


車社会のため交通の便だけは最悪だったこの家はどこへ行くにも一苦労だった。




そして40分ほど自転車を漕いで着いた目的地は、


SUBWAYだった。




友達と晩飯食べる予定なんてない。


今日はホストファミリーに気を使って一人ぼっちのディナーだ。


早い、安い、うまい、ヘルシー、そして何より俺でも注文できる!SUBWAY様だ。


でかいサンドイッチを平らげ、英語の勉強を始めた。






ロサンゼルスは昼夜の温度差が激しい。


アメリカに来る前にあるサイトで見た、“ロサンゼルスは年中20度くらいある常夏の街”だなんてデマ情報に騙され、コートやダウンを持ってこなかった俺は、いつも薄着で寒かった。


特に日本では真冬のこの時期はこちらも例外ではなく、夜の冷え込みは厳しいものがあった。


温かいコーヒーでも飲みたかったが、一日に使うお金の上限を厳しく制限していたこの時期は水を飲むしかなかった。


帰るには時間が早すぎるし、他に行く所なんてない。


歯がガチガチと鳴るほど震えながら単語を覚えていた。


名詞・・・・・・・・・noun!
動詞・・・・・・・・・verb!
形容詞・・・・・・・adjective!

英語力のない語学留学生が一番最初に覚えることになる典型的な単語だ。


つーか、、、俺はいつまでもこんな基礎的な単語を覚えるのに時間を費やしているんだ!




アメリカに来る直前に少しお世話になっていた英語の先生が言っていた言葉をこの時思い出した。


「・・・正直、いま語学留学に行くのは早すぎる。英語の基礎が全くできていない今の状態で行っても得るものは少ないと思うよ。」


その先生の言っていた言葉の意味が身にしみてわかったが、もう遅い。ここで頑張るしかなかった。






窓の外を見ると、隣にあるガラス張りのお洒落なレストランが見えた。


お酒を飲んで楽しく語り合っているそこのお客さん達がすごく幸せそうだった。


日本でも週末にはみんなもこうやって楽しく過ごしているんだろうな。。。


それに比べ俺はこんな所で何をしているんだ。


お金はない、友達も全然いない、おまけに肝心な英語は全然伸びない。


悔しくて、寂しくて、悲しくて・・・・・・・涙が溢れ出てきた。


こっちに来てからたまっていたものが全て出るようだった。


他のお客さんはいない。自分と店員2人の微妙な時間が流れた。


もう恥ずかしいもんなんてない。


忍び泣きが嗚咽に変わっていった。


単語帳はびしょびしょになっていた。








少しすると横で誰かが呼ぶ声がした。


こんな所で知り合いなんているはずない。


誰にも構わないでほしかった。


しかし、何度も呼ぶ声に反応して横を見ると、そこにSUBWAYの店員が立っていた。


そして、元気出せよと言いながら俺に特大コーラをプレゼントしてくれた。






この時の優しさがどれだけ俺に勇気を与えてくれたのか、この店員が知ることはないだろう。


そして、この時俺がどれだけ寒かったのかも、この店員が知ることはないだろう。









コーラを気合いで飲み干し、また40分かけて家に帰った時にはすでに悪寒がしていた。




でもお蔭様で、翌週の“憂鬱な月曜日の会話の授業”では迷うことなく、バカにされることもなく皆に伝えることができた。





「週末は風邪ひいてずっと寝込んでいました」と。


アメリカに来て2ヶ月ほどが経ち、相変わらず英語は全く話せないけれど学校生活には慣れてきた。


確か4週に一度ずつクラスが変わるんだけど、少しでもレベルが高いクラスに入ってしまうと本当に惨めな思いをすることになる。


そこで学校のスタッフの人達には毎日明るく挨拶して、いつでも好きなクラスに変えられるくらい仲良くなっていた。



ちなみに午後は選択授業となり、クラスが少ないためにレベルの高い人達に囲まれることがよくあった。


もちろん、こうやってすぐにクラスを変えてもらっていた。
 




だけど、いつまでも逃げてばかりでいいのかという思いがずっとあった。


これなら日本で英会話学校に行くのとたいして変わらないじゃないか。。。


その頃、他の留学生たちとなかなかウマが合わなかったが、やはり自分はカラダ鍛えている男らしいやつとじゃなきゃ合わないんだと思い(込み)、そんな雰囲気を漂わせているやつを探していた。





そしてあいつを見つけたのだ。


坊主で背はあまり高くないが身体ががっちりとして、ヴァンダレイ・シウバのような風貌だった。(以降、マルゲリータと呼ぶ)

何よりも、女のケツを追い回しているやつが多い中、彼はそんな雰囲気ではなかった。




マルゲリータが午後の選択授業のうち何をとっているのか突き止め、オフィスへ行きそのクラスの授業をとりたい旨を伝えた。






「あなたには無理よ!」

YES!WE CAN!
 



「だからあなたのレベルじゃついていけないって!」

YES!WE CAN!
 



「どうせまたついていけないからクラス変えてって言うんでしょ!」

YES!WE CAN!

 




めんどくさくなったのか、根負けしたオフィスの人はクラス変更を認めてくれた。


情熱は人を動かす。そして情熱は世界を変える。


気持ちはその頃大統領に就任したばかりのオバマだった。








そしてクラス変更後初めてのクラス。


教室の一番端の席に座っていたマルゲリータの横の席をしっかりと確保し、授業が始まった。


教科書を開き、あるページに出ている記事を読むようにとの指示が下される。


さっそく電子辞書を叩いてわからない単語を調べていくが、文章を全く解読できない。


当時の自分にとってはお手上げのレベルだった。


しばらくすると先生が言った。


「それでは横の人とペアを組んで、いま読んだ内容の感想を話し合ってください。」


いつもなら逃げ出したくなる授業の流れだが、今日は覚悟を決めていた。


それに俺の横に座っていてペアを組むのは、言葉ではなく心で分かり合えるかもしれない男なのだ。


やってやる。


いつもならここで、「ソーリー俺全然英語しゃべれないんだ。テキストも全く理解できないんだ。本当にソーリー」と情けない顔をして言うのだが、「ヘーイ!ワッチュアネーイム?」と笑顔で切り出した。


マルゲリータも恐い顔とは裏腹に爽やかな笑顔を見せ、つかみはOKだった。




先に教科書の記事を読んだ感想を話し始めた彼だが、もちろんほとんど何を言っているかわからない。


しかし、「アーハッ、アーハッ」、「ヤーヤー!ザッツライト!」と相槌を打ち、マルゲリータに気持ちよく話してもらおうと努めた。




言葉ではなく、心でわかり合えるその日は遠くない。そう感じていた。


そして次は自分の感想を述べる番になった。


内容は全くわからない。そこで俺は一策を講じた。


その内容には触れず、まず彼の鍛え抜かれたマッスルを褒めたのだ。




人間、誰もが自分が一番頑張っていることについて褒められると嬉しいものである。


案の定、マルゲリータも嬉しそうに毎日トレーニングしていると目を輝かせながら言った。


俺は彼の表情の変化を見逃さなかった。


「チャンスを逃すな!」
高校の時の部活の監督の言葉が心に鳴り響いた。





「ドゥ…ドゥユノウ ヴァンダレイ・シウバ?」

 

両手を組んでグルグル回しながら言った。


マルゲリータ、完全に食いついた。


興奮した面持ちで彼も好きだったであろうシウバについて熱く語り始めたのである。


「アーハッ、アーハッ」、「ヤーヤー!ヒーイズストロング!」


お得意の相槌は止めなかった。


マルゲリータがとても楽しそうに話しをするので、両手を叩いて笑うふりまでした。


どのペアの会話よりもマルゲリータの熱い語りと俺の相槌は長かった。


先生の制止によりようやく終わると、マルゲリータはごつい右手を僕に差し出した。




固い握手を交わした。




そして彼は言った。




確かに言った。

















「Thank you my friend.」









*******************************

幼稚園から大学まで、ほとんどエスカレーター式のように進学してきた自分にとって、“友達作り”ということを考えたこともなかった。

進学しても必ず既存の友達がたくさんいた。

友達が友達をよび、芋づる式に友達と呼べる人が増えていくものだ。

しかし、初めて知っている人が誰もいない海外の地を踏み、友達の作り方すら知らない自分に気付いた。

授業中は存在感を消して指名されるまで一言も発せず、放課後はまっ先に学校を後にした。

・あんなチャラチャラしたやつらとつるみたくない
・俺どうせ金ないから遊べないし
・英語全然しゃべれないのに外人の友達作るとか絶対無理でしょ
・日本人とばっかつるんで情けないな
・etc…




全部言い訳だった。

逃げてばかりだった。

うんこみたいなプライドの塊で自分から歩み寄ることができなかっただけだ。

しかし今日、自分では全くついていけないこの授業に勇気を出して参加し、友達になりたいやつの横に座ったというこの小さな一歩は、自分の人生においてとても大きな一歩となるだろうという確信を持った。


*******************************





手を離した後も、マルゲリータのゴツゴツとした手の感触が残っていた。


今日はビールでも買って帰ろう。


今までの自分との卒業記念で久しぶりに晩酌だ。


一人ニヤけながら帰る準備を始めた。














「・・・・・んっ?」





周りを見渡すとみんな席についている。


時計を見ると・・・残り時間10分!


先生は言った。


「さあみんな!今自分とペアを組んだ人が何て言っていたのか皆にシェアしてね!」

















「・・・・・ホケッ?」












完全に想定外の事態だった。


幸いすみっこの席で発表が一番最後だったので、脳みそをフル回転して考えたが対応は“不可”という結論を出す以外なかった。


あとはただただ授業の終わりを告げるチャイムが鳴るのを待つだけだった。


いや、自分が貧血で倒れるというオチでも何でも良かった。それよりも一刻も早くこの状況から抜け出したかった。


しかしその願いは叶わず、いよいよ最後のペアである僕ら二人に視線が集まった。





自分が黙っていると、マルゲリータが話し始めた。


実は格闘技の話しで盛り上がっちゃってJoeyの感想を聞けなかったのよー。みたいなことを言い、教室内からは軽い笑いが巻き起こった。


和やかな雰囲気の中で、最後になった自分の話す順番がやってきた。





 
大トリだ。







全身から吹き出る汗、震える声。


「He said…. He said ….」


内容すらわからないのでどうすることもできない。





仕方がないので、その記事の中の短い文章を適当に読みごまかしていたその時、




















バン(←机を叩く音)

「俺はそんなこと言っていない!」










叫んだその主は、もちろんマルゲリータだった。



「俺はそんなこと言っていない。」


少し落ち着いた口調でもう一度言ったマルゲリータは、自分はこのように言ったと言い、感想を話し始めた。




なんて言っているのかはわからないが、さっき自分に話してくれた内容と同じだったことは間違いない。




凍りついた雰囲気の中、終業のチャイムが鳴り響いた。













皆が帰った後もしばらくそこに呆然として座っていたが、いつまでもこうしていられない。クラスの変更をお願いしにオフィスへ行った。


自分の表情を見て何かを察したのか、何も言わずにすんなりと応じてくれた。(ちなみにマルゲリータもクラスを変えたようだった。)

翌日には自分がクラスを変えまくっていたことが問題になり、赴任してきたばかりの新しい校長に呼ばれ、こっぴどく叱られた。
 






-ずっと悪い思い出として残っていたこの出来事ですが、師匠のブログを読んで考えを改め、このようにブログに載せることになりました。











これから何度も訪れるであろう人生を歩む上での大きな壁にぶち当たった時、この出来事を思い出そうと思う。



今の俺はチャレンジすることをやめていないだろうか―――。



愚痴や言い訳ばかりで行動することをやめていないだろうか―――。


英語力がなくてもマッチョに向かっていけるであろうか―――。








そして、僕は




願わくば、




結果的に、怒鳴られ、バカにされ、叱られ、一人ぼっちになろうとも、




あの教室でマルゲリータの横に座る人間であり続けたいと思います。